第88章:沈黙する妖精と、真夜中のカーニバル
元気のない掃除屋さん
雨上がりの商店街。
俺は胸ポケットに**「デジタル櫻子先輩」**を入れて、再びタバコ屋の前を訪れていた。
「……あれ? なんか元気ないな」
青い紫陽花の上で、昨日見かけた**「妖精」**たちが、どんよりと項垂れていた。
ブラシを持ったまま座り込んだり、葉っぱの上で寝転がったりしている。
『あーあ。毎日掃除ばっかりで飽きたなぁ』
『刺激が足りないよ、刺激が』
小さな溜息が聞こえてきそうだ。
『あらあら。モチベーションが下がっているわね』
スマホの中から、櫻子先輩の声がする。
『彼らは「場の活性化」を担う存在よ。彼らが元気がないと、商店街全体の空気が淀んでしまうわ。何か、ぱーっと盛り上がるような刺激が必要ね』
「盛り上がる刺激、ですか……」
俺はポケットを探った。
出てきたのは、銀色の小さな笛。
第22章でケット・シーから託された、**「猫寄せの笛」**だ。
こいつは、音楽で精神を操ったり、場を盛り上げたりする力がある。
「これ、使ってみましょうか?」
『いいわね! ケット・シーの音楽なら、彼らも踊り出すかもしれないわ』
笛の音と、共鳴する街
俺は周囲に人がいないことを確認して、笛を吹いた。
ピーヒョロロ……♪
最初は頼りない音色だった。
しかし、すぐに空気が振動し、どこからともなく**「ピアノの伴奏」**が聞こえ始めた。
裏世界の音楽室にいるケット・シーが、遠隔でセッションに参加してくれているのだ。
軽快なジャズのようなリズム。
すると、紫陽花の上にいた妖精たちが顔を上げた。
『お? なんだこのイカしたリズムは!』
『踊ろうぜ! 掃除なんて後回しだ!』
妖精たちが光り輝き、空中でダンスを始めた。
キラキラと光の粉が舞い散る。
「よし、いい感じだ!」
俺が調子に乗って笛を吹き続けると、異変は商店街全体に広がっていった。
ガタガタガタ……!
「ん?」
閉まっていたシャッターが揺れ、店の看板がひとりでに動き出した。
古着屋のマネキンがカクカクと歩き出し、自動販売機がビートを刻んでガシャンガシャンと音を立てる。
「わっ、付喪神だ!」
『すごい! 商店街中の「物」たちが、音楽に共鳴して起き出したわ!』
画面の中の先輩も、ペンライト(アプリ機能)を振ってノリノリだ。
茜ばあちゃんの乱入
商店街は、またたく間に**「百鬼夜行のダンスホール」**と化した。
妖精が飛び交い、マネキンが踊り、看板が歌う。
「ちょ、ちょっと盛り上がりすぎじゃ……!」
俺が止めようとした時、猛スピードで軽トラが突っ込んできた。
キキーッ!
「何事だい! 霊的な騒音公害だねぇ!」
運転席から降りてきたのは、作務衣姿の祖母・時田茜だ。
「げっ、ばあちゃん!?」
怒られる。俺は身構えた。
しかし、祖母は商店街のカオスな惨状(マネキンと妖精のラインダンス)を見ると、ニヤリと口角を上げた。
「ほう……。いいヅラ(面)構えだ」
「えっ?」
「淀んだ空気を払うには、これくらい馬鹿騒ぎするのも悪くないねぇ!」
祖母は懐から**一升瓶(御神酒)**を取り出すと、ラッパ飲みをした。
「そら、踊りな! 今夜は無礼講だよ!」
「えええーーっ!?」
祖母は踊るマネキンの列に加わり、見事な阿波踊りを披露し始めた。
止めるどころか、一番楽しんでいる。
タマさんも屋根の上で「ニャー(祭だ祭だ)」と踊っている。
『ふふふ! お婆様、ファンキーね! 私も混ざりたいわ!』
先輩もスマホの中で踊っている。
俺だけが、笛を吹きながら呆然としていた。
夢の終わり
「ちょ、ちょっと! 収拾がつかないよ!」
騒ぎはどんどん大きくなる。
このままでは近所の人に通報されるか、ニュースになってしまう。
「止まれ! みんな止まってくれー!」
俺は笛を吹くのをやめ、叫んだ。
しかし、音楽は止まらない。熱狂は渦を巻いて空へと昇っていく。
「どうすれば……!」
俺が頭を抱えて、目を閉じた瞬間。
フッ。
音が、消えた。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、そこには静寂に包まれた夜の商店街があった。
マネキンはショーウィンドウの中に戻り、看板は動かない。
妖精たちは紫陽花の葉の上で、満足そうにスヤスヤと眠っている。
祖母の軽トラも消えていた。
「……終わった?」
時計を見ると、笛を吹き始めてから5分しか経っていなかった。
さっきの狂乱は、幻だったのか?
『……ふぅ。楽しかったわね、ふるふる君』
スマホの中から、満足げな先輩の声がした。
幻じゃない。確かにあそこで「祭り」はあったのだ。
商店街の空気は、さっきまでの淀みが嘘のように澄み渡っていた。
妖精たちも、明日からはまた元気に掃除をしてくれるだろう。
「……帰ろう」
俺はドッと疲れを感じて、家路についた。
夏の夜の、ほんの短い夢。
ポケットの中のスマホが、カイロのように温かかった。




