表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/95

第87章:紫陽花の妖精と、激流の龍脈通勤


6月、雨上がりの商店街

梅雨入りした6月。

しとしとと降っていた雨が上がり、俺は学校帰りに商店街を通っていた。

タバコ屋のシャッターの前。

去年の梅雨(第19章)に、祖母と一緒に植えた青い紫陽花が、今年も見事に咲き誇っている。

「……ん?」

俺は足を止めた。

雨に濡れた紫陽花の葉の上に、小さな光の粒が見えたからだ。

目を凝らすと、それは蛍のような、あるいは小さな人の形をした「妖精」たちだった。

『せっせ、せっせ』

『結界よし、浄化よし』

彼らは小さな如雨露やブラシを持って、紫陽花の手入れをしている(ように見える)。

どうやら、櫻子先輩の作った紫陽花から生まれた、「結界のメンテナンス要員」らしい。

「すげぇ……。自動化されてる」

俺はスマホで写真を撮ろうとしたが、彼らはカメラには映らなかった。

この光景は、俺の目と記憶にだけ焼き付けて、先輩に報告しよう。

園芸部への報告

俺は学校へ戻り、屋上のドアノブを使って裏世界の園芸部へ向かった。

「先輩! 商店街の紫陽花、見てきましたよ!」

「あら、いらっしゃい。どうだった?」

先輩は、摘んできたハーブの仕分けをしていた。

「妖精がいました! 小さいおじさんみたいなのが、せっせと掃除してましたよ」

「ふふっ。それは頼もしいわね。あそこは『外』との境界線だから、彼らが守ってくれているのよ」

先輩は嬉しそうに笑った。

その笑顔を見て、俺はずっと気になっていたことを尋ねた。

「そういえば、先輩。タバコ屋のお婆さんとは、よくお茶をしてたんですよね?」

「ええ。生前はね」

「でも、先輩は地縛霊で、ここ(学校)から出られないはずじゃ……。どうやって商店街まで行ってたんですか? まさか、毎回タマさんに憑依して?」

俺の問いに、先輩は少し遠い目をした。

「……いいえ。自分の足で行っていたわ。『龍脈りゅうみゃく』を使ってね」

激流下りと滝登り

「龍脈?」

「ええ。この学校と、あの商店街は、地下を流れる巨大な気の流れ……龍脈で繋がっているの。そこを通れば、地縛霊の私でも移動できるわ」

「へぇ! 地下鉄みたいなもんですか?」

「……そうね。例えるなら、『泥と瓦礫が混ざった濁流のジェットコースター』かしら」

「はい?」

先輩は涼しい顔で、とんでもないことを説明し始めた。

「行き(商店街へ向かう時)はね、重力加速度Gがかかり続ける暗闇の濁流を、身一つで滑り落ちるの。時速100キロくらいかしら。岩とか怨念の残骸とかがビュンビュン飛んでくるから、それを避けながら進むのよ」

「……え、死にません?」

「死んでるから平気よ。ただ、霊体が削れて少し縮むけど」

「縮むんだ……」

「問題は、帰り(学校へ戻る時)よ」

先輩はため息をついた。

「帰りは、その濁流を『逆走』しなければならないの。垂直に近い滝のような激流を、爪を立てて、泥水を飲みながら、必死に這い上がってくるのよ。所要時間、約3時間。……着く頃にはボロ雑巾みたいになってたわ」

俺は絶句した。

優雅なお茶会の裏に、そんなSASUKE完全制覇みたいな過酷な通勤があったとは。

「そこまでして……会いたかったんですか?」

「ええ。あのお婆さんの淹れるお茶は、美味しかったもの」

先輩は事もなげに言った。

友情のためなら、激流も滝も苦にならない。

この人の芯の強さ(と物理的な強さ)は、やっぱり規格外だ。


デジタルな提案


「……先輩。今は、もっといい方法がありますよ」

俺はポケットからスマホを取り出した。

画面の中には、アプリのアイコンがある。

「これ(デジタル櫻子)を使えば、濁流に揉まれることも、泥だらけになることもありません。俺のポケットに入っているだけで、スマートに移動できます」

俺が提案すると、先輩はハッとして、少し顔を赤らめた。

「……そ、そうね。そうだったわね」

先輩はモジモジと指先を弄った。

「その……なんだか、少し恥ずかしいわ」

「え? 何がですか?」

「だって……あんなに必死に、泥だらけになって通っていた道が、あなたのポケットの中で『ポイっ』と終わっちゃうなんて」

先輩は、恥ずかしそうに頬を膨らませた。

「それに……あの過酷な移動も、あれはあれで『会いに行くための儀式』みたいで、嫌いじゃなかったのよ? 達成感もあったし」

「体育会系すぎますよ……」

でも、先輩の言いたいことも分かる。

便利になりすぎて、失われる情緒もある。

「じゃあ、今日は『特別』にしましょう」

俺はスマホのカメラを起動し、先輩に向けた。

「今日は、泥だらけになる代わりに、俺のスマホの中で『紫陽花の妖精』を見に行きませんか? 楽して綺麗なものを見るのも、たまにはいいでしょ?」

先輩は、少し考えてから、ふわりと笑った。

「……そうね。お願いするわ、私の専属タクシーさん」

先輩の姿が光の粒子となり、スマホの中へと吸い込まれていく。

画面の中の部屋に現れたミニ先輩は、少し照れくさそうに、でも嬉しそうに俺を見上げた。

『さあ、行きましょう。……安全運転で頼むわね』

「任せてください。滝登りはしませんから」

俺はスマホを胸ポケットに入れ(特等席だ)、雨上がりの商店街へと向かった。

かつて先輩が命がけで通った道を、今はこうして、俺と一緒に歩いている。

その変化が、俺にはたまらなく愛おしかった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ