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第9章:慣れの恐怖と、風船のロシアンルーレット

ワープ失敗


 屋上で見た「空の亀裂」と「櫻子先輩らしき影」。

 この緊急事態を報告するため、俺はカツ丼大盛りを胃に流し込んだ後、全速力で旧校舎の裏庭へと向かった。

 時刻は午後7時。あたりは完全に闇に包まれている。

 俺は百葉箱から、例の「びっくりボクシンググローブ」を取り出した。

「頼むぞ。一発で決めてくれよ」

 二度目とはいえ、殴られると分かっていて箱を開けるのは勇気がいる。

 俺は深呼吸をし、足を踏ん張り、覚悟を決めた。

 来るぞ。右フックか? アッパーか?

 俺の動体視力と、危険察知能力がフル回転する。

「いざ……オープン!」

 パカッ。

 バヂィィィン!!

 箱の中から、赤いグローブが弾丸のように射出された。

 ――見えた。

 俺の目は、その軌道を完全に捉えてしまった。

 (下から、顎狙い!)

 俺の首の筋肉が、無意識に収縮する。奥歯を噛み締め、衝撃に備える防御姿勢ガードをとってしまった。

 ドゴォッ!!

 強烈な衝撃が顎を襲う。

 脳が揺れる。星が飛ぶ。

 ……痛い。めちゃくちゃ痛い。

 だが。

「……あれ?」

 意識が、飛ばない。

 ジンジンと熱を持つ顎をさすりながら、俺は暗い裏庭に立ち尽くしていた。

 ワープしていない。

「う、嘘だろ……」

 俺は愕然とした。

 **「慣れ」**だ。

 俺の体と脳が、この衝撃を学習してしまったのだ。「来る」と分かっていれば、人間は無意識に防御してしまう。その結果、脳へのダメージが「死の危険(ワープ基準値)」を下回ってしまったのだ。

「どうする!? このままじゃ行けない!」

 もう一度試そうにも、一度「耐えられる」と分かってしまった以上、次はもっと身構えてしまうだろう。

 万事休すか。

 俺が絶望しかけた時、百葉箱の奥に、もう一つ、別の箱があることに気がついた。

加藤先生の次なる一手

 それは、黒いプラスチック製のケースだった。

 蓋には、加藤先生の字でこう書かれたメモが貼ってある。

『よう、少年。グローブで失敗したか?

 人間ってのは賢いもんでな、物理的な痛みにはすぐ順応しちまう。

 次に必要なのは「痛み」じゃねえ。**「予測不可能なスリル」**だ』

「スリル……?」

 俺はケースを開けた。

 中に入っていたのは、おもちゃの**リボルバー(回転式拳銃)**と、ゴム風船が数個。

 そして、拳銃の銃口に取り付けるための、針付きのアタッチメント。

「これって、まさか……」

 俺は戦慄した。

 これはパーティーグッズの定番。引き金を引くと、運が悪ければ針が飛び出し、セットした風船が破裂するおもちゃ。

 通称、**『風船ロシアンルーレット』**だ。

『ルールは簡単。風船をセットし、こめかみに当てて引き金を引く。確率は6分の1。いつ割れるか分からない恐怖が、お前の脳を強制的にシャットダウンさせるはずだ』

「……マジかよ」

 俺は乾いた笑いを漏らした。

 物理的な威力はゼロだ。ただ風船が割れるだけ。

 こんな子供騙しで、次元を超えるワープができるわけがない。

 ……普通なら。

 だが、今の俺は、お婆さんの件以来、「見えないもの」に対して神経が過剰に研ぎ澄まされている状態だ。

 静寂に包まれた廃墟で、耳元で何かが破裂する音。それは、今の俺の脳にとって**「銃撃」**と変わらない衝撃になるんじゃないか?

「やるしか、ないか」

 俺は震える手で風船を膨らませ、銃口にセットした。

 パンパンに膨らんだ黄色い風船が、街灯の薄明かりに照らされている。

6分の1の賭け

 俺はリボルバーを握り、風船を右のこめかみに押し当てた。

 ゴムが肌に触れる感触が、妙に生々しい。

「……一発目」

 カチッ。

 セーフ。割れない。

 心臓がドクンと跳ねた。

「二発目」

 カチッ。

 まだ割れない。

 だが、次か? 次こそ来るのか?

 いつ来るか分からないという恐怖が、ボクシンググローブの比ではない緊張感となって脳血管を締め上げる。

「くそっ、なんでこんな……! 三発目!」

 指に力を込める。

 トリガーが重い。

 脳裏に、あの屋上で見た「空の歪み」がよぎる。早く伝えないと。早く行かないと。

(割れろ……! 割れてくれ……!)

 恐怖と願いが入り混じった極限状態。

 俺は目を瞑り、引き金を引いた。

 カチッ。

「……はあ、はあ。まだかよ!」

 四発目も不発。

 残るは二発。確率は50%。

 俺の呼吸は荒くなり、冷や汗が滝のように流れていた。

 こんなおもちゃ相手に、俺は本気で命のやり取りをしている気分になっていた。

「次だ。次で決める」

 俺は震える指を、再びトリガーにかけた。

 こめかみの風船が、脈打つように熱く感じる。

 来る。絶対に来る。

 脳が勝手に「破裂の瞬間」を幻視する。

「う、うわああああ!!」

 俺は叫びながら、引き金を引いた。

 パンッ!!!

 乾いた破裂音が、静寂を切り裂いた。

 たかが風船。されど風船。

 極限まで張り詰めた俺の聴覚にとって、その音は**「大砲の轟音」**に等しかった。

 視界が白く弾ける。

 物理的な痛みはない。

 だが、あまりのショックに、俺の意識は肉体から弾き飛ばされた。

「と、飛べたぁぁぁ……」

 薄れゆく意識の中で、俺は加藤先生の歪んだアイデアに感謝(と呪詛)を捧げた。

園芸部にて

 気がつくと、俺は園芸部の床に大の字になっていた。

 心臓がまだバクバク言っている。

「……お目覚めかな、ギャンブラー」

 ニヤニヤした声が聞こえた。

 見上げると、梁の上から加藤先生(冒険家)が降りてくるところだった。

 そして、テーブルでは櫻子先輩が頬杖をついてこちらを見ていた。

「あら、ふるふる君。顔色が真っ青よ? 今回は随分と肝を冷やす方法でいらしたみたいね」

 先輩は全てお見通しといった風に、悪戯っぽく微笑んでいる。

「はあ……はあ……。もう、二度とやりたくないです」

 俺はガクリと項垂れた。

 物理的な痛みはないが、精神的な疲労感が半端じゃない。寿命が縮んだ気がする。

「だが、合格だ。物理的な痛みに頼らず、精神的な負荷だけで壁を越えた。お前の『魂』が、また一つタフになった証拠だ」

 加藤先生がコーヒーを差し出してくれた。

 俺はそれを受け取り、震える手で一口飲んだ。温かさが染み渡る。

「はっはっは! 次は黒ひげ危機一発でも用意しておくか?」

 先生は笑ったが、俺の表情が晴れないことに気づいたようだ。

 俺はカップを置き、真剣な顔で二人を見た。

「先生、先輩。……笑い話じゃ済まないものを見てしまったんです」

「……ほう?」

 加藤先生の目から、冒険家の色が消え、元・保護観察官の鋭い光が宿った。

 櫻子先輩も、その美しい瞳を細めた。

「屋上で、見たんですね? ……空の亀裂を」

 俺は頷き、あの不気味な空の歪みと、そこで見た「先輩らしき影」について話し始めた。


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