第84章:ガラス越しの桜と、匂わない焼きそば
4月中旬、葉桜の予感
4月の中旬。新学期の慌ただしさが少し落ち着いた週末。
俺は、散り始めた桜を惜しむ人々でごった返す、県内有数の桜の名所(大きな公園)に来ていた。
「先輩、見えますか? まだギリギリ満開ですよ」
俺は桜並木の下で、スマホを掲げた。
画面の中の部屋では、櫻子先輩が窓(画面)にへばりついている。
『わあ……! 見事ね!』
画面越しに見る桜並木は、ピンク色のトンネルのように続いていた。
風が吹くたびに、花びらが雪のように舞い散る。
『私、こんなにたくさんの桜を見るの、初めてかも。学校の桜も綺麗だけど、これは……圧巻ね』
先輩の目が輝いている。
連れてきてよかった。俺は心からそう思った。
届かない「空気」
俺たちは人混みを歩いた。
周りはカップルや家族連れで賑わっている。
屋台がずらりと並び、ソースの焦げる匂い、綿飴の甘い匂い、そして人々の熱気が渦巻いている。
『ふふっ。みんな楽しそうね』
先輩はニコニコしている。
だが、ふと、画面の中の先輩が鼻をくんくんとさせた。
『……ねえ、ふるふる君。これ、なんの匂い?』
「え?」
『すごく美味しそうな、香ばしい匂いがする気がするの。……気のせいかしら?』
俺はハッとした。
目の前では、焼きそばの屋台がジュージューと音を立てている。
強烈なソースの匂いが漂っているが、スマホの中の先輩には、「映像」と「音」しか届かない。
「匂い」や「温度」、そしてこの場の「空気感」は、ガラス一枚隔てた向こう側には届かないのだ。
「……焼きそばですよ、先輩。屋台のソース焼きそばです」
『へぇ……。どんな匂いなのかしら。想像するしかないわね』
先輩は少し残念そうに笑った。
その笑顔が、俺の胸にチクリと刺さる。
冷めたお祭り
「……買っていきますね」
俺は焼きそばと、たこ焼きと、ベビーカステラを買い込んだ。
出来たては熱々で、湯気が立っている。
今ここで、一緒に食べられたらどんなに美味しいだろう。
「……帰ろう」
俺は人混みを抜け出し、学校へと急いだ。
屋上のドアから裏世界へ。
「ただいま、先輩」
園芸部のテーブルに、買ってきた屋台飯を広げる。
しかし、移動の間に冷めてしまった焼きそばは、麺が伸びて固まっていた。
たこ焼きも、ふにゃふにゃだ。
「……すみません。冷めちゃいました」
俺が謝ると、実体に戻った先輩は、それを美味しそうに頬張った。
「ううん。美味しいわよ。これが『お花見の味』なのね」
「でも、あの場所の匂いは……」
「想像できたわ。ふるふる君が届けてくれたから」
先輩は優しい。
でも、俺は知っている。
あの公園で感じた春の風の生暖かさも、人混みの熱気も、屋台の煙たさも、先輩は知らないままだ。
やっぱり、歩きたい
「……先輩」
「なぁに?」
「来年は……いいえ、いつか必ず」
俺は拳を握りしめた。
「俺、先輩と一緒に、あの桜の下を歩きたいです。スマホ越しじゃなくて、隣で。同じ匂いを嗅いで、同じ熱さを感じて」
俺の言葉に、先輩は箸を止めた。
そして、少しだけ困ったように、でも嬉しそうに微笑んだ。
「……贅沢な後輩ね」
「はい。俺、欲張りなんで」
「ふふ。……そうね。いつか、そんな日が来るといいわね」
先輩は、冷めた焼きそばをもう一口食べた。
窓の外、裏世界の花畑には、季節のない花が咲き乱れている。
あっち(現実)の桜はもう散るけれど、俺たちの季節は、まだ始まったばかりだ。
俺は、ソースの匂いが染み付いた冷たい部屋で、改めて決意を固めた。
「コア」は見つけた。次は、それをどう使うかだ。
俺たちの「春」は、まだ終わらない。




