第75章:借りてきた陰陽師と、頭上の名札
借りてきた猫(陰陽師)
ボランティア部での事故から数十分後。
裏世界の園芸部では、奇妙なティータイムが続いていた。
「……あ、あの。すみません、頂きます……」
テーブルの端で、背中を丸め、震える手でティーカップを持っているのは、最強のルーキー・安倍清和だ。
さっきまでの「俺、祓えるんで」という生意気さは微塵もない。
完全に「借りてきた猫」状態だ。
『キヨ……怒らせちゃダメだよ……魂ごと消されるよ……』
守護霊の九も、尻尾を巻いて安倍くんの背中に隠れている。
彼らは、櫻子先輩という「世界の深淵」を覗いてしまい、完全に戦意喪失していた。
「あら。遠慮しないで、クッキーも食べてね」
櫻子先輩は、にこやかに微笑んだ。
しかし、安倍くんにとっては、その笑顔も「邪神の慈悲」に見えているらしい。
「は、はいっ! ありがたき幸せ……!」
安倍くんは、直立不動でクッキーを口に入れた。
サクッ。
「……ん?」
咀嚼する安倍くんの表情が、次第に凍りついていく。
「……美味しい。香ばしい胡麻の風味……いや、違う」
彼の顔色が青ざめる。
喉を通った瞬間、胃の腑から湧き上がってくる、濃厚で純粋なエネルギー。
陰陽師である彼には、それが「物質」ではないことが分かってしまったのだ。
「この、重厚な霊的質量……。それに、無数の『想い』の味……」
『キヨ! 吐き出せ! それ胡麻じゃない! 魂の欠片だ!!』
九が悲鳴を上げる。
安倍くんはガタガタと震え出した。
「た、魂……!? 僕、今、魂を食べて……!?」
「あら、気づいたの? お目が高いわね」
先輩は悪びれもせず、紅茶をすすった。
「それは『魂の胡麻』。現世の未練を凝縮して黒焼きにしたものよ。栄養満点だから、残さず食べてね?」
「ひ、ひぃぃぃッ!!」
安倍くんは涙目でクッキーを飲み込んだ。
吐き出そうにも、先輩の笑顔が怖すぎてできない。
違和感のある呼びかけ
「それでね、安倍 清和くん」
先輩が、唐突に彼のフルネームを呼んだ。
「は、はいっ!」(魂を食べたショックで裏返った声)
「あなた、オカルト部にも入ったんでしょう? あそこの部長は元気かしら?」
「ええ、まあ……」
会話は進むが、俺はクッキーを食べる手を止めた。
(……ん?)
何かがおかしい。
俺は記憶を巻き戻した。
事故からここまで、誰も自己紹介をしていないはずだ。
なのに、なぜ先輩は「安倍清和」というフルネームを知っているんだ?
視えているもの
「あの、先輩」
俺は恐る恐る尋ねた。
「先輩、安倍くんと会うのは初めてですよね?」
「ええ。そうよ」
「じゃあ、なんで彼のフルネームを知ってるんですか? 俺、紹介しましたっけ?」
俺の問いに、安倍くんもハッとして顔を上げた。
確かに、名乗っていないのに名前を呼ばれるというのは、怪異の類では「取り殺すための儀式(真名を知る)」だったりする。
「ま、真名を……!?」
安倍くんが再び震え上がった。
しかし、先輩はキョトンとして、自分の頭の上あたりを指差した。
「え? だって、刺さってるもの」
「……はい?」
「ほら、そこ。頭の上に」
先輩は、安倍くんの頭上を指差した。
「まるで、『植物園の樹名板』みたいにね。名前と、今の状態が書かれた札が、地面(頭)から生えているのが見えるのよ」
先輩には、安倍くんの頭上に『安倍 清和(1年2組)』という札と、狐の上に『九』という札が見えているらしい。
「さらに今は、『恐怖』と『混乱』っていう札も追加で刺さってるわね」
管理者のUI
「……植物の、名札?」
俺と安倍くんは顔を見合わせた。
もちろん、俺たちの目には何も見えない。
(……それって、ゲームのステータス画面みたいなもんか?)
俺は心の中で変換した。
櫻子先輩は、この世界の「コア(核)」であり「管理者」だ。
だから、この世界に侵入した「異物(人間や霊)」の情報を、システム的に読み取ることができるのだろう。
「な、なんですかそのチート能力……!」
安倍くんが絶句した。
陰陽師の彼からすれば、相手の「真名」を無条件で看破するなんて、神の御業か、死神の目だ。
「便利ねぇ、とは思ってたけど。……普通は見えないものなの?」
「見えませんよ! 俺、ずっと隠し事できないじゃないですか!」
「ふふ。ふるふる君の頭の上、今は『焦り』の札が刺さってるわよ」
先輩は悪戯っぽく笑った。
霧散する後輩
「も、もう無理です……! 帰らせてください……!」
安倍くんが限界を迎えた。
魂を食べさせられ、真名を見抜かれ、精神(SAN値)が削りきられたようだ。
「あら、残念。じゃあ、お出口はこちらよ」
先輩はテラスの花壇を指差した。
安倍くんはフラフラと立ち上がり、花壇の前へ行く。
花の強い香りを吸い込んだ瞬間、彼の肩が大きく跳ねた。
「へっ、くちゅん!!」
その瞬間だった。
シュウゥゥゥ……
安倍くんの体が、頭の先からほどけるように、細かい霧へと変わっていった。
光る粒子となり、風に乗って溶けるように消滅していく。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
「……えっ」
俺は息を呑んだ。
いつも俺も、あんな風に消えているのか?
人間が霧になって消える光景は、美しくもあり、ゾッとするほど不気味だった。
「……あーあ、帰っちゃった」
先輩が、ぽつりと呟いた。
空になったティーカップを見つめるその瞳は、少しだけ寂しそうだ。
「……あなたも、帰るの?」
先輩が俺を見上げる。
その表情に、胸が締め付けられた。
「帰りたくない」と言えば、先輩は喜ぶだろうか。それとも困るだろうか。
「……また明日、来ますから」
俺は精一杯の笑顔で答えた。
先輩は、ふわりと微笑んだ。
「ええ。待ってるわ」
三人の帰り道
俺も花の香りを嗅ぎ、くしゃみと共に現実世界へ戻った。
「……うぅ」
旧校舎の裏。
紫陽花の植え込みの前で、安倍くんが膝を抱えてうずくまっていた。
そして、その隣には、二股尻尾の三毛猫・タマさんが座っていた。
「あ、古田先輩……」
安倍くんが涙目で顔を上げる。
「生きて……ますよね、僕たち」
「ああ。ちゃんと帰ってきたよ」
「ニャー(情けない顔するな、新入り)」
タマさんが、安倍くんの足に頭を擦りつけた。どうやら心配して待っていてくれたらしい。
九もタマさんに「姐さん、怖かったっす……」と泣きついている。
「帰ろうか、安倍くん」
「……はい。送っていってください……腰が抜けました」
夕暮れの通学路。
俺と、へっぴり腰の陰陽師と、妖怪猫。
奇妙な三人組で、俺たちは並んで帰った。
生意気な後輩の弱点を知ってしまったことで、俺たちの距離は少しだけ縮まった気がした。




