第61章:年末の大掃除と、やかましい来客
綻び始めた裏口
12月28日。世間は年末ムード一色だ。
俺、古田降太は、一年間の感謝を込めて、裏世界の園芸部の大掃除に来ていた。
「よいしょ、っと……」
俺は雑巾掛けをしながら、部屋の隅にある**「紫陽花のバックドア(裏口)」**を見た。
現実世界と繋がるこの小さな抜け穴。
夏祭りや体育祭で頻繁に物を通したり、タマさんが行き来したりしたせいだろうか。
「……なんか、広がってないか?」
以前は壁のシミ程度だった歪みが、今はソフトボールくらいの大きさになり、そこから冷たくて暗い風がヒュウヒュウと吹き込んでいる。
覗き込むと、現実の旧校舎ではなく、もっと深い、底なしの闇が見える気がする。
「あら、気づいた? 最近、少し隙間風が寒いのよね」
櫻子先輩が、ハタキをかけながら困ったように笑った。
「先輩、これマズいですよ。修理しないと」
「そうね。加藤先生にお願いして、板でも打ち付けてもらいましょうか」
その加藤先生(25歳)は、テラスで窓拭きをしている。
年末だというのにタンクトップ姿だ。元気すぎる。
休憩とお客さん
「ふぅ。ひと段落したな」
一通りの掃除を終え、俺たちはコタツ(先生の私物)に入って休憩することにした。
先輩が煎茶とミカンを出してくれる。
「いただきます」
俺がミカンに手を伸ばした、その時だった。
「毎度ォ! いやー、えらい寒おますなぁ!」
突然、園芸部のドアがガララッ!と勢いよく開いた。
底冷えする風と共に、一人の男が入ってきた。
「……え?」
そこにいたのは、ひょろっとした長身の**優男**だった。
安っぽいスーツに、派手な柄のネクタイ。手には菓子折りを持っている。
どこからどう見ても、年末の挨拶回りに来た胡散臭い営業マンだ。
しかし、俺の「視る目」は警鐘を鳴らしていた。
こいつからは、生者の気配も、死者の気配もしない。
ただ圧倒的な**「虚無」**が、人の形をして立っている。
「誰だ、あんた」
加藤先生が、瞬時にマチェットに手をかけた。
その目は、校長としての穏やかなものではなく、かつて凶悪犯と対峙してきた保護観察官の目だった。
「おっと、物騒でんなぁ! ワテは怪しいモンやないですわ。ただの通りすがりの、しがない死神代行でんがな」
男はヘラヘラと笑いながら、ズカズカと部屋に入り込んできた。
櫻子の緊張、加藤の観察
「……ニャルラトホテプ」
櫻子先輩が、低い声で呟いた。
普段の優雅さは消え、全身を強張らせている。
その表情は、恐怖というよりは、**「逆らえない上位者」**に対する緊張に満ちていた。
「おう、久しぶりやな櫻子ちゃん! 元気にしとったか? ちゃんと仕事(悪意の浄化)もしとるようで、おじさん感心やわぁ」
男――ニャルラトホテプは、馴れ馴れしくコタツに入り込み、勝手にミカンを剥き始めた。
「……何の用かしら。新しい死神は、まだ着任していないはずよ」
「つれないなぁ。今日はただの年末の挨拶や。ほれ、これつまらないモノですが」
彼が差し出した菓子折りの箱には、**『黄泉の国饅頭』**と書かれていた。
絶対に食べてはいけないやつだ。
加藤先生は、マチェットを収めたが、警戒は解いていない。
先生は、男の軽薄な態度の奥にある、底知れない「何か」を観察していた。
(……コイツ、カタギじゃねえな。いや、人間ですらねえ。目が笑ってないどころか、瞳の奥に感情が存在しない)
先生は、古田を背に庇うように座り直した。
「あんたが、このふざけたシステムの管理者か」
「システム? いやいや、ワテはただの**『尻拭い役』**ですがな。前の担当者がヘマこいて消えよったから、ワテが代わりに座らされとるだけで……ホンマ、ブラックな職場ですわ」
ニャルラトホテプは、やれやれと肩をすくめた。
「せやけど、この『裏口』はアカンで。使いすぎてガバガバやないか。このままだと、**冥道(あの世のさらに奥)**と直通になってまうで?」
彼は、広がった空間の歪みを指差した。
「修理しといたるわ。……サービスやで?」
彼がパチンと指を鳴らすと、歪みは一瞬で修復され、元の小さなシミに戻った。
嵐の去った後
「ほな、ワテはこれで。良いお年を!」
ニャルラトホテプは、茶を一杯すすり、ミカンを二つポケットに入れて、嵐のように去っていった。
部屋には、重苦しい静寂と、黄泉の国饅頭だけが残された。
「……今の、何者だ?」
加藤先生が、大きく息を吐き出した。冷や汗をかいている。
「彼が、この世界の管理者……ニャルラトホテプよ。私の事故に巻き込まれて、死神代行になった人」
先輩は、震える手で茶碗を握りしめていた。
「ニャルラト……ホテプ?」
俺は聞き慣れない名前に首を傾げた。アニメで聞いたことがあるような気もするが、目の前の男からは、そんなコミカルさは微塵も感じられなかった。
「あんな軽薄そうなのが、この世界の管理者……死神の代行なのか?」
俺は唖然としていた。
もっと恐ろしい化け物を想像していたが、実際は**「やかましい関西弁の兄ちゃん」**だった。
でも、その底知れなさは、今まで出会ったどの怪異よりも恐ろしかった。
「……気を引き締めんとな」
加藤先生が呟いた。
「あいつは、敵意はないかもしれんが、俺たち(人間)のことなど、道端の石ころ程度にしか思っていない。そういう目だった」
俺たちは、コタツの温もりの中で、得体の知れない寒気を感じていた。
「コア探し」と「蘇生」。
俺たちが挑もうとしている相手は、想像以上に厄介で、そして気まぐれな存在なのかもしれない。
とりあえず、置いていかれた饅頭は、丁重に百葉箱経由でどこか(海とか)へ廃棄することにした。




