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第5章:疑惑のボランティア


土曜日の憂鬱と、個性的な先輩たち

 翌朝、土曜日。

 案の定、昨日の記憶は消えていたが、枕元のメモと、リュックから漂う甘い香りが全てを教えてくれた。

 俺は朝食代わりに「ドラえもん型のクッキー」を一つ食べ、存在を安定させてから家を出た。

 今日は月に一度の、ボランティア部の活動日だ。

 集合場所である本校舎の昇降口前に行くと、すでにいつものメンバーが集まっていた。

「おーい、古田! 遅いぞ!」

 声をかけてきたのは、

ジャージ姿の玄田げんだ 宇宙そら部長だ。

3年生の先輩で、ボーイスカウト仕込みのロープワークが自慢の頼れるリーダーだ。今日も腰にはロープがぶら下がっている。

「すみません、ちょっと寝坊して」

「たるんどる! ボランティア精神とは、即応力だ!」

 玄田部長が熱く語る横で、ガシャッ、ベコッ、という金属音がリズミカルに響いている。

 2年生の溝渕みぞぶち 福造フクゾウ先輩だ。

 彼の足元には、45リットルのゴミ袋がいくつも積み上げられ、その中には大量の空き缶が詰まっていた。

「溝渕はなぁ、今朝5時から町内を一周して、これだけの資源を回収してきたんだぞ。見習え!」

 部長の言葉通り、福造先輩の額には大粒の汗が光っている。彼は挨拶もそこそこに、町中から拾い集めてきた空き缶を、匠の足技で一枚の円盤のようにぺちゃんこに潰し続けていた。

 この空き缶の売却益こそが、俺たちボランティア部の活動費の全てであり、彼のこの地道な「早朝行脚」によって部は支えられているのだ。

「あら、古田くん。おはよう。ネクタイが曲がっていてよ」

 積み上がる空き缶の横で、優雅に紅茶(マイボトル持参)を飲んでいるのは、本田ほんだ 子猫きてぃ先輩。

 見た目も言動も深窓の令嬢そのもので、ボランティア活動中も決して優雅さを崩さない。ただし、「キティちゃん」などと名前をイジると修羅になるので要注意だ。

「みんな揃った〜? じゃあ始めよっかー……はぁ」

 最後に気だるげに現れたのは、顧問の山口やまぐち 綾華あやか先生。今年30歳。

 美人なのだが、最近は結婚への焦りからか、溜息の回数が増えている。今日も「週末なのに部活……婚活パーティー行きたい……」と小声で呟いているのが聞こえた。

「今日の活動は、旧校舎周辺の草むしりと、粗大ゴミの整理です。あそこ、最近立ち入り禁止テープが貼られたけど、周りくらいは綺麗にしましょう」

 玄田部長の号令で、俺たちは軍手をして歩き出した。

 旧校舎。

 俺が昨日、命がけで行ってきた場所。現実では廃墟だが、あちらでは美しい花園。その境界線へ、今日は「表側」からアプローチすることになる。

招かれざる客と、運命のクッキー

 旧校舎へ向かう途中、ふらりと現れた人影があった。

 ひょろりとした体格に、人を小馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべた2年生。宇多川うたがわ 茂麻呂しげまろ先輩だ。

 ボランティア部には籍だけ置いている幽霊部員で、活動には参加せず、こうして冷やかしに来るのが日課だ。

「やあやあ、偽善者の諸君。今日も精が出ますねぇ。草なんてむしって何になるの? どうせまた生えるのに、無駄な徒労ご苦労様」

「宇多川! 手伝わないなら帰れ!」

 玄田部長が怒鳴るが、宇多川先輩は「へいへい」と聞き流し、俺の方へ寄ってきた。

「よう、一年の。お前もご苦労なこったな。……ん? なんだかいい匂いがするな」

 宇多川先輩が、鼻をクンクンさせて俺のリュックに顔を近づけた。

 しまった。クッキーの匂いだ。

「なんか隠し持ってんだろ。おやつか? ボランティア中におやつとは、いい度胸だなぁ」

「ち、違います! これは……」

 俺が拒むより早く、宇多川先輩の手が伸び、リュックのチャックが開けられた。

 中から、蔓で編まれたバスケットが顔を出す。

「うわ、なんだこれ。すげえ凝った入れ物……手作りか? キモッ」

 先輩はバスケットの蓋を開け、中から「オバQ」の形をしたクッキーを一枚つまみ上げた。

「へえ、クッキーじゃん。しかも昭和レトロ。お前、意外とジジくさい趣味してんのな」

「あ、返してください! それは俺の……!」

 それは、俺の命綱だ。

 だが、俺の静止も虚しく、宇多川先輩はニヤニヤしながら、そのクッキーを口に放り込んだ。

「いただきまーす。パクッ」

 サクッ、という乾いた音が響いた。

 俺は絶望した。貴重なストックが減ったこともそうだが、何より「魂の球根」が入ったクッキーを、一般人が食べてしまったのだ。大丈夫なのか?

 宇多川先輩は、モグモグと口を動かし、そして動きを止めた。

「…………」

 沈黙。

 先ほどまでの冷笑的な表情が消え、視線が虚空を彷徨い始める。

「おい、宇多川? どうした?」

 異変に気づいた玄田部長が声をかける。

 宇多川先輩は、ゆっくりと目を見開いた。その瞳は、何かこの世ならざる美しいものを見たかのように、キラキラと輝き始めていた。

「……見える」

「は?」

「見えるぞ……色が。感情の色が、爆発している……!」

 宇多川先輩は突然、天を仰いだ。

「僕は今まで、なんて無駄な時間を過ごしていたんだ。人をからかい、斜に構えて、自分を守っていただけだ。そんなの、ちっぽけだ。僕が表現すべきは、この……内側から溢れ出る、マグマのような色彩なんだ!!」

「う、宇多川先輩?」

「僕は行くぞ! ここにいる場合じゃない! キャンバスだ! キャンバスを持ってこい!!」

 宇多川先輩は叫ぶと、脱兎のごとく走り出した。その背中には、もう迷いはなかった。彼はそのまま美術室へと直行し、以後、ボランティア部には二度と姿を見せなくなったという(後に数々のコンクールを総なめにする天才画家が誕生するのだが、それはまた別の話)。

「……行っちゃったわね」

 子猫先輩がポカンと呟いた。

「あいつ、急にどうしたんだ?」

 玄田部長も首をかしげる。

 俺だけが、冷や汗を流しながらリュックを抱きしめていた。

 櫻子先輩の「魂の球根」は、俺たちには生存エネルギーになるが、悩める一般人には「劇薬」として作用するらしい。

 宇多川先輩の心にあった鬱屈した感情(毒)が、クッキーの強力な浄化作用で一気に洗い流され、残った純粋なエネルギーが芸術的衝動へ昇華されたのだ。

「……すごい効き目だ」

 俺は改めて、このクッキーの恐ろしさと重要性を認識し、リュックの口を固く閉じた。


廃墟のクロユリ

 宇多川先輩という嵐が去った後、俺たちはようやく本来の目的地である旧校舎の裏庭に到着した。

「よし、手分けして草をむしるぞ。溝渕は空き缶がありそうなら回収。本田はゴミ拾い。古田は俺と一緒にフェンス際のつたを切るぞ」

「了解です」

 玄田部長の指示で、作業が始まった。

 俺は鎌を片手に、腰まで伸びた雑草の中に踏み入った。

 そこは、昨日俺が「一時間待ちぼうけ」をした場所であり、あちらの世界では櫻子先輩と加藤先生が待つ、美しい園芸部がある場所だ。

 現実のここは、塗装が剥がれた灰色の壁と、錆びついたフェンスに囲まれたただの廃墟。

 だが、今の俺には、この荒涼とした景色の向こう側に、あの極彩色の花園が透けて見えるような気がした。

(あっちでは、今頃先輩がお茶でも飲んでるのかな……)

 そんなことを考えながら、俺はフェンスに絡みついた枯れた蔦を切り払った。昨日、先輩が魔法のように操っていたあの青々とした蔦も、現実ではこんなに脆く、干からびている。

 ふと、視線を感じた。

 俺は手を止め、校庭の隅を見やった。

 そこには、工事現場の事務所のような、無機質なプレハブ小屋がポツンと建っている。

 校長室だ。

 ブラインドが降りた窓。その隙間が、わずかに開いている気がした。

 誰かが、じっとこちらを見ている。

(……校長先生?)

 俺は思わず目を逸らし、足元の草むらに視線を戻した。

「……ん?」

 その時、雑草の緑の中に、異質な色を見つけた。

 鎌で周囲の草を慎重に刈り取ると、その姿が露わになった。

 黒い花だ。

 ベルベットのような質感を持つ、暗い紫色の花弁。うつむくように咲くその姿は、周囲の雑草とは明らかに格が違っていた。

「クロユリ……?」

 俺は息を呑んだ。

 間違いない。一昨日、あちらの世界で俺が植え替えを手伝った花だ。

 だが、おかしい。ここは現実世界だ。誰かが手入れをしているわけでもないこの廃墟に、園芸品種であるクロユリが、しかもこんな季節外れに一輪だけ咲いているなんて。

「……咲いてる」

 しかも、枯れていない。あちらの世界と同じように、妖しく、力強く咲き誇っている。

 俺は昨日の櫻子先輩の言葉を思い出した。

 『あなたの濃さも、なかなかのものね』

 俺が通った場所に付箋が現れたように、櫻子先輩の圧倒的な存在感(魂の質量)が、次元の壁を越えて、現実世界にも「花」として染み出しているのだろうか。

プレハブのヌシ

「おーい、少年! 精が出るねえ!」

 突然、背後から明るい声をかけられ、俺はビクリと肩を震わせた。

 振り返ると、そこに加藤校長が立っていた。

 白髪のオールバックに、ビシッと着こなした黒いスーツ。そしてトレードマークの濃いサングラス。

 一見するとマフィアのボスのような強面だが、その口元には人懐っこい笑みが浮かんでいる。

 生徒たちから「カトーちゃん」「ダンディ」と呼ばれ、下手なアイドルより人気があるという、ウチの学校の名物校長だ。

「こ、校長先生! おはようございます!」

 俺が慌てて頭を下げると、校長は「よしよし、楽にしなさい」と、ポンと俺の肩を叩いた。その手は大きく、分厚く、そして驚くほど温かかった。

「ボランティア部だな? 感心感心。若いもんが汗を流す姿ってのは、いつ見てもいいもんだ」

 校長はうんうんと頷き、そして俺の足元に咲くクロユリに視線を落とした。

「おや。珍しい花が咲いているね」

 その瞬間、場の空気がほんの少しだけ変わった気がした。

 サングラスの奥の瞳が、笑っているようで、笑っていないような。

「……クロユリ、か。手入れもされていない場所に一輪だけとは、寂しがり屋の『迷子』みたいだな」

 その声は優しかったが、どこか深い哀愁を含んでいた。

 あちらの世界の加藤先生(起太郎)の、ハリのある冒険家ボイスとは違う、年輪を重ねた老人の響きだ。

「古田くん、だったかな?」

「は、はい! 古田降太です! ……名前、覚えててくれたんですか?」

「もちろんだとも。全校生徒の顔と名前は私の宝物だからね」

 校長はニカっと笑い、一歩近づいてきた。

 そして、鼻をクンクンと動かした。

「それにしても古田くん。昨日は随分と**『いい匂い』**をさせて下校していたね」

 ドキリとした。

 いい匂い。それはタバコ屋のお婆さんも言っていた、あの甘いクッキーの香りのことだろうか。

 校長は屈み込み、俺の顔を覗き込んだ。

 至近距離で見ると、サングラスの奥にある瞳が、鋭く光っているのが分かった。それは教育者の目というより、何かを見定める「監視者」の目だった。

「その匂いは、元気が出る魔法の香りだが……吸いすぎには注意だぞ?」

「え……?」

 校長は声を潜め、低い声で囁いた。

「草むしりは結構だが、あまり『向こう側』に深入りするなよ。根っこを持っていかれるぞ」

 一瞬、心臓が止まるかと思った。

 だが、校長はすぐにパッと顔を離し、いつもの好々爺の笑顔に戻っていた。

「なーんてな! 熱中症に気をつけろってことだ。水分補給はしっかりな!」

 校長は「頑張れよー!」と大きく手を振ると、軽快な足取りでプレハブ小屋の方へ戻っていった。

 遠くで、作業中の他の部員たちが「あ、校長だ!」「カトーちゃーん!」と手を振り返している。

 俺は呆然とその背中を見送った。

 ――向こう側に深入りするな。

 ――根っこを持っていかれるぞ。

 あれは冗談なんかじゃない。

 フレンドリーな笑顔の裏に隠された、明確な警告だった。

 この人は、知っている。

 このクロユリがどこから来たのかも、俺が昨日どこにいたのかも。

「……やっぱり、ただの人気者じゃない」

 俺は足元のクロユリを見つめ直した。

 風に揺れる黒い花は、まるで俺をあざ笑うかのように、あるいは手招きするかのように、静かに首を振っていた。

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