第45章:灼熱のバッテリーと、消えた魔球
緊急登板依頼
8月25日。夏休みも残りわずかとなったある日の午後。
俺、古田降太は、家の前で巨大な影に捕獲された。
「よう古田! 暇だよな? 暇だろ? よし来い!」
問答無用で俺の腕を掴んだのは、同じ補習合宿の戦友、2組の赤城烈兎だ。
真っ黒に日焼けした顔と、白い歯。THE・野球少年だ。
「ちょ、待て赤城! 俺は今から宿題を……」
「そんなもん後だ! 今、ウチの野球部は『緊急事態』なんだよ!」
赤城に引きずられ、俺は学校のグラウンドへと連行された。
崩壊した守備の要
グラウンドのベンチ裏には、一人の男子生徒が氷嚢で肩を冷やして座り込んでいた。
正捕手の安中くんだ。
「わりぃ赤城……。俺の不注意だ」
安中くんは悔しそうに顔を歪めている。
どうやら、昨日の練習試合でのクロスプレーで、利き肩を痛めてしまったらしい。全治2週間。秋の大会予選には間に合うが、今の練習には参加できない。
「気にすんな安中。怪我は名誉の負傷だ」
赤城はポンと安中の頭を叩くと、俺に向き直った。
「で、だ。控えのキャッチャーもいるんだが……」
赤城が視線を送った先には、ブルペンで腰を抜かしている控え部員たちがいた。
「あいつの球、速すぎて捕れねぇよ……」
「変化球が消えるんだ……無理だ……」
どうやら、赤城の投げる球は「直感型」すぎて軌道が読めず、しかも剛速球のため、慣れていない控え捕手では受けることすらままならないらしい。
「そこで、お前の出番だ、古田!」
「はぁ!? 俺、野球なんて体育でしかやったことないぞ!」
「嘘つけ! 合宿の夜、俺の『火の玉ノック』を完璧に捌いたじゃねーか! お前なら捕れる!」
赤城の目は本気だった。
あの地獄の合宿で培った、生死をかけたキャッチボール。あれを「実戦経験」としてカウントされているらしい。
カオスなナインたち
「おい赤城! そいつが噂の『補習戦士』か?」
集まってきたのは、個性豊かな野球部員たちだ。
• 万座:キャプテンでファースト。山のようにデカい。
• 草津:ショート。温泉のように熱い男。「いい湯加減だぜ!」が口癖。
• 妙義:サード。目つきが鋭く、奇岩のようなゴツゴツした顔立ち。
• 嬬恋:ライト。「愛してるぜー!」とボールに叫ぶ癖がある。
「頼むよ古田くん! 赤城の球を受けられる奴がいないと、打撃練習もできないんだ!」
キャプテンの万座くんが、俺の両手をガシッと握った。圧がすごい。
断れる雰囲気ではない。
「……分かりました。やってみます」
俺は覚悟を決めた。
安中くんから、防具一式を借りる。
プロテクター、レガース、そしてキャッチャーミット。ずしりと重い。
「ありがとう、古田。……赤城の球は、生き物だ。理屈じゃなく、呼吸で捕れ」
安中くんのアドバイスを胸に、俺はホームベースの後ろに座った。
魔球との対話
マウンドには、赤城が立っている。
ボールを握り、ニカっと笑った。
「いくぞ古田! 合宿の成果、見せてみろ!」
赤城が振りかぶる。
そのフォームは、荒削りだがダイナミックだ。
ヒュンッ!!
指先から放たれた白球が、唸りを上げて迫ってくる。
速い。
普通の中学生なら、目にも止まらないだろう。
だが――俺には「視え」た。
(……遅い?)
いや、違う。球は速い。
だが、俺の目は、合宿で「不規則に動く火の玉」を見続けてきた。
それに比べれば、物理法則に従って飛んでくるボールなんて、止まっているも同然だ!
(回転数、空気抵抗、重力……軌道予測、完了!)
与市先生に叩き込まれた数式が、脳内で瞬時に弾道を描く。
俺はミットを、予測地点に置いた。
ズバァァァァァァン!!!!
乾いた爆音が響き渡る。
俺の手のひらに、焼き付くような衝撃が走る。
「……捕った」
ミットの中に、ボールが収まっていた。
「すげぇ!!」
「マジかよ!? いきなり赤城の全力投球を!?」
黒保根くんや水上くんたちベンチメンバーが総立ちになる。
「へへっ、やっぱりな!」
赤城が嬉しそうに帽子を直した。
「ナイスキャッチだ古田! お前、最高の相棒になれるぜ!」
熱い放課後
それからは、夢中だった。
赤城の投げる球は、カーブ、スライダー、そして消えるようなフォークと、多彩だった。
だが、その全てに「意思」があった。
『打たせてやるか』『ここ一番の勝負だ』。
そんな赤城の声が、ボールを通して聞こえてくる。
俺は、それを必死に受け止めた。
手は痺れ、汗で前が見えなくなる。
でも、楽しかった。
「一日一善」とか「世界の危機」とか関係ない。ただ、白球を追いかけるだけの単純な時間。
「ラスト一球!」
赤城が吠える。
俺もミットを叩いて応える。
「来い!!」
最後の一球は、ど真ん中のストレート。
俺たちの夏休みを締めくくるような、最高の剛速球だった。
ズバンッ!!
「ナイスボール!!」
練習終了のサイレンが鳴り響く。
俺はその場に大の字に倒れ込んだ。
「ははっ、古田、大丈夫か?」
赤城が手を差し伸べてくる。
俺はその手を掴んで起き上がった。
「……キツいよ。これ、毎日やってるのか?」
「おうよ。これが俺たちの青春だ」
赤城と、安中くん、そして万座キャプテンたちが俺を囲んで笑っている。
そこには、裏世界のカオスも、死神の事情もない。
ただの、汗臭くて眩しい、男子中学生の日常があった。
「古田、また頼むな!」
「次は俺の球も受けてくれよ!」(ピッチャー志望の宝台樹くん)
「データ分析官としてスカウトしたいね」(マネージャーの猿渡くん)
俺は苦笑いしながら頷いた。
どうやら、また新しい「居場所」が増えてしまったようだ。
帰り道。
腫れ上がった左手を見ながら、俺は少し誇らしい気持ちで家路についた。
この手の痛みは、確かに俺が「生きて、青春をした」証だったからだ。




