第43章:迎え火の客と、花畑のお茶会
視えていた真実
8月13日。お盆の入り。
古田家では、朝から迎え火の準備に追われていた。
「よし、キュウリの馬と、ナスの牛。完璧だ」
父さんが満足そうに精霊馬を飾る。
祖母は仏壇の前で祝詞を上げ、タマさんはお供えの鰹節を狙っている。
線香の煙が立ち込める中、縁側の風鈴がチリンと鳴った。
「ただいまー! いやぁ、今年の馬は速かったわ!」
元気な声と共に、母さんがリビングに入ってきた。
登山用のリュックを背負い、日焼けした笑顔。生前と変わらない、エネルギーの塊のような母さんだ。
「おかえり、母さん」
俺は自然に返事をして、ハッとした。
(……あれ?)
今まで、お盆に母さんが帰ってくるのは、祖母がすごい術を使って「見せてくれている」のだと思っていた。
だが、今の祖母は背中を向けてお経を読んでいるだけだ。父さんには母さんの姿は見えておらず、ただ遺影に微笑みかけている。
「……そっか」
俺は自分の手を見た。
祖母に言われた『プロの領域に片足突っ込んでる』という言葉。
俺はずっと、自力で母さんの霊体を、実体と同じように「視て」いたのだ。
母の勘違い(気ぶり)
「あら、降太! 背が伸びたわねぇ!」
母さんは俺に抱きついた。霊体だけど、温かいような気がする。
そして、くんくんと鼻を鳴らした。
「ん? あんた……なんか『いい匂い』がするわね」
「え? 汗臭い?」
「違うわよ。……お花の匂い。それも、こっちの世界の花じゃない、深くて甘い、彼岸花の蜜のような香り……」
母さんはニヤリと笑い、俺の顔を覗き込んだ。
「へぇ~。あんた、『あちら側』に彼女ができたの?」
「ぶっ!!」
俺は麦茶を吹き出した。
「ち、違うよ! 部活の先輩だよ!」
「はいはい、先輩ね。……ふふん。父さんに似て巻き込まれ体質のくせに、隅に置けないわねぇ」
母さんは「青春だわぁ」と一人で盛り上がっている。
この行動力と妄想力、間違いなく俺の母だ。
クッキー枯渇と、悶絶ワープ
翌日、8月14日。
俺は自分の部屋で青ざめていた。
「やばい……在庫がない」
机の引き出しに入れていた、例の「魂の胡麻入りクッキー(存在力保持剤)」の瓶が空っぽだったのだ。
この夏休み、補習合宿や霊道掃除で裏世界に入り浸りすぎたせいで、俺の魂はかなり摩耗している。
このままでは、存在が希薄になって消えてしまうかもしれない。
「補充しなきゃ!」
俺はリュックに、小麦粉と砂糖、そして黒胡麻(代用品)を詰め込み、旧校舎へと走った。
百葉箱を経由して材料を送り、櫻子先輩に作ってもらうしかない。
旧校舎の裏。
お盆で境界が薄くなっているとはいえ、ワープには「死の危険(と脳が誤認する衝撃)」が必要だ。
俺は百葉箱の前に立った。覚悟を決める。
「……いくぞ」
俺は、勢いよく右足を振り出し、百葉箱のコンクリートの土台の角に、足の小指をフルスイングで叩きつけた。
ガッッッ!!!!
「ぎゃああああああああああっ!!!」
声にならない絶叫。
脳天を突き抜ける激痛。脳が「死ぬ!指が死んだ!」とパニックを起こす。
視界が白く弾け飛ぶ。
誰もいない花畑
「……うぅ……指が……」
目を開けると、痛みの余韻で涙目になりながら、俺は地面に転がっていた。
しかし、そこはいつもの園芸部ではなかった。
旧校舎そのものが、ない。
そこにあったのは、見渡す限りの青い紫陽花と白いチューリップの花畑だった。
空にはオーロラのような光が揺らめき、地面はどこまでも続く花の海。
建物はおろか、人工物が何一つない。
「これが……本来の姿?」
加藤先生(校長)はお盆で現実の行事が忙しく、こちらに来ていないのだろう。
「学校への執着」を持つ彼がいない裏世界は、櫻子先輩の心象風景である「花畑」だけになるのだ。
「先輩! 櫻子先輩!」
俺は腰まである花をかき分けて進んだ。
しばらく歩くと、花畑の中央に、ポツンと置かれた白いテーブルセットが見えた。
そこに、いつもの制服姿の櫻子先輩が座っていた。
「あら、ふるふる君。お盆なのに、どうしたの?」
先輩は、何もない空間で優雅に紅茶を飲んでいた。
「先輩、その……クッキーが切れそうで。……あと、小指が痛いです」
「まあ、大変。うっかりさんね」
先輩はバスケットから、最後のストックが入った袋を取り出した。
「はい、お裾分け。これでなんとか持ちこたえなさい」
「ありがとうございます! 生き返った……」
俺はその場でクッキーをかじった。
体に戻る重力。
しかし、周りを見渡しても花しかない。
「先生がいないと、本当に何もないんですね」
「ええ。静かでいいでしょう? ここは私の『箱庭』だもの」
先輩は寂しそうに、けれど満足そうに笑った。
招かれざる客(母)
その時だった。
「わあぁぁぁ! すごーーい!!」
花畑の向こうから、歓声が聞こえた。
この声は。
「えっ、嘘だろ」
花をかき分けて走ってきたのは、登山リュックを背負った母さんだった。
「降太! あんた、こんないい場所知ってたの!? まるで天国じゃない!(※死後の世界に近いので当たらずとも遠からず)」
「母さん!? なんでここに!」
「だってお盆だもの! 境界なんて開けっ放しよ! お線香の匂いを辿ってきたら、すごいいい匂いがしたから!」
母さんは俺の横まで来ると、テーブルに座る櫻子先輩を見て、ピタリと止まった。
「……あなたが」
母さんの目が、先輩をじっと見つめる。
狩人の目だ。
「あなたが、降太から匂っていた『お花の人』ね?」
櫻子先輩は、突然の来訪者に驚き、目を丸くしている。
幽霊である彼女にとっても、他人の(しかも死んだ)母親がやってくるのは想定外だろう。
「……ええと、あなたは?」
「初めまして! 降太の母です! いつも息子がお世話になってます!」
母さんは、先輩の手をガシッと両手で握りしめた。
「こ、これは丁寧なご挨拶を……。西野園櫻子と申します」
先輩は困惑しながらも、育ちの良さで優雅にお辞儀を返した。
そして、まじまじと母さんの顔を見て、それから俺を見た。
「……なるほど。ふるふる君のお母様ですか。目元がそっくりね」
「よく言われます! ……それにしても綺麗な人ねぇ。それに、この花畑。あなたの『魂』そのものなんでしょ? 凄まじいエネルギーだわ。私、こういうの大好きよ!」
母さんはフィールドワーク魂に火がついたようで、キョロキョロしている。
「あら。……ふふっ、ありがとうございます」
先輩が、嬉しそうに笑った。
死者(母さん)と、亡者(先輩)。
そして、その狭間にいる俺。
奇妙な三人のお茶会が始まった。
「ねえ櫻子さん。この花、押し花にしてもいい?」
「ええ、構いませんわ。でも、あちらへ持ち帰ると消えてしまうかも」
「大丈夫、父さんに任せるわ! あいつなら何とかする!」
母さんは豪快に笑い、先輩は上品に微笑む。
花畑の真ん中で、俺の「二人の大切な女性」が楽しそうに話している。
俺はクッキーをかじりながら、この不思議で優しい光景を、しっかりと目に焼き付けた。
お盆の魔法が解けるまで、もう少しだけ、この時間を楽しもうと思った。




