第42章:祖母のスパルタお盆支度と、真昼の霊道掃除
帰宅即、解体ショー
「ただいまー……」
午前9時。
父さんの運転で家に帰り着いた俺は、強烈な睡魔と共に玄関をくぐった。
朝4時起きのアウトドアは、インドア派の俺には堪える。
「よし、降太。俺はすぐに魚を捌くぞ。アジは鮮度が命だからな」
父さんは元気だ。クーラーボックスを抱えて台所へ直行する。
これからナメロウと刺し身の下ごしらえをするらしい。料理好きな父さんにとって、ここからが本番だ。
「俺は……ちょっと寝る……」
手伝いたいのは山々だが、限界だ。
俺はフラフラと階段に足をかけた。泥のように眠りたい。
その時だった。
「お帰り、降太。大漁だったねぇ」
背後から、凛とした声がした。
振り返ると、作務衣姿の祖母が、腕組みをして仁王立ちしていた。
足元には、二股尻尾の三毛猫、タマさんが「ニャー(逃げられると思うなよ)」という顔で控えている。
「あ、ばあちゃん。ただいま。……寝ていい?」
「ダメだ」
即答だった。
祖母は俺に近づくと、潮の香りがする俺の肩をパパン!とはたいた。
ドス黒い煤のようなものが霧散する。
「水場は霊が集まりやすいんだよ。まったく、油断も隙もないねぇ」
祖母は俺の顔を覗き込んだ。
「目が冴えちまっただろう? ちょうどいい。これから『仕事』に行くよ。父さんは魚の処理で手一杯だ。荷物持ちはお前しかいない」
「ええっ!? 無理だよ、眠くて死ぬ……」
「甘ったれるんじゃないよ。もうすぐお盆だ。霊道の大掃除をしなきゃ、ご先祖様が迷子になっちまう。行くよ!」
拒否権はない。
俺の「安眠の日曜日」は、海の藻屑と消えた。
スポット1:峠のお地蔵様
軽トラの助手席に乗せられ、ガタゴトと揺られること数十分。
やってきたのは、山奥の峠道だった。
そこには、苔むして顔も分からないほど汚れた、古いお地蔵様が並んでいる。
「降太。タワシとバケツだ」
「へい……」
蝉時雨が降り注ぐ中、俺は汗だくでお地蔵様をゴシゴシと洗い始めた。
祖母はその後ろで、祝詞を上げている。
「いいかい降太。こういう『境界』にある石仏はね、あの世とこの世の信号機みたいなもんだ。汚れてると、霊が止まれなくて事故を起こす」
「へぇ……」
ゴシゴシ。
苔を落とし、水をかけると、お地蔵様が「ふぅ、さっぱりした」と笑った気がした。
「……ふん。少しはマシな顔になったね」
祖母が満足そうに頷く。
しかし、労働はまだ終わらない。
スポット2:古井戸の交渉
次は、廃村にある古井戸だった。
昼間なのに、ここだけ気温が5度くらい低い。空気が重い。
「ここは少し厄介だよ。水神様がへそを曲げてる」
祖母は塩と日本酒を取り出した。
「降太。あんたの『視る目』を使いな。井戸の底に、何が見える?」
俺はおそるおそる井戸の中を覗き込んだ。
暗い水面。その奥に、歪んだ金属の影が見える。
「……自転車? 不法投棄ですかね」
「やっぱりね。ゴミが神様の喉に詰まってるんだよ」
祖母は溜息をついた。
「私が神様を宥めている間に、あんたが引き上げな。……ほら、ロープ!」
「えええ!?」
結局、玄田部長(ボランティア部)直伝のロープワークを駆使し、俺が井戸に降りる羽目になった。
ヘドロにまみれながら自転車を引き上げると、井戸の空気がスッと軽くなった気がした。
「よくやった。……ま、父さんの『巻き込まれ体質』も、こういう時には役に立つねぇ」
祖母はニヤリと笑い、俺に冷たいお茶をくれた。
スポット3:商店街の結界メンテナンス
山を降りて、最後は地元の商店街だ。時刻は午後3時を回っている。
第19章で、俺たちが紫陽花を植えたタバコ屋の前。
「おお、咲いてる咲いてる」
祖母は、真夏の盛りにも関わらず青く輝く紫陽花を見て、目を細めた。
あの時、パラレルワールドから移植した紫陽花は、強力な霊的バリアとして機能し続けている。
「櫻子さんの花だね。……いい仕事してるよ、あの娘は」
祖母がボソリと言った。
「ばあちゃん、櫻子先輩のこと、認めてるの?」
「ふん。死人が生者の領域に干渉するのは感心しないがね……。あの娘の『花』には、邪気がない。純粋な『守り』の力だ」
祖母は、紫陽花の根元に水をやりながら言った。
「あんたが入れ込むのも、分からなくはないよ」
「……!」
「だがね、降太。深入りしすぎるんじゃないよ」
祖母の声が、急に厳しくなった。
「あの娘は『あちら側』の住人だ。あんたは『こちら側』の人間だ。境界線を踏み越えれば、戻れなくなる。……あの時の、あんたの母さんみたいにな」
「母さん?」
俺は驚いた。母さんは病気で亡くなったはずだ。
「あいつもね、不思議なものが大好きで、あちこち首を突っ込んでた。……その『好奇心』が、寿命を縮めたのかもしれないと、私は時々思うんだよ」
祖母は寂しそうに笑った。
「だから、あんたには『迷子紐』をつけたんだ。……父さんを、また一人にするんじゃないよ」
二つの愛の食卓
夕方。
全ての用事を済ませて家に帰ると、家中が良い匂いで満たされていた。
「おかえり。ちょうど出来たぞ」
エプロン姿の父さんが迎えてくれた。
食卓には、朝釣ったアジのナメロウ、クロダイの刺し身、そして粗汁が並んでいる。
「うわぁ……豪華!」
「お疲れさん。こっちは私からの差し入れだよ」
祖母が、重箱をドンと置いた。
中身は特上のウナギだ。
「精をつけな。明日はまた補習だろう?」
「……あ、忘れてた」
俺たちは食卓を囲んだ。
父さんの繊細な魚料理と、祖母の豪快なスタミナ料理。
そして、今はいない母さんの思い出話。
「うまい!」
俺は夢中で箸を動かした。
体力も気力も限界だったが、腹の底から力が湧いてくる。
父さんの「優しさ」と、祖母の「強さ」。両方を受け継いでいる俺なら、きっと大丈夫だ。
その夜。
俺は泥のように眠った。
夢の中で、13歳の櫻子先輩と、若い頃の母さんが、並んで笑っている夢だった。
二人はどこか似ていて、そして俺に向かって「がんばれ」と手を振っている気がした。




