第33章:精神と時の園芸部と、進まない期末テスト
逃避先は異世界
6月も半ばを過ぎ、現実世界では嫌なイベントが迫っていた。
期末テストだ。
「やばい。全然範囲終わってない……」
放課後の教室。俺は教科書の山を前に頭を抱えていた。
七不思議だの、コア探しだの、中華飯店のキティ先輩だのにかまけていて、学生の本分を完全におろそかにしていた。
家ではテレビの誘惑があるし、図書室は満席。
どこか、静かで、時間がたっぷりと使える場所はないものか……。
「……あるじゃん」
俺はひらめいた。
旧校舎の裏。あちら側の世界。
園芸部だ。
あそこなら、基本的に櫻子先輩しかいないし、静かだ。それに、なんとなく体感時間が長い気がする。
「よし、あそこで集中合宿だ!」
俺は参考書とノートをリュックに詰め込み、旧校舎の裏へと走った。
意図的にワープするのは少しコツがいるが、テストへの恐怖心(単位を落とす=死)をトリガーに、俺は裏世界へとダイブした。
発見! 魔法の空間
目を開けると、いつもの園芸部だった。
窓の外は、永遠に続くような穏やかな夕暮れ。
「あら、いらっしゃい。今日は荷物が多いわね」
櫻子先輩が、じょうろを片手に迎えてくれた。
テラスでは、加藤先生(25歳バージョン)が筋トレをしている。
「先輩、場所借ります! 今日はガチで勉強しに来たんで!」
俺はテーブルの端を陣取り、参考書を広げた。
ふと、壁にかかっている古時計を見る。
俺がここに来てから、体感で30分くらい準備をしていたつもりだったが、針は5分しか進んでいない。
「……あれ?」
俺は腕時計と見比べた。やはり、進みが遅い。
現実世界の時計よりも、こっちの時間は明らかにゆっくり流れている。
「すごい……! ここ、時間の流れが遅いんだ!」
俺は興奮して立ち上がった。
「これって漫画で言う『精神と時の部屋』じゃないですか! 1時間勉強しても、現実じゃ数分しか経ってないってことですよね!?」
「あら、気づいたの?」
先輩は優雅に微笑んだ。
「ええ。ここは想いの強さで構成された世界だもの。時間の密度も、現実とは違うわ」
「勝った! これでテスト範囲なんて余裕で終わる!」
俺は勝利を確信し、シャーペンを握りしめた。
しかし、俺は忘れていた。
この部屋には、勉強よりも強力な誘惑(妨害)が存在することを。
第一次妨害:魔女のティータイム
「よし、まずは数学の因数分解……」
カリカリカリ……。
静寂の中、シャーペンの音だけが響く。集中できている。いいぞ。
コトッ。
目の前に、湯気の立つティーカップが置かれた。
「どうぞ。勉強のお供に、特製のハーブティーよ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
一口飲む。美味い。
そして、目の前に三段重ねのケーキスタンドが置かれた。
スコーン、サンドイッチ、マカロン。本格的なアフタヌーンティーセットだ。
「……先輩? これは?」
「糖分補給は大事でしょう? さあ、召し上がれ」
先輩が、ニコニコしながらマカロンを俺の口元に突きつけてくる。
「いや、ありがたいんですけど、手が汚れると……むぐっ」
「美味しい?」
「……おいひいです」
「よかった! じゃあ次はスコーンね。ジャムとクロテッドクリーム、どっちがいい?」
「いや、あの、因数分解が……」
「あら、数字なんていつでも見れるわ。でも、焼きたてのスコーンは今しか味わえないのよ?」
先輩の理屈は無茶苦茶だったが、その笑顔とスコーンの香りに抗える中学生男子はいなかった。
気づけば30分(現実時間換算で数分)、俺は優雅なお茶会を楽しんでいた。
第二次妨害:冒険家の地理講義
「ふぅ……美味しかった。よし、次こそ社会だ」
俺は地理の教科書を開いた。
範囲は「世界の気候区分」。
「ほう、地理か。懐かしいな」
背後から、汗を拭きながら加藤先生が覗き込んできた。
「先生、邪魔しないでくださいよ。ここ、テストに出るんです」
「アマゾン川流域の熱帯雨林気候か。……ふっ、甘いな」
先生は教科書の写真を指差して鼻で笑った。
「教科書には『高温多湿』としか書いてないがな、実際の現場はそんな生易しいもんじゃないぞ。俺が行った時は、湿度120%で呼吸するたびに肺が溺れるかと思った」
「えっ、そうなんですか?」
「ああ。それに、ここの川にはピラニアだけじゃない、巨大なカンディルという魚がいてな……」
先生の目が冒険家のそれになった。
「いいか少年。テストに出るのは『記号』かもしれないが、本当に大事なのは『生存知識』だ。俺がアマゾンの奥地で遭遇した、部族との命がけの交渉術を教えてやろう」
「へぇー! すごい!」
「まず、挨拶代わりにマチェットを地面に突き刺すんだ。これが友好の証だ」
「物騒すぎません!?」
いつの間にか、俺はペンを置き、先生の壮大な冒険譚に聞き入っていた。
面白い。教科書の百倍面白い。
だが、テストには一問も出ない知識ばかりが増えていく。
終わらない放課後
「……はっ! いけない! もうこんな時間……あれ?」
時計を見る。
体感では3時間くらい経った気がするが、針はまだ30分しか進んでいない。
「……進まない」
時間が、遅すぎる。
なぜか3人が揃ったこの空間は、かつてないほど時間の流れが淀んでいるように感じた。
「まだ時間はたっぷりあるわよ、ふるふる君。次は英語ね? 私が発音を見てあげるわ」
「俺は体育を教えてやろう。廊下で匍匐前進の練習だ」
二人が、目を輝かせて俺に迫ってくる。
逃げ場はない。
「ち、違います! 俺がやりたいのは、自習なんですーっ!!」
俺の悲鳴が、遅延した時間の中に吸い込まれていく。
結局、俺はその後、体感で半日近く、二人に構い倒された。
櫻子先輩による「シェイクスピアの呪いの解釈(英語)」と、加藤先生による「アマゾン式護身術(体育)」だけは完璧になったが、肝心の数学と理科は白紙のままだった。
「……もう、帰ります」
俺はゲッソリして立ち上がった。
脳みそがパンクしそうだ。
「あら、もう? まだまだ時間はあったのに」
「残念だ。次は『極寒の地での火起こし』を教えるつもりだったんだが」
二人は名残惜しそうに手を振った。
「へっ、くちゅん!!」
現実世界。
旧校舎の裏庭に戻った俺は、夕焼け空を見上げた。
「……まだ、5時かよ」
時計を見ると、あっちに行ってから現実では1時間しか経っていなかった。
だが、俺の疲労感は、徹夜明けのように重い。
「密度が……濃すぎる……」
俺は重たいリュックと、無駄に増えたサバイバル知識を抱え、フラフラと家路についた。
園芸部は確かに「精神と時の部屋」だった。
ただし、精神がゴリゴリに削られるという意味で。
今回のテストは、諦めた方がいいかもしれない。




