第32章:中華飯店の令嬢と、秘密のキティ
ボランティア部の深窓の令嬢
土曜日の全校集会騒動から明けて、火曜日。
放課後、俺は自分の所属するボランティア部の部室(家庭科室の端)にいた。
今日の活動目標は「ベルマークの仕分け」だ。地味だが、これも立派な一日一善である。
「古田さん。こちらの点数計算、終わりましたわ」
向かいの席から、鈴を転がすような声がした。
同じボランティア部員で、一学年上の本田子猫先輩だ。
窓際で紅茶を飲みながらベルマークを切る姿は、まるでフランス貴族のサロンのよう。
その名前のインパクトと、それに見合わぬ(?)深窓の令嬢のような佇まいで、密かに有名な「学園のマドンナ」だ。
「ありがとうございます、本田先輩。仕事早いですね」
「これくらい、嗜みですわ。……よろしければ、古田さん。紅茶はいかが?」
先輩の所作は完璧だ。背筋はピンと伸び、制服の着こなしも清楚そのもの。
俺みたいなヨレヨレの1年坊主にも、「さん」付けで丁寧に接してくれる、まさに理想の先輩だ。
「いえ、今日は遠慮しときます。この後、校長先生に呼ばれてて」
「校長先生? まあ、古田さんは顔が広いですのね」
先輩はふわりと微笑んだ。
その笑顔は、静やかで気品に満ちていた。
「では、ごきげんよう。また明日」
先輩は優雅に部室を後にした。
まさかこの数時間後、憧れの先輩の**「もう一つの顔」**を目撃することになるとは、夢にも思わなかった。
校長先生の奢り
校門を出ると、派手なアロハシャツにサングラスの老人が立っていた。
加藤校長だ。
「よう少年。腹は減ってないか?」
「校長先生……また生徒を待ち伏せですか?」
「人聞きが悪いな。今日は『コア探し』の決起集会だ。旨い店を見つけたから、奢ってやる」
校長先生(中身は25歳の冒険家)は、ニカっと笑った。
タダ飯なら断る理由はない。俺は素直についていくことにした。
案内されたのは、駅前の商店街から少し外れた、活気のある中華料理店だった。
赤い看板に、金色の文字で**『満腹楼』**と書かれている。
「ここのチャーハンは絶品だぞ。行くぞ」
ガララッ!
先生が勢いよく引き戸を開けた。
「いらっしゃいませーっ!!」
「アイヨ! 二名様ごあんなーい!」
店内は湯気と、中華鍋を振る音、そして店員たちの元気な怒号が飛び交う、まさに戦場のような活気に満ちていた。
爆走! 中華娘
「こちらへどうぞっ!」
俺たちを席に案内したのは、お団子ヘアに赤いエプロンをした、小柄な看板娘だった。
動きがキレッキレだ。
お冷を置く動作も、注文を取る構えも、カンフーの達人のような無駄のなさ。
「ご注文はっ!」
元気よくメモを構える彼女の顔を見て、俺は固まった。
「……えっ?」
その顔は、さっきまで部室で優雅に紅茶を飲んでいた、本田子猫先輩に瓜二つだったからだ。
でも、雰囲気が違いすぎる。
さっきまでの「ごきげんよう」という優雅さは微塵もない。「ッシャア!」という気合が全身から溢れている。
(……本田先輩? いや、まさか……あんなお嬢様が……)
俺がジロジロ見ていると、彼女も俺の顔を見て、ピタリと動きを止めた。
「…………あ」
彼女の目が泳いだ。
明らかに動揺している。俺のことを認識している。
そして、彼女はとっさに、変な裏声を出した。
「ご、ごちゅーもんは、なんでごじゃるか~?」
「……え?」
「語尾がおかしいぞ、ねーちゃん」
校長先生は全く気づいていない様子で、メニューを指差した。
「チャーハン大盛りと、餃子三人前。あと少年にはラーメンセットだ」
「ア、アイヨ! チャーハン大盛り、餃子サン、ラーメンセット一丁ォ!」
彼女は逃げるように厨房へダッシュしていった。
その背中には、冷や汗が見えた気がした。
ギリギリの攻防戦
「なあ、先生。あの店員さん……」
「ん? 元気が良くていい子じゃないか。この店の娘さんらしいぞ」
先生は気楽にザーサイを齧っている。
俺は厨房の方を盗み見た。
カウンターの奥から、さっきの看板娘が、お玉を盾にしてこちらを伺っているのが見える。
(やっぱり、本田先輩だ……!)
先輩にとって、学校での「深窓の令嬢キャラ」は、絶対に守りたいアイデンティティなのだろう。
実家が脂ぎった中華屋で、自分が「へいお待ち!」と叫んで働いているなんて、後輩には死んでも知られたくないに違いない。
料理が運ばれてきた。
彼女は、伊達メガネをかけ、さらにマスクをして現れた。完全武装だ。
「お、お待たせしま、した……」
声を極力低くして、ラーメンを置く。
その手は震えている。
「あ、ありがとうございます……」
俺が恐る恐るお礼を言うと、
「アイヨッ!」
条件反射で元気よく返事をしてしまい、彼女は「ハッ!」と口を押さえた。
「あ、いや……イエス、サー……」
迷走している。
俺は笑いを堪えるのに必死だった。
部活の時は完璧な先輩もいいが、このテンパっている姿も、親しみやすくて可愛いじゃないか。
最後の最後で
食事は最高に美味しかった。
校長先生も「うむ、いい仕事だ」と満足げに腹をさすっている。
「ごちそうさん。釣りはいらねえよ」
先生がレジでかっこよく代金を置く。
本田先輩(変装中)は、レジ打ちをしながら、早く帰れとばかりに高速で頭を下げた。
「ありあとやしたー(ありがとうございましたー)」
バレなかった。
彼女の安堵の表情が見て取れる。
俺も、このまま気づかないふりをして帰ろうと思った。同じ部活の後輩としての情けだ。
俺たちが店のドアを開け、外に出ようとした、その時だった。
厨房の奥から、太った店主(お父さん)の野太い声が響き渡った。
「おーい! キティ! 3番テーブル片付けろー!」
空気が凍った。
俺と校長先生は、同時に振り返った。
店主はもう一度、はっきりと叫んだ。
「聞いてんのか、キティ! お前だよ、本田キティ!」
「…………」
レジの前で、伊達メガネの少女が石化している。
「キティ」という、キラキラネーム……いや、可愛らしい名前。
そして「本田」という苗字。
校長先生がサングラスをずらした。
「……ん? 今、キティと言ったか? もしかして君、うちの2年の本田君か?」
俺も観念して言った。
「……バレてますよ、先輩」
彼女は、ゆっくりとメガネとマスクを外した。
その顔は、茹でたエビチリのように真っ赤に染まっていた。
「……う、ううぅ……」
彼女は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
「あいやーーーっ!!(中国語で『なんてこった』の意)」
店内に、悲痛な、しかしどこか元気な中華娘の絶叫が響き渡った。
こうして、ボランティア部の清楚な令嬢・本田キティ先輩の秘密は、食欲旺盛な校長と、同じ部活の後輩によって、あえなく陥落したのだった。




