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第26章:放課後ダンジョンと、プールサイドの深淵


出不精な魔女


 6月11日、水曜日。

 放課後。俺は「風船ロシアンルーレット」による強制ワープを経て、園芸部の床に転がっていた。

「痛っ……。今回は2発目だったか」

 頭をさすりながら起き上がると、いつもの教室には櫻子先輩しかいなかった。

 先輩はハンモックに揺られながら、優雅にファッション誌(昭和の)を読んでいる。

「あれ、先輩。加藤先生は?」

「加藤ちゃんなら『資源採掘』に行ったわよ。ほら、今日は特異日だから、校舎の奥まで道が繋がってるの」

「採掘……?」

 俺は窓の外を見た。

 いつもの霧が晴れ、校舎の向こう側に、見たこともない「歪んだ渡り廊下」が伸びているのが見える。

「面白そうですね。先輩は行かないんですか?」

「嫌よ。歩くの疲れるもの」

 先輩は即答し、ページをめくった。

「勘違いしないでね。私はこの学校の地縛霊だから、校内ならどこへでも行けるわ。でもね、今の校舎の奥はジメジメしてるし、カビ臭いし、日焼けしそうだし。……パスよ」

 徹底したインドア派だ。

 でも、その「面倒くさい」という理由がいかにも先輩らしい。

「ま、加藤ちゃん一人じゃ荷物持ちが大変そうだし、手伝ってあげたら? お土産期待してるわよ」

 先輩に追い払われるようにして、俺は教室を出た。


異界の回廊


 園芸部を出て、歪んだ渡り廊下を進む。

 そこは、まるでコラージュ写真のような空間だった。

 床は木造だったり、コンクリートだったり、急に砂利道になったりする。壁には歴代の卒業制作らしき絵画が脈絡なく飾られ、窓の外には極彩色のジャングルが広がっている。

「よう少年! 来たか!」

 廊下の先で、加藤先生が手を振っていた。

 背中には巨大なリュック、腰にはマチェット、手には……釣り竿?

「先生、その格好は……」

「探検の基本装備だ。ここは現実の学校の『記憶』や『感情』が堆積してできたダンジョンだ。何が出るか分からんぞ」

 先生はニカっと笑い、俺の手首を見た。

「ほう、**『迷子紐』**か。いいモン持ってるな。それがありゃ、少し奥まで踏み込んでも魂が千切れねえ。ついて来い!」


忘却のプール


 俺たちがたどり着いたのは、プールだった。

 だが、そこにあるのは水ではない。

 ドロリとした、黒いインクのような液体で満たされた、底なしの深淵だった。

「うわ、真っ黒……」

「ここは『忘却の海』だ」

 先生はプールサイドに折りたたみ椅子を置き、釣り糸を垂らした。

 時折、水面から「忘れないで……」「かえりたい……」という微かな声(泡)が浮かんで弾ける。

 少し切ない場所だ。


ヌシの襲来


 その時。

 ズズズッ……。

 プールの水面が大きく盛り上がった。

「来たぞ! 大物だ!」

 先生が竿をしならせる。だが、引きが強すぎる。

「ぬおおおッ! こいつはデカい! 少年、手を貸せ!」

「はい!」

 俺も加勢して竿を掴む。

 バシャァァァァッ!!!

 黒いしぶきを上げて、水面から巨大な怪物が飛び出した。

 それは、スクールバスほどもある**「金魚」**だった。

 ただし、鱗は錆びた金属のように硬く、目は白く濁り、口からは鋭い牙が覗いている。

「デメキン!? いや、デカすぎでしょ!」

「こいつは歴代の飼育係に死なせられた金魚たちの集合霊だ! 『ヌシ』だぞ!」

 金魚の怪物は、空中で身をよじり、俺たちに向かって突進してきた。

「チッ、釣り上げる前に食われるか!」

 先生がマチェットを抜くが、刃が鱗に弾かれる。

「くそっ、暴れすぎて急所が狙えねえ! 少年、動きを止めろ!」

「えっ!?」

「お前の『目』と『ムチ』を使え! 特訓の成果を見せろ!」


連携:ムチと視線


 先生の言葉に、俺は覚悟を決めた。

 腰の「愛の鞭」を抜く。深呼吸。

 見るんだ。ただの金魚じゃない。その動きの「流れ」を。

 俺の目に、金魚の周囲を流れる空気の歪みがスローモーションのように映った。

 そこだ。

「……止まれッ!!」

 俺は全身全霊の言霊を込めて、ムチを振るった。

 ピシィッ!!!

 ムチの先端が、金魚の鼻先を正確に捉え、空気を裂く破裂音を響かせた。

 その瞬間。金魚の巨体が、空中でピタリと硬直した。

「ナイスだ少年!!」

 先生が跳んだ。

 空中で体を捻り、動けない金魚の眉間にある「ひときわ大きな鱗」に、マチェットを突き立てる。

「眠りな! 供養してやる!」

 ズドォォン!!

 一撃必殺。金魚の怪物は、光の粒子となって弾け飛んだ。


漂着物


 バラバラと、空から大量の何かが降ってきた。

 それは、色とりどりのビー玉だった。

 金魚の怪物が浄化され、純粋な「綺麗な思い出」の結晶に戻ったのだ。

「大量大量! こいつは上玉だぞ」

 先生は嬉しそうにビー玉を拾い集めた。

 俺も手伝おうとして、ふと、プールの縁に引っかかっている「何か」を見つけた。

 金魚が暴れた拍子に、底から巻き上げられたものだ。

「……なんだこれ?」

 それは、手のひらサイズの**「石板の欠片」だった。

 古びているが、人工的な幾何学模様が刻まれている。

 よく見ると、それは「階段」の絵のようにも、「無限に続く輪」**のようにも見えた。

「先生、こんなものが」

「ん? ……ほう。こいつは珍しい」

 先生は石板を受け取り、真剣な顔で撫でた。

「これは『アーティファクト』の残骸だ。しかも、この学校の構造そのものに関わるような……古い時代のものだな」

「構造……?」

「まあいい。これも収穫だ。櫻子に見せてみよう」


エピローグ


 園芸部に戻ると、櫻子先輩が待ち構えていた。

「あら、お帰りなさい。泥だらけね」

 先輩は、俺たちが持ち帰った大量のビー玉を見て、目を輝かせた。

「わあ、綺麗! これなら良い『心の保養』になるわ。……で、そっちの汚い石は?」

 先輩は、先生が拾った石板の欠片を指差した。

「プールの底にあった。……櫻子、これに見覚えは?」

「……さあ? ただの瓦礫じゃない?」

 先輩は興味なさそうに首を振ったが、その瞳が一瞬だけ、鋭く細められたのを俺は見逃さなかった。

(……先輩、何か知ってる?)

 だが、追求する間もなく、鼻がムズムズしてきた。

 冒険の終わりだ。

「へっ、くちゅん!!」

 現実世界。

 俺は旧校舎の裏庭の草むらで、ガバッと起き上がった。

 あたりは既に夕闇に包まれ、カラスの鳴き声が響いている。

 制服は土と草で汚れていた。放課後からずっとここで気絶していたのだ。

「……戻ったか」

 俺はパンパンと服を払い、大きく伸びをした。

 あちらの世界での冒険が嘘のように、静かな放課後だ。

 だが、体の節々には心地よい疲労感が残っている。

「帰ろう」

 俺はリュックを背負い、家路についた。

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