第23章:ため息の暴風雨と、筋肉デート作戦 第24章:愛の重力崩壊と、砕け散る鏡
この話長いなーって思っていたらふたつの章が統合してたのねー
ダブルヘッダーって事でよろしくたのむよ<(_ _)>
低気圧ガール
6月6日、金曜日。
梅雨入りした空と同じように、ボランティア部の部室(家庭科室の端っこ)は、重苦しい湿気に包まれていた。
「……はぁ」
顧問の山口綾華先生が、窓の外の雨を見ながら溜息をついた。
「……はぁぁ」
深い。深すぎる。
その溜息一つで、室内の気圧が5ヘクトパスカルくらい下がった気がする。
「先生、どうしたんですか? 空き缶の回収率が悪かったですか?」
俺が空き缶を潰しながら尋ねると、先生は潤んだ瞳で俺を見た。
「違うの、古田くん。……角田先生よ」
「角田先生がどうかしましたか? また何か壊したとか?」
「ううん。逆よ。……何もしてくれないの」
山口先生はガクリと項垂れた。
「あの一件(第7章の落下受け止め事件)以来、確かに目は合うようになったし、挨拶もしてくれるわ。でも……それだけなの! もう二週間も経つのに、一度も食事にすら誘われないのよ!」
「ああ……」
俺は察した。
あの二人は両思いだ。それは間違いない。
だが、二人とも「恋愛偏差値」が中学生以下なのだ。
「私なんて、やっぱり魅力がないのかしら……。所詮は三十路の売れ残り……ジャージがお似合いの干物女……」
先生のネガティブスイッチが入った。
背後からドス黒いオーラが立ち上り、部室の観葉植物がみるみる枯れていく。
まずい。このままでは、また新たな「茨の迷宮(領域干渉)」が発生しかねない。
「ま、待ってください先生! 角田先生はただ、奥手なだけですよ! 俺が……俺が探りを入れてきますから!」
「本当!? 古田くん、お願い! 私の婚期を救って!」
先生の必死な形相(鬼気迫る)に背中を押され、俺は体育教官室へと走った。
迷える筋肉
体育教官室。
そこには、ベンチプレスで100キロのバーベルを上げ下げしている角田先生の姿があった。
「フンッ! フンッ! ……だめだ、雑念が消えん!」
先生は汗だくでバーベルを置くと、頭を抱えた。
「おお、古田か。……俺は、どうすればいいんだ」
「どうしたんですか先生。山口先生のことですか?」
俺が直球で聞くと、先生は顔を真っ赤にして、巨大な体を縮こまらせた。
「な、なぜ分かった!?」
「バレバレですよ。……山口先生、待ってますよ。なんでデートに誘わないんですか?」
「誘いたいさ! 喉まで出かかってる!」
先生は立ち上がり、苦悩の表情で窓ガラス(強化ガラス)を叩いた。
「だが、俺は『デート』なんて洒落たものをしたことがないんだ! どこに行けばいい? 何を話せばいい? 俺みたいな無骨な筋肉ダルマが、あんな可憐な花(山口先生)を連れ回して、枯らせてしまったらどうする!?」
要するに、「失敗が怖くて動けない」状態だ。
繊細すぎる。見た目はゴリラなのに、中身はハムスターだ。
「先生。難しく考えすぎです。普通でいいんですよ、普通で」
「普通が分からん! ……実は、プランは考えてみたんだ。聞いてくれるか?」
先生はジャージのポケットから、クシャクシャになったメモを取り出した。
【角田式・愛のデートプラン】
* AM 5:00 集合(早朝ランニングで身体を温める)
* AM 7:00 プロテインで乾杯
* AM 9:00 山へ移動。丸太担ぎ競争で愛を深める。
* PM 12:00 山頂で鶏のササミを食べる。
「……どうだ? 健康的だろう?」
先生は真剣な眼差しで俺を見た。
俺は静かにメモを破り捨てた。
「却下です。フラれますよ、それ」
「な、なんだとォォォ!?」
先生がショックでよろめいた。
「いいですか先生。山口先生は、普通の、ロマンチックなデートがしたいんです。丸太じゃなくて、ハンドバッグを持ちたいんです!」
「むぅぅ……では、どうすれば……」
俺は溜息をつき、ある場所を提案した。
「灯台下暗し、ですよ。……最近、綺麗になった場所があるじゃないですか」
作戦名:紫陽花
放課後。
俺は角田先生を連れて、昇降口で待ち伏せをした。
ターゲットは、部活を終えて帰ろうとしている山口先生だ。
「い、いいか古田。本当にこれでいいのか?」
「大丈夫です。セリフは練習通りに言ってくださいね」
角田先生はガチガチに緊張している。ロボットみたいだ。
そこへ、山口先生が現れた。
ため息交じりに下駄箱を開けている。
「今です、先生! GO!」
俺は先生の背中(岩のように硬い)をドンと押した。
角田先生がつんのめるように飛び出す。
「あ、あのっ! や、山口先生!!」
声がデカい。
山口先生がビクッとして振り返る。
「ひゃっ!? か、角田先生!?」
「俺と! ……その、一緒に!」
角田先生は顔を真っ赤にして、直立不動の姿勢をとった。
生徒たちの視線が集まる。
先生の脳内で、言葉がショートしているのが分かる。
「き、筋トレを……いや違う! ササミを……じゃなくて!」
ダメだ、テンパっている。
このままでは「一緒にプロテイン飲みませんか」とか言い出しかねない。
俺はポケットから、例のアイテムを取り出した。
第22章で手に入れた「猫寄せの笛(ケット・シーの笛)」だ。
本来は猫を集める笛だが、あの時ケット・シーは「音楽で敵を眠らせる」とも言っていた。精神安定効果があるはずだ。
俺は物陰から、小さく笛を吹いた。
ピーヒョロロ……♪
間の抜けた、しかし優しい音色が響く。
その瞬間、角田先生の肩から力が抜けた。
「……ふぅ」
先生の表情が、いつもの穏やかな「優しき巨人」に戻る。
彼は山口先生を真っ直ぐに見た。
「山口先生。……駅前の商店街に、綺麗な紫陽花が咲いているそうです」
「え……?」
「もしよければ、今度の日曜……俺と一緒に、見に行きませんか? ……貴女と歩きたいんです」
完璧だ。
素朴で、不器用で、でも誠実な言葉。
山口先生の目が見開かれ、そしてみるみる潤んでいく。
「……はい! 喜んで!」
花の咲くような笑顔だった。
周囲の生徒たちから「ヒューヒュー!」と冷やかしの声が上がる。
二人は顔を見合わせて、茹でダコのように真っ赤になった。
エピローグ
日曜日。
俺はこっそりと(なのはさんと一緒に)商店街を偵察していた。
綺麗に晴れたアーケードの下。
タバコ屋の前に置かれた、あの青い紫陽花の前で。
私服姿の角田先生と山口先生が、並んで歩いていた。
手は繋いでいない。でも、その距離は以前よりもずっと近い。
「へぇー。やるじゃん、角田ちゃん」
ショーウィンドウに映った影――櫻子先輩の幻影(影)が、満足そうに微笑んでいるのが見えた気がした。
紫陽花が、二人を祝福するようにキラキラと輝いていた。
俺となのはさんは、邪魔をしないようにこっそりと撤退した。
これで一件落着。
……と、思いきや。
翌日、幸せオーラ全開の山口先生から「お礼に手作りクッキーを焼いてきたわ!」と渡された物体が、とんでもない騒動の火種になるとは、この時の俺はまだ知らなかった。(手作りお菓子は、時として呪物になるのだ)。
第24章:愛の重力崩壊と、砕け散る鏡
6月9日、月曜日。
放課後、俺はボランティア部の部室で、山口先生から小さなラッピング袋を渡された。
「古田くん、これ! 先日のお礼よ!」
先生は頬を染めて、モジモジしている。
「角田先生とのデート、すごく楽しかったの。これは感謝の気持ちの手作りクッキーよ」
「ありがとうございます! いただきます!」
俺は素直に喜び、その場で袋を開けて一枚口に放り込んだ。
見た目は少し焦げ茶色で、ゴツゴツしている。
噛んだ瞬間。
ガリッ!!!
脳天に雷が落ちたような衝撃が走った。
硬い。ダイヤモンドか?
いや、それだけじゃない。
口の中に広がったのは、味というより「質量」だった。
ズドォォォォン……!
胃袋に鉛を流し込まれたような重圧感。
山口先生の「結婚したい」「逃したくない」「愛されたい」という三十路の全念動力が凝縮され、事象の地平線を超えてブラックホール化している。
「あ、ぐ……」
俺の意識が遠のく。
これは、毒ではない。「愛の重力崩壊」だ。
俺の脳が「生命維持不可能」と判断し、緊急ワープを発動させた。
鑑定結果:特異点
「……オェッ!!」
園芸部の床で目を覚ますなり、俺は猛烈な吐き気に襲われ、胃の中身をぶちまけた。
ゴロン、ドスン。
口から飛び出したのは、消化されたクッキーではない。
漆黒に輝く、パチンコ玉くらいの「黒い球体」だった。
それが床に落ちた瞬間、ズズズ……と床板が歪み、メリメリと音を立ててめり込んでいく。
「あら、汚い。……でも、凄まじい密度ね」
櫻子先輩が、トングでその黒い玉をつまみ上げようとしたが、重すぎて持ち上がらない。
「これ、中性子星の一歩手前よ」
「中性子星……?」
「ええ。作った人の『想い』が重すぎて、物理法則を歪めてるわ。あなたが現実で食べた『質量データ』が、こちらで再構成されて吐き出されたのね」
加藤先生も、ルーペでその球体を観察して唸った。
「こいつはすげえ。燃料に使えば、戦車でも動かせそうだ。……だが、人間の食い物じゃねえな」
「少年、現実に戻ったら、残りのクッキーは絶対に食うなよ? 胃袋がブラックホールに飲み込まれて消滅するぞ」
俺は青ざめて頷いた。
たった一枚でこれだ。袋にはまだ十枚近く残っている。
あれはクッキーじゃない。小型爆弾の詰め合わせだ。
乙女の焦燥
現実への帰還後、俺はふらつく足で廊下を歩いていた。
手には、まだ残りのクッキーが入った袋が握られている。捨てようにも、重すぎてゴミ箱が壊れそうだ。
そこへ、なのはさんが現れた。
「古田くん! 聞いたわよ! 山口先生の手作りクッキー貰ったんだって!?」
情報が早い。オカルト部のネットワークか。
「う、うん。まあ……」
「食べたの!? 美味しかった!?」
「いや、味というか……重かった」
「重い……? 愛が!?」
なのはさんがショックを受けたように後ずさった。
「先生の手作り……大人の味……。くっ、私だって負けてられないわ!」
彼女は何かを決意したように顔を上げた。
「ねえ古田くん! 今夜、付き合って!」
「えっ?」
「『鏡の七不思議』の検証よ! 午前0時に合わせ鏡をすると、将来の結婚相手が映るって噂……今夜、確かめるわよ!」
彼女の目は本気だった。
断ったら呪われそうな勢いだ。俺は渋々頷いた。
午前0時の儀式
深夜の学校。北校舎の理科室。
俺となのはさんは、大きな姿見を二枚向かい合わせにして、合わせ鏡を作った。
無限に続く鏡の回廊。
ロウソクの火が揺れる。
「いくわよ……。あと1分」
なのはさんは緊張した面持ちで鏡を見つめている。
(映るのは古田くん……映るのは古田くん……)
彼女の心の声が聞こえてきそうだ。
俺は少し離れて見守っていた。コンパスが微かに反応しているのが気になる。
キーンコーン……。
遠くの時計台が0時を告げた。
「……!」
なのはさんが息を呑んだ。
鏡の奥。13枚目の自分の顔の隣に、誰かが立っている。
それは、制服を着た少年だった。
「古田く……?」
なのはさんが振り返ろうとした時だ。
鏡の中の少年が、ゆっくりと顔を上げた。
その顔には、目も鼻も口もなかった。
つるりとした、のっぺらぼう。
「ひっ!?」
ズズズッ……!
鏡の表面が水面のように波打ち、そののっぺらぼうが、鏡の中からぬらりと手を伸ばしてきた。
「えっ、うそ、離して!」
白い手がなのはさんの腕を掴む。力が強い。
彼女の体が、鏡の中へと引きずり込まれていく。
「古田くん! 助けて!!」
俺は駆け出した。
「綿貫さん!」
七不思議の噂じゃない! これは本物の怪異だ!
鏡そのものが、意思を持って獲物を捕らえようとしている!
俺はなのはさんの体を抱き留めたが、引き込む力が強すぎる。
「くそっ、何なんだコイツは! 何か武器は……!」
ムチ? いや、あれは生物にしか効かない。
笛? 鏡に耳はない。
物理的に破壊するしかない。何か、硬くて重いものは――。
ポケットの中で、ズシリと重い袋が太ももを圧迫していた。
あった。
中性子星クラスの質量兵器(残り)が。
愛の物理攻撃
「綿貫さん、頭を下げて!」
俺は叫ぶと同時に、ポケットから山口先生のクッキー(袋入り)を取り出した。
重い。手首が折れそうだ。
俺は全身のバネを使い、砲丸投げの要領でその黒い塊を鏡に向かって投擲した。
「食らえ、三十路の愛!!」
ヒュンッ!!
クッキーは風を切り、のっぺらぼうの顔面――そして鏡の表面に直撃した。
パリーンッ!!!
凄まじい破砕音が響いた。
普通の石なら弾かれたかもしれない。だが、このクッキーには「絶対に離さない」という執念の重力が宿っている。
その超質量衝撃は、呪いの鏡の結界ごと、物理的に粉砕した。
「ギャァァァ……」
のっぺらぼうがガラスの破片となって四散する。
吸い込む力が消え、俺となのはさんは床に尻餅をついた。
需要と供給
「……はぁ、はぁ。助かった……」
鏡は粉々になり、ただの枠だけが残っていた。
その中に、ひび割れたクッキーが転がっている。鏡を割ってもなお、クッキーは無傷だった。恐るべし。
それにしても、今のは一体なんだったんだ?
ただの幽霊じゃない。俺たちを鏡の中に引きずり込もうとする明確な悪意を感じた。
後で加藤先生たちに報告して、正体を聞かないとな……。
「古田くん……!」
なのはさんが涙目で俺に抱きついてきた。
「怖かったぁ……! でも、古田くんが助けてくれた……!」
彼女は頬を赤らめ、俺を見上げた。
「やっぱり、運命の相手は鏡の中じゃなくて、目の前にいたのね……」
吊り橋効果も相まって、誤解がさらに深まってしまったようだ。
俺は苦笑いしながら、床に落ちている「凶器」を回収した。
これ、どうしよう。
捨てたら地面が陥没するし、食べるのは自殺行為だ。
その時、理科室のドアが開いた。
「……匂いがするぞ」
ゆらりと現れたのは、やつれた顔の宇多川先輩だった。
深夜の学校で何をしていたのかは聞くまい(たぶん素材探しだ)。
「この重苦しい、胃がもたれるような濃厚な『気配』……。まさか、あるのか? 例のブツが」
先輩が鼻をひくつかせ、俺の手元を見た。
俺はハッとした。
そうだ。この人は欲しがっていた。
「もっと重い、ドロドロとした『命』の味」を。
「先輩。……これです。苦労して錬成した、究極のクッキーです」
俺は恭しく袋を差し出した。
「おお……!」
先輩は震える手でそれを受け取った。
「重い……! なんて重さだ! これこそが命の重量感!」
先輩は迷わず、その硬度10の塊を口に放り込み、ガリ砕いた。
強靭な顎だ。
「…………ぐっ!」
先輩が目を見開き、膝をついた。
「重い……! 愛が、執念が、僕の魂を押し潰しに来る……! これだ、この苦しみこそが芸術だぁぁぁ!」
先輩は恍惚の表情で叫び、そして白目を剥いて倒れた。
満足して気絶したようだ。
「……よかった」
俺は安堵した。
危険物は適切に処理され、需要のあるところに供給された。SDGsだ。
なのはさんは「今のなに?」と呆気にとられていたが、俺たちは倒れた先輩を放置して(寝かせておいて)、朝が来る前に学校を後にした。




