第18章:バベルの園芸部と、多言語の暴走
ロシアンルーレット再び
翌日、木曜日。
宇多川先輩の襲撃から一夜が明け、俺は「そろそろラジオの様子を見に行かないとな」と思い、放課後の旧校舎裏へと向かった。
百葉箱の中には、加藤先生からのメモが入っていた。
『ブツは届いた。面白いおもちゃだが、少々やかましい。回収に来い』
「やかましい?」
嫌な予感がした。
俺は百葉箱の奥から、例の**「風船ロシアンルーレット(ワープ装置)」**を取り出した。
前回は6発目まで粘ったが、今回はどうだろうか。
俺はリボルバーに風船をセットし、こめかみに当てた。
「頼む、一発で終わってくれ……」
カチッ。
不発。
「くそっ、やっぱり怖いな……次!」
カチッ。
不発。
俺は焦った。早く行かないと。
焦りと恐怖が入り混じり、心拍数が上がる。
「三発目!」
パンッ!!!
破裂音が鼓膜を突き破った。
今回は早かった。俺の意識は、風船のゴム片と共に弾け飛んだ。
優雅なる外国語講座
「……うぅ」
目を覚ますと、そこはいつもの園芸部だった。
だが、空気が違う。
いつもの花の香りの中に、優雅で、しかしどこかピリピリとした緊張感が漂っている。
「Bonjour, mon petit chaton.(こんにちは、私の子猫ちゃん)」
流暢なフランス語が聞こえた。
見ると、テラス席で櫻子先輩が紅茶を飲んでいた。
いつもの制服姿だが、その仕草はパリジェンヌのように洗練されている。
「せ、先輩? ボンジュール?」
俺が呆気に取られていると、先輩は冷ややかな目で俺を一瞥し、こう続けた。
「Tu as une mine affreuse aujourd'hui. C'est dommage.(今日のあなたは酷い顔ね。残念だわ)」
「えっ? 今なんて?」
意味は分からないが、笑顔でディスられた気がする。
「Я говорил тебе, заткнись!(黙れと言っただろう!)」
今度は、部屋の奥から怒鳴り声がした。
加藤先生(冒険家)だ。
先生は耳栓をして、新聞を読もうとしているが、明らかにイライラしている。
「先生まで!? なに語ですかそれ!」
「ロシア語だ! うるさくて敵わん!」
先生が指差した先――テーブルの中央に、俺が送った真空管ラジオが鎮座していた。
ラジオは、狂ったように喋り続けていた。
『……¡Qué tonto!(なんて馬鹿なんだ!)』
『……Ich hasse dich...(お前が嫌いだ…)』
『……Go to hell!(地獄へ落ちろ!)』
スペイン語、ドイツ語、英語。
あらゆる言語が、ノイズ混じりに垂れ流されている。
そして櫻子先輩は、それをBGMにして、楽しそうに復唱していた。
「なるほどね。『地獄へ落ちろ』はスペイン語で『Vete al infierno』……ふふ、美しい響きだわ」
「先輩! 何やってるんですか!」
俺が駆け寄ると、先輩は優雅に微笑んだ。
「あら、ふるふる君。おかえりなさい。見ての通り、語学学習よ。このラジオ、世界中の『悪意』を受信して翻訳してくれるの。スラング(罵倒語)の勉強に最適よ」
「教育に悪すぎますよ!」
本音の翻訳機
「先生、止めてくださいよ!」
「俺だって止めようとしたさ! だが、櫻子が『壊したら呪う』って聞かねえんだ!」
加藤先生が嘆いた。
「それに、こいつはただの翻訳機じゃねえ。『建前』を剥がして『本音』を曝け出す装置だ。うかつに近づくと、俺たちまで餌食になるぞ」
「本音?」
その時、ラジオのチューニングがギギギと変わり、俺の方を向いた(気がした)。
そして、流暢な日本語で喋り出した。
『……あーあ。また来たよ、この中学生。いっつも同じような服着て、髪もボサボサ。もう少し小綺麗にできないのかしら。これだから思春期男子は……』
その声は、機械音声だが、抑揚は明らかに櫻子先輩のものだった。
「えっ」
俺は先輩を見た。
先輩は、紅茶を飲む手をピタリと止め、顔を背けた。
「……あら。雑音が酷いわね」
「先輩!? 今、心の声漏れてましたよ!?」
ラジオは止まらない。今度は野太い声に変わった。
『……ったく、いつまで居座る気だこのバカ女(櫻子)。さっさと成仏してくれりゃ、俺も校長室で昼寝できるのによぉ。……ま、この紅茶は悪くねえがな』
「加藤ちゃん?」
先輩が、冷たい笑顔で加藤先生を見た。
先生が「ごふっ」とコーヒーを吹き出した。
「ち、違うぞ櫻子! これは誤訳だ! 機械の故障だ!」
「へぇ……。『バカ女』ってロシア語でどう言うのかしら? 教えてくださる?」
先輩の背後に、黒い茨がゆらりと出現した。
「ひぃっ! ふるふる君、助けてくれ! こいつ(ラジオ)を早く封印しろ!」
「わかりました!」
俺は修羅場と化したテーブルに飛び込み、ラジオの電源コード(コンセントはないので、真空管そのもの)を引き抜こうとした。
『……あー、触るな。手汗が気持ち悪い。近寄るな童貞』
「うるさいわ!!」
俺は叫びながら、熱くなった真空管を引っこ抜いた。
プツン。
ラジオの音が消え、園芸部に静寂が戻った。
沈黙のあとで
「……はぁ、はぁ。止まった……」
俺は真空管を握りしめ、安堵のため息をついた。
恐ろしい装置だ。多言語で悪口を覚えるだけでなく、身内の崩壊まで招くとは。
「あらあら。もう少しでスワヒリ語の『絶交』を覚えられるところだったのに」
先輩は残念そうに肩をすくめたが、茨は引っ込めてくれた。
「まったく、危ないところだった。……ふるふる君、この真空管は百葉箱の奥深くに埋めておけ。二度と通電させるな」
先生が冷や汗を拭いながら命じた。
「はい。……あの、先輩」
俺は恐る恐る先輩に尋ねた。
「さっきのラジオの言葉……『服がダサい』ってやつ、本当ですか?」
先輩はきょとんとして、それから悪戯っぽく微笑んだ。
「さあ? どうかしらね。……でも、たまには違う格好も見たいわね。C'est la vérité.(それは真実よ)」
最後だけフランス語で煙に巻かれたが、どうやら半分は本音だったらしい。
俺は自分のヨレヨレのTシャツを見下ろし、少しだけ顔を赤くした。
現実世界に戻った後。
俺はなのはさんに「放送室の件、解決したよ。混線してただけみたい」と嘘の報告をした。
なのはさんは「なーんだ」とつまらなそうにしていたが、去り際に一言。
「あ、古田くん。寝癖ついてるよ」
その指摘は、翻訳機を通さなくても十分に心に刺さった。




