第13章:別離の嘘と、百葉箱の拒絶
オカルト少女への任務
美術室を脱出し、人気のない渡り廊下まで来たところで、俺たちは足を止めた。
抱えている「狂気の抽象画」は、布越しでもジリジリとした熱を発しているようで、一刻も早く手放したかった。
だが、その前に解決すべき問題がある。
隣で目を輝かせている、綿貫なのはさんだ。
「ねえねえ古田くん! これ、どうするの? やっぱりお焚き上げ? それとも秘密の地下室に封印?」
彼女はこの状況を完全に楽しんでいる。このまま百葉箱までついて来られたら、あちらの世界との通信手段がバレてしまう。
俺は脳をフル回転させた。彼女を傷つけず、かつ自然にここから遠ざける方法は……。
「……綿貫さん。実は、この絵には強力な『呪い』がかかっているんだ」
俺は声を潜めて言った。
「呪い!?」
「ああ。さっき君も魅入られかけただろ? これは今すぐ動かすと危険だ。今夜一晩、特別な場所に安置して、『月光による浄化』を行わないといけない」
「月光による浄化……! なるほど、王道ね!」
なのはさんがポンと手を叩く。食いつきがいい。
「だから、安置場所へは俺一人で行く。万が一の時、二人とも呪われたら大変だからね。……その代わり、綿貫さんには別の『極秘任務』をお願いしたいんだ」
「ご、極秘任務!?」
なのはさんがゴクリと唾を飲んだ。
「この絵の影響が、校内の他の場所にも波及しているかもしれない。明日までに、君の持っている『学校の怪談マップ』のデータと照らし合わせて、他の七不思議スポットに異変がないか、考察をまとめておいてくれないか?」
これは完全な出まかせだ。だが、オカルト部員の彼女にとって「考察」や「データ分析」は一番の好物のはずだ。
「わかったわ! 任せて、古田くん! 私、家に帰って過去のオカルト部日誌とクロスリファレンス(相互参照)してみる!」
なのはさんはビシッと敬礼すると、「気をつけてね、エージェント古田!」と言い残し、カバンを揺らして昇降口の方へと走っていった。
……チョロい。いや、素直でいい子だ。
「ふぅ……。悪いな、綿貫さん。巻き込むわけにはいかないんだ」
俺は誰もいなくなった廊下で小さく謝り、再び走り出した。
目指すは、旧校舎の裏庭。百葉箱だ。
拒絶反応
夕闇迫る旧校舎。
俺は息を切らして百葉箱の前に到着した。
抱えている絵画は、布の中でドクンドクンと脈打っている気がする。気持ち悪い。早く向こうへ送ってしまいたい。
「頼むぞ、セーフボックス……」
俺は百葉箱の扉を開けた。
そして、梱包された3枚のキャンバスを、慎重に中へ押し込もうとした。
その時だ。
ガタガタガタッ!!
百葉箱が、激しく振動した。
「うわっ!?」
俺の手からキャンバスが滑り落ちそうになる。
風はない。地震でもない。
百葉箱そのものが、まるで「異物」の侵入を拒むように、物理的に震えているのだ。
キィィィン……。
耳鳴りのような高い音が響く。
俺の「直感」が警報を鳴らす。
『入らない』。
物理的なサイズの問題ではない。この絵画が放つ「歪み」の波長が強すぎて、百葉箱の持つ「中立性」と反発し合っているのだ。
磁石のN極とN極を無理やり近づけた時のように、見えない壁がキャンバスを弾き返そうとする。
「くそっ、弾かれる……! でも、ここしか送る手段がないんだ!」
俺は歯を食いしばり、全身の体重をかけてキャンバスを押し込んだ。
「入れよ、この駄作がぁぁ!!」
ズズズッ……!
無理やり押し込むと、空間が軋むような嫌な音がした。
百葉箱の内壁が、キャンバスを飲み込むように歪む。
なんとか入った。
俺は急いで扉を閉め、鍵をかけた。
ガタッ、ガタッ……。
箱の中で、何かが暴れているような音がする。
だが、しばらくすると音は止み、いつもの静寂が戻ってきた。
「……はぁ、はぁ。なんとかなったか?」
俺はその場にへたり込んだ。
明らかにキャパオーバーだった。百葉箱が壊れなくてよかった。
だが、安心はできない。
この「劇物」が向こう側に届いた時、何が起こるか分からない。
俺もすぐに追いかけなければ。
俺はポケットから、例の「びっくり箱(ワープ装置)」を取り出した。
しかし、その手は震えていた。
恐怖のせいだけじゃない。
百葉箱に入れたあの絵が、まるで「こちら側(現実)」に根を張ろうとしていたかのような、粘り気のある抵抗を見せた感触が、手に残っていたからだ。
「……急ごう」
俺は意を決して、びっくり箱の蓋を開けた。




