第100章:旅の終わりと、焚き火の再会
広島の夕暮れ
旅の終着点、広島。 俺は市街地を抜け、瀬戸内海を見下ろす高台のキャンプ場に来ていた。 ここが、今回の旅のラストキャンプだ。
「ふぅ……」
手慣れた手つきでテントを設営する。 玄田先輩に選んでもらった装備は、旅の間にすっかり俺の一部になっていた。 背中のソーラーパネルも順調に発電しており、スマホの中の櫻子先輩も元気だ。
『いい眺めね。海が赤く染まっているわ』
「ええ。……遠くまで来ましたね」
俺はコッヘルでお湯を沸かしながら、隣のサイト(区画)を見た。 そこには、ソロキャンパーの先客がいた。
(……すごい装備だ)
ヴィンテージ物のA型テントに、使い込まれたランタン。 焚き火台の前で、ロッキングチェアに揺られている背中。
その服装を見て、俺は息を呑んだ。 色褪せたフィールドジャケットに、擦り切れたカーゴパンツ。そして、泥だらけのブーツ。 それは、裏世界の園芸部でいつも見ている「25歳の加藤先生」の姿が、そのまま歳を重ねたような出で立ちだった。
「……まさか」
俺はその背中に声をかけた。
脱走した冒険家
「……校長先生?」
老人はゆっくりと振り返った。 サングラスをずらし、シワだらけの顔でニカっと笑う。
「おう。遅かったな、少年」
「やっぱり!!」
加藤起太郎校長だった。 入院中のはずの彼が、なぜ広島のキャンプ場に!?
「先生! 体は大丈夫なんですか!? 病院は!?」
「フン。病院のメシが不味すぎてな。リハビリと称して脱走してきた」
先生は悪びれもせず、焚き火に薪をくべた。 その手つきは、裏世界の25歳の彼と全く同じだ。
「人間、土の上で寝て、焚き火の煙を吸わなきゃ元気にならんよ。……ほら、座れ。コーヒーが入ってるぞ」
先生の顔色は、病院で見た時よりずっと良く見えた。 点滴よりも、この「冒険の空気」こそが、彼にとって一番の薬なのだ。
旅の報告会
夜。 俺たちは二つの焚き火を囲み、宴を始めた。
「ほほう! 六甲山を徒歩で登ったか! 酔狂だな!」 「鳴門の渦潮か。あそこには竜神がいるんだ」 「リュウグウノツカイを釣った!? 母さんの血は争えんなぁ!」
俺が旅の土産話をすると、先生は子供のように目を輝かせて聞いてくれた。 スマホの中の櫻子先輩も、時々会話に参加して笑っている。
「で、これが戦利品です」
俺はリュックから、道中で買い集めた食材を取り出した。 淡路島の玉ねぎ、香川のうどん(乾麺)、岡山の桃、そして広島のレモン。
「よし! ならば私は、極上の肉を提供しよう!」
先生は使い込まれたクーラーボックスから、霜降りの広島牛を取り出した。 どこで調達したんだ。
「今夜はご馳走だ! 食うぞ少年!」
「いただきます!」
焚き火で焼いた肉は、とろけるように美味かった。 玉ねぎの丸焼きは甘く、デザートの桃は瑞々しい。 旅の疲れが、胃袋から癒やされていく。
答え合わせ
食後。 俺たちはコーヒーを飲みながら、満天の星空を見上げた。
「……どうだ、少年。世界は広かったか?」
先生が静かに聞いた。 俺は、新しいジーンズの生地を撫でながら答えた。
「はい。広かったです。……俺なんて、ちっぽけでした」
一人で歩いて、迷って、たくさんの景色を見た。 自分の足で稼いだ距離だけ、自分が強くなれた気がする。
「でも、怖くはなかったです。先輩がいてくれたし、先生がくれた『宿題』のおかげで、前に進む理由があったから」
俺は先生を見た。 焚き火に照らされたその横顔は、老いているけれど、誰よりも力強い「現役の冒険家」の顔だった。 25歳の幻影ではない。79歳の年輪を刻んだ、本物の冒険家の顔だ。
「先生。……俺、この旅で少しはマシな男になれましたか?」
先生はサングラスを外し、俺の目をじっと見た。 そして、満足そうに頷いた。
「ああ。いい顔になった。……合格だ」
その言葉だけで、十分だった。
眠る冒険者たち
夜が更け、薪が燃え尽きる頃。 先生は椅子でウトウトし始めた。
「……ふぁ。久しぶりに、美味い酒だったな」
「先生、テントに入らないと風邪引きますよ」
「……ああ。そうだな。……もう少しだけ、この風を感じていたい」
先生は、幸せそうに目を閉じた。 その寝息は穏やかで、深く、静かだった。
俺は先生に毛布をかけ、自分のテントに戻った。 スマホの画面では、櫻子先輩もパジャマに着替えてベッド(データ)に入っている。
『おやすみ、ふるふる君。……いい旅だったわね』
「はい。……おやすみなさい、先輩」
俺はシュラフに潜り込んだ。 波の音と、虫の声。そして、隣のテントから聞こえる先生の寝息。 一人じゃない。 俺の旅は、最高の形で幕を閉じた。
翌朝。 俺と先生は現地解散し(先生は「もう少し西へ行く」と言ってヒッチハイクで消えた)、俺は新幹線で東京へ戻った。
夏休みが終わる。 でも、俺のリュックには、溢れんばかりの思い出と、少しの自信が詰まっていた。




