最終話『再び、朝が来る』
目を開ける。また新しい物語の始まりの瞬間だ。
見慣れた天井は騎士団の宿舎。……一応街に屋敷はあるのに、ずっと戻っていない。
「……マヒロ?」
左を見るが、誰もいない。分かっていたのに、胸が痛い。
あの日……生きてエンディングを迎えた後。世界は再びリセットされた。マヒロが生きていた形跡も全部。あるのは俺の記憶だけ。
初めて出会った日のように、目を開けたら隣りにいるんじゃないかと思って、屋敷に帰れずにいた。だってこんな宿舎にマヒロを一人置いておけない。
(いや分かっている。あんな奇跡なんてもう二度と……)
頭では分かっていても、心が理解するのは難しい。だってマヒロは飽きずにずっとプレイしてくれているのだ。
空を見上げる。
そのどこにも彼女の茶色い瞳は見えないが、画面の向こうで俺を見てくれているはずだった。
「マヒロ、君の声が聞きたい」
邪竜が来ても、マヒロの声はもう聞こえなかった。
最初は邪竜に対して生き残ってしまったら聞こえないのかと思って、何度かわざと死んでみたのにそれでも聞こえなかった。
そしてわざと死んだ後でプレイヤーキャラに出会うと、自由時間に俺の周りをぐるぐると歩き回るので、マヒロは随分と怒っているらしいと分かった。可愛い。
そう。声は聞こえないものの、マヒロが操るプレイヤーキャラは相変わらず行動が可愛かった。
(ということは、マヒロがこっちにいた頃のあいつは別人だったのか?)
分からない。分からないことだらけだが、自分が死ぬとマヒロが悲しむのは間違いないので、死なないようにした。
幸い……といっていいのか。バグが発生したようで、俺のステータスはリセットされなくなった。おかげでステータスだけなら上司よりたぶん上になったし、対邪竜戦に関しては一人で街の外に引き付けておくことが余裕になった。
しかしあまり嬉しくはない。
(それよりも君の声が聞きたいよ、マヒロ)
進んで死にたい訳では無いが、それでも死の代わりにマヒロの声が聞けるならそちらの方が良い。
「いや……いっそのこと、もうプレイしてもらわない方がいいのかな?」
そうすればこの世界は止まる。苦しみも終わる。
「ねえマヒロ。エリクサーをくれないかな? 苦しいんだ。苦しくてたまらないんだ」
肺は焼けていないのに息苦しい。
皮膚は焼け落ちていないのに、風すら感じない。
目はちゃんと2つついているのに、世界は灰色だ。
耳は周囲の音をちゃんと拾うのに、どこか遠い。
鼻は好きだった香水を感じるのに、不快な気分になる。
風邪など引いていないのに、身体が重たい。
この症状が、とある病のせいだと知っている。不治の病だ。これを治せるのは
「君だけなのに……なんでこの世界には、君だけがいないんだろう」
***
それから、一体また何度繰り返したのだろう。
(どうしてなんだ、マヒロ。もういい加減飽きてくれたら良いのに)
繰り返し続けた結果、もやはマヒロの操るプレイヤーキャラはポカをしなくなった。マヒロの熱を感じない。
また目を開ける。左側に温もりはない。
「……お願いだから、もう……放って置いてくれよ」
ここにいてくれないなら、このゲームに飽きてほしい。
リスタート二日目は憂鬱だ。またプレイヤーキャラに会わなくてはいけない。
以前は感じたマヒロの気配が、希薄になってしまったプレイヤーキャラに。
森の中を歩いていく。
獣の動きがおかしいからと、森の調査をしていた時に記憶をなくした主人公に出会う。怪しいと思いながらも、何も知らない姿に危うさを感じて世話をする……そういう流れだ。
(この茂みの奥)
そこに彼女が作った白銀色の髪の、女か男がいるはずだ。彼女は気分で男女を切り替えるが、前回が女だったから今回は男だろうか。
咳払いをし、セリフを準備しておく。――何者だ。
何度も言ってきた、なんとも当たり前のセリフを発するべく、口を開けつつ茂みを越える。
黒い髪が風に揺れていた。
「な……ぁ」
セリフが頭から飛んだ。
「あ、良かった。ここであっとったんやな」
声がした。もう随分昔に聞いたきりの声がした。
ずっと……ずっと聞きたかった声がした。
「まひろ?」
信じられなくて。けれど目が写している姿はどう見てもマヒロで、耳が届けている声は聞き間違えないほどにマヒロそのもので。
茶色い瞳が細められた。
「うん、ゲイル。久しぶりやね」
久しぶり、なんて軽く聞こえる声に、俺は人生で初めてマヒロに怒りが湧いた。久しぶりなんてものじゃない。
一歩、二歩と前に進む。
「なんで」
「えと……その、なんとか戻られへんかなって、どうやって入ったかも分からへんからいろんな条件考えててんけど、分からんくて。
でも……ゲイルに会いたくて。諦めたくなくて。ゲーム続けてたら、ゲームの中の神様っちゅう人が来て……ゲイル?」
俺の怒りを感じ取って、気まずそうに、必死に説明しだしたマヒロが『俺に会いたい』と思ってくれていたと分かった瞬間怒りが解けて、何もかもがどうでも良くなる。ただただ可愛い彼女を腕の中に閉じ込めた。
「マヒロ、マヒロ」
「うん」
「俺も……会いたかった」
会いたくて会いたくて会いたくて。気が狂いそうで。
諦めた方が楽だと、諦めようとしていたのに。
「ねぇ、マヒロ。ご褒美頂戴?」
愛しくてたまらない顔を両手で包みこんで、額をコツンと合わせて懇願する。マヒロが笑って「何のご褒美?」と聞いてきた。
「頑張って生き延びたご褒美」
そうだよ。俺、何度も何度も生き延びたよ。君がいない世界を、何回も何回も何回も、一生懸命生きたよ。
「じゃあ、たくさんあげんとあかんね?」
「うん、たくさん頂戴」
許可をもらったので吐息ごともらう。久しぶりでも、はっきりと覚えている熱と柔らかさ。必死にすがりついてくれる手。俺の動きに応えようとおずおずと動く舌。
すべてがすべて、可愛くてしょうがない。
「はむっ、ちゅぷっはぁ、マヒロ、可愛い。好きだよ」
「はぁっはぁ……もう、満足した?」
「ううん、全然。全然足りないよ」
足りるわけがない。
首の後ろをつーっと撫でると「ひゃっ」と可愛い声が聞こえた。腰に回していた手を動かしていく。
「ちょっ、ゲイル! まさか、ここで……ダメッ、あっ」
「だって無理だよ、足りない、足りない。君が足りない。君が欲しい」
「あかんってば、ここ、ぁ、チュートリアルの……も、げいるぅ」
「大丈夫だよ。チュートリアルなら……これから、たっぷり教えてあげるし、ここは逆に安全だから」
木々が突然なくなったその空間は鮮やかな花畑が広がっていて、主人公はそこに寝ていたという設定だ。そして簡単な動きを学ぶ場所なので、非情に安全地帯。何より他に邪魔が入らない。
「コラッ、脱がすな……ちょっと! 普通、こういうの、ぁっ、感動の再会とかで、いきなり、こんな」
「でもほら、最初の出会いも裸だったし」
「それは……そういう問題じゃ、あんっあっ」
ぷるんと揺れる乳房があらわになって、マヒロが顔を真っ赤にしている。可愛い。
マヒロはややロマンチックな展開を想定していたようで、出来ればそれを叶えてあげたかったけど諦めてもらう。俺の愛は重いんだ。
「諦めて。君が可愛いのを止めないから、俺ももう止められない」
「あ、ゲイルっ」
花畑の中、一糸まとわぬ姿で俺のマントの上に寝転んでいるマヒロを見下ろす。もうすでに期待に揺れている茶色い瞳は、やはり可愛すぎる。
唇を舐めた。
「じゃあ、ご褒美いただきます」
***
目を開ける。
憂鬱だった朝も、今はただただ愛おしい。
「ぅん……げいる」
左から声がする。身体をソチラへ向けると、待っていたかのように胸の中に可愛いものが飛び込んでくる。
茶色い目は閉じられたままで、けれどもすり寄ってくる姿はただただ可愛い。
(はぁ、ずっと眺めてたい)
今日俺は非番。マヒロはどこかへ出かけるらしく、朝起こして欲しいと言われた。彼女は朝が弱い。
けど起こしたくない。寝坊したら今日一日ずっと一緒にいてくれるだろうか。
「怒るかな……怒るだろうな……けど、怒る顔も可愛いし」
悩む。
悩んだので、布団に潜り込んだ。そして彼女の気持ちの良い太ももを広げてその間に顔を埋める。
「はむ、ぺろっ……はぁ、いい香り」
悩んだ時は、食事に限る。それにこうしていたら、彼女も起きるだろう。
実際、このあとちゃんと彼女は目覚めたし、羞恥と怒りで涙目になった姿はとても可愛かった。
「信じられへん! さいてー!」
怒った顔で部屋を出ていくマヒロへ「忘れ物」と呼びかける。素直に動きを止めた彼女にかがんで頬にちゅっとキスをする。
「なっ!」
もっとすごいこともしてきたのに、未だにこんなことで照れるマヒロ。可愛い。
「マヒロ」
「何?」
「いってらっしゃい」
へらりと笑う。気の抜けた顔をしている自覚はあるが、幸せすぎて気が抜けるのだから仕方ない。
それにマヒロは、気の抜けた俺の顔が好きらしいので構わない。
「……いってきます」
嬉しいのを無理やり抑え込んだような顔で返してくれたマヒロ。ああ、マヒロは今日も朝から可愛く俺を魅了しまくる。
「帰ってきたら、留守番できたご褒美もらおうかな?」
楽しみだなと思いながら、俺はもう一眠りすることにした。
もう目を開けるのは、怖くない。
朝起きた時に、横にあるぬくもり。