第6話『叫び』
街が笑顔で溢れていた。
「良かった。みんな、楽しそう」
隣のマヒロも、そんな笑顔に釣られるように笑っている。――瞳の奥にある苦痛は無視して、俺も笑いかける。
英雄たちが帰ってきた。
「行こうか」
「はい……って、本当にええの? 警備は?」
「警備しながら回ればいいよ」
「それってええとは言わんくない?」
マヒロが首を傾げるのに返事せず、その手をとって歩き出す。しっかりと指の間に自分の指を挿れて握り込むと、マヒロはそれだけで真っ赤になる。可愛すぎてもう少しからかいたくなって、中指でつーっと手の甲を撫でると「ん」と可愛い声が歓声の中でも俺に届く。
マヒロの声なら、たとえ吐息でも聞き逃さない自信がある。だってマヒロは吐息すら可愛い。
「遠慮する君も可愛いけど……今日くらい、我儘言って欲しいかな」
少し強めに手を引っ張ると、マヒロは唇を噛み締めた。泣きそうで、けどやっぱり彼女は泣かずにこくんとうなづく。
泣いた姿を見たのは一度きり。
『ゲイル! よかっ、まにあわんかった、かと思って、うち』
目覚めた俺を見て、周囲にいる人たちのことが目に入らずに俺だけを見て、抱きついてくれたあの時のみ。
(あぁ……可愛かったな)
涙だけでなく鼻水やらよだれやらでぐちゃぐちゃになった上に、俺を心配して眠れなかったらしくクマもひどくて、肌もカサカサしていて、髪の毛もボサボサで。
酷い有様だと冷静な頭は考えたけれど、でも感想はやっぱり「可愛い」に落ち着くのだ。きっと何度見ても同じ感想になるだろう。
(というか俺。マヒロに対して可愛い以外の感想なんて……あ、エロいがあったか)
マヒロは可愛くてエロい。
思いながら隣を歩く姿を見下ろす。マヒロは女性の中でも小柄だ。顔も童顔なので子どものように見えなくもないのに、その体つきはメリハリがついていて、ギャップがまずエロい。
そんな姿を他の男の目につけたくないのでなるべく落ち着いた服を着せているし、当人もそういうデザインのほうが好きそうだ。今日も首や胸、肩や二の腕は一切露出していない。若い女性ならもう少し首周りを出すデザインが一般的だが。
「その……そういう服着たことはあるんやけど、あんまり……ええと、その……嫌なことが続いて」
ちょっと怯えながら教えてくれた。こちらのシャツをちょこんと掴んで見上げられながら言ってくるマヒロはそれはもう可愛かったけれど、彼女を怯えさせた奴らには殺意が湧いた。
(ま、俺も見せたくないからちょうどいいけど)
マヒロの魅力は、俺だけが知っていれば良い。――これからも、ずっと。
ずっと。
「お腹も空いたでしょ? 今日は出店も多いから色々食べてみようよ」
戦勝の宴。
きっと今頃お城では、あいつや上司たちが華やかだけどつまらない宴にうんざりしていることだろう。
若干申し訳ないという気持ちはあるが、俺はこっちの方が好きだし、マヒロも楽しそうにきょろきょろしていて可愛い。
適当に目についた屋台で肉や野菜が挟まった分厚いパンを買うと、彼女は安心したように笑う。店内で食べるのが彼女は苦手だ。感覚が鋭敏だから、かすかなことも気になってしまうらしい。可愛い。
行儀は悪いが歩きながら食べる。周囲でも他の人々も同じようにしているから、あえて俺達だけが目立つこともない。マヒロが安心して小さな口を必死に開けてパンにかぶりついている。そして噛み切れずに中身がでろんと飛び出ていた。可愛い。
「うぅ……こういうの、上手く食べられへん」
「別にどんな食べ方したって大丈夫だよ。美味しい?」
「うん、美味しい……って、ゲイルはなんでそんな上手なん? 顎の力?」
マヒロが真剣な顔で俺のパンと自分のものを見比べている。俺のはしっかり中身が残っているが、マヒロのは具がなくなってもはやただのパンだ。そしてソースが口周りについていることに気づいてない。可愛い。
「うーん、そうだなぁ……舌の使い方が上手だからかな?」
言いながら屈んでぺろりと拭い取ると、マヒロがびくっと体を震わせた。
「うん。本当に美味しいね?」
にやっと笑ってマヒロを見ると、真っ赤になってぷるぷるしていた。可愛い。
「舌の使い方、教えてあげようか?」
舌をべろりと出せば名前を叫ばれた。本当に可愛い。
それからもあちこち見て回った。
何度も一緒に街へ出かけたことはあったけれど、いつもと違う雰囲気の街は、それだけで新鮮だ。
変わったモノを飲み食いしたり。
二人でおそろいの安いブレスレットを買ったり。
大道芸を見て笑ったり。
街の広場で踊ったり。
「お、踊りって、わた、うち、そんなん分からな」
「大丈夫大丈夫。皆適当だから」
「てっ適当っ?」
真面目すぎるマヒロが適当というのが苦手だということを改めて痛感する出来事だった。かちんこちんに身体が固まった彼女の動きは、なんとも独特で可愛すぎた。
楽しい。楽しい。楽し……かった。
時間はあっという間に過ぎていく。
気がつけばもう夕方で、俺はマヒロを抱えて屋根の上を飛び跳ねていく。ハイスコアはもうどうでもいいから、ゆっくりと。景色を楽しむように一歩ずつ。
最後にゴールの鐘塔上で、マヒロを抱えたまま座る。
「降ろしてくれても」
「止めたほうが良いかな。結構角度あるから落ちるよ?」
「う……」
マヒロは居心地が悪そうだったものの、周囲を見渡して、諦めたように俺にまたしがみついた。可愛い。
他の人の声が遠くて、マヒロの気配だけがする。胸元に顔を寄せて息を吸い込むと彼女の匂いがして落ち着いた。
「ちょ、ちょっと! 何しとるん?」
「マヒロを補充してるんだよ。はぁ……たまらない」
「……ごめん、さすがにちょっとキモい」
「はは、ひどいなぁ」
気にせず笑って耳元にキスをすると、マヒロは顔を赤くしたけれどこちらをまっすぐに見ていた。
「ね、ゴールについたご褒美もらっていい?」
マヒロがこくんと頷いたので、遠慮なく紅が塗られた唇を塞ぐ。ただ触れるだけのキスなのに、身体をひどく緊張させていた。可愛い。
すぐに体を離すと「え?」と驚いた顔をされた。可愛い。
「ん? もっと欲しかった?」
頬を優しく撫でる。こちらの手に顔を押し付けてきたマヒロは「うちにもご褒美くれへんの?」と言った。
「君にならいつでも……けどなんのご褒美?」
親指で、その柔らかい唇をふにふにと刺激すると、甘い吐息がこぼれ出た。
「あなたを好きになったご褒美」
吐息以上に漏れ出た甘い言葉に、さすがに少し動きを止めてしまう。恥ずかしがり屋のマヒロは、中々好きと言ってくれない。態度で分かるしそんなところも可愛いから気にしてなかったけれど、言われて嬉しくないわけがない。
「ああ、それは……たしかにご褒美あげないと」
たっぷりと、たっぷりと。
マヒロが味わえるようにゆっくりと。
「ゲイルッ、ゲイル、もっと、ほしぃ」
「うん。いいよ。君が望むなら、いくらでも」
とろけきった顔で、彼女らしくないことを頼まれる。けれどそれが本心だと分かっているから、俺はそれを叶えるだけ。
「絶対、絶対離さんといて」
「うん。離さないよ」
「もっとぎゅっとして」
「うん……痛くない?」
「大丈夫……もっとうちを見て」
「それなら安心して。最初から、俺には君しか見えてないよ」
爆発音のようなものと歓声が聞こえている。きっと今頃空に花火が咲いている。けど興味はない。
そんなものを見ている暇があるならば、一分一秒でも長くマヒロを見ていたい。
「ゲイル、好き。好きやの」
「うん。知ってるよ。まぁ、俺の方がもっと君が好きだけどね」
「ふふっ、うん。うちも知ってる。あなたの愛が重いって」
「愛が重たい男は嫌い?」
「……正直嫌になることはあるけど、諦めた」
「そっか。ならよかった」
「いやよくないから。そこは直そうとするところちゃうの?」
「君が可愛すぎるのを止めるなら直るかも」
「先に眼科行った方がええかも……ぁ」
マヒロの声が震えた。彼女の姿が薄くなっている。気配が消えていく。
「ゲイル。名前、名前呼んで」
「マヒロ。マヒロ、マヒロ」
名前を呼ぶと、お返しのように呼んでくれる。抱きしめる腕に力を込めたら、ぎゅっと抱き返してくれる。
マヒロの茶色い瞳から、涙が溢れた。
「嫌や、ゲイル。消えたくない、消えたくない。ゲイル! ゲイル! 嫌、うちはここに」
「マヒロ、行くな。ここにいろ。ここにずっと! 俺のそばに」
俺のそばにいてくれ。
その言葉を言い終わる前に、マヒロの泣き声が聞こえなくなった。ぬくもりがなくなった。感触がなくなった。香りがしなくなった。
「……マヒロ?」
パンパンパンッ……パラパラ。
頭上では馬鹿みたいに花火が上がっているのに、俺の腕の中には誰もいなかった。
「……う、ぁ」
見下ろした腕の中には誰もいないのに、水滴だけが降り注ぐ。
「ぁあああああああああああああああああああっ」
君がそばにいることが、当たり前になっていたのに。