第2話『可愛い』
目を開ける。また新しい物語の始まりの瞬間だ。
見慣れた天井は騎士団の宿舎。……一応街に屋敷はあるのに、面倒でずっと戻っていない。
(良かった。まだ飽きてないみたいだな)
またあの声が聞ける、と思いながら起き上がろうとして違和感に気づく。
「ぅん……」
自分以外の声がした。そして体の左側が温かい。柔らかいものが触れているのが分かる。
(ん? んー……この感触ってまさか)
どう考えても人肌だ。聞こえた声も女のものだった。サァーっと顔が青ざめる。リセットした瞬間にはいつも一人だったが、最近自堕落になってから適当に女を連れ込むこともあった。
もしかしてリセット日から一日経っているんだろうかなどと思いながら、恐る恐る左側を見る。
「…………」
まったく知らない女がいた。
かぁっと顔が熱くなる。女はどうも服を着ていないようで、寒いのだろう。暖を取ろうと俺にすり寄ってきている。この感触は、上だけでなく下も何も身に着けていないだろう。
(いや待て待て待て。何も覚えてな……って、俺は服着てるな)
ひとまず自分はシャツもズボンも身につけていることにホッとし、女を確かめる。
あまり見かけないほど黒黒とした短い髪。ここまで短いのは女には珍しい。髪型だけなら男かと思うかもしれない。
しかしさらさらとしたその髪の下から現れる顔立ちは明らかに女のものだ。美人……とは言えないが悪くもない。自分の好みとは異なるが、若干幼く見える顔立ちとは正反対の体つきを直接感じ取って思わずつばを飲んだ。……少なくとも、この体つきは俺の好みで、酔っ払って連れ込んだ可能性がゼロではない。
とりあえずこのまま接触していては非情にまずいと判断し、起こさないようにそっとベッドから出る。女は寒そうに見を丸めたが、まだ起きない。
「服は……?」
見慣れた部屋を見渡すが、不思議なことに女が着ていただろう服がない。破いたからとかではなく、それらしきものが何一つとしてない。
まるで女だけが突如部屋に現れたかのように。
「……は? いやいやいや」
自分で考えて否定していると、ベッドの上から呻く声がして固まった。さっきの声は短すぎて気づかなかったが、声に聞き覚えがあった。
「んぅ……も、あさ……?」
寝ぼけた声であったが、やや低くて落ち着いた声。
ぎぎぎっと首を女へやると、女がのそのそと起き上がり、目を擦っている。はらりと布団がずれて、豊満でありながら形の良い乳房と先端でピンクに色づく乳首がハッキリ見えて、思わずじっと見た。
見てしまった。
女が呑気に伸びをしたことで形を変えながらぷるんと揺れるのもしっかりじっくり見てしまった。
顔を埋めたり揉んだり吸ったりしたら気持ちいいだろうなぁとか思ってしまった。
その瞬間、目があった。
「…………」
しばらく互いに無言だった。
まだ頭が覚めてないらしい女はただただ驚いて不思議そうにしていて、状況を理解していないようだ。なので今更……本当に今更だが俺はそっと視線をそらして、言った。
「とりあえず、その……隠してもらえると助かる」
いや見せてくれるなら歓迎だけど、という本心はもちろん胸にしまって。
「へ、隠す……! っ~~~~~~~~~~」
女の、声なき悲鳴が響いた。
* *
そこからが大変だった。
女自身、なぜ裸でここにいるのか分かっていなかった。ひとまず俺の服を貸したものの……。
(逆にエロいのやばいな)
当たり前にサイズがあわない。ゆったりを通り越してぶかぶかなため、豊満な体のラインは隠せるものの、その格好できょとんと見上げられると胸に突き刺さるものがあった。可愛い。
今日が非番で良かった。
とはいえ明日は無理だ。俺の物語の出番は明日からで、いわゆるチュートリアルの途中から参加して、プレイヤーに基礎を教えなきゃいけない。
(今日中に色々と話をつけておかないと)
女……彼女を放置する気はない。話して分かったが、やはり彼女がプレイヤーだった。本人に確認したので間違いない。
「えーっと間違ってたら悪いけど、君ってプレイヤーだよね?」
「えっ? なんでゲイルさんが知って」
驚く彼女に素直にここがゲームの世界で、自分がNPCに過ぎないことを知っていると告げた。彼女に嘘はつきたくなかった。
「それで君のプレイ中の声とか聞こえてて」
「なるほど……って、え? 声が聞こえ……わ」
「わ?」
「忘れてぇ。あんなん忘れて。や、どうしよう。うち、変なこと言うてない? ァー、その顔、絶対何か言ってるー!」
と、耳や首まで真っ赤になって叫んでいた。可愛い。
そして慌てて訛りのあるあの喋り方に戻っていた。可愛い。
ちなみに普通に話して良いとは言ったものの、いきなりタメ口で話すのが苦手らしい。
「すみません。ちょっとずつ慣れて行くと思うので……いいですか?」
人見知りなのだろう。不安げにそう見上げられて駄目ですとは言えない。可愛い。
落ち着いた雰囲気があるとか声だけで思っていた。実際、年齢としては20代どころか30代だったそうなので間違いない。しかし肉体は若々しく見えたので指摘すると、どうやら肉体が若返っているらしい。
「肌も髪もつやつややん……それはありがたいけど、どうせなら身長足してもっと細くしてくれてもよかったのに」
全身鏡でじっくりと自身を確認している姿を後ろから眺めている時はちょっとやばかった。なにせサイズがあわなさすぎてズボンを履いていない。それでも余裕で太ももまで覆われているわけだが、揺れ動く腰と尻。ムチムチとした触り心地良さそうな太もも……眼福。
(全然太くないから! 俺としてはそのままいて欲しい。むしろもうちょい太ももに肉がついてもいい!)
そんなことを叫びたくなるのをぐっとこらえ――叫んだらただの変態だ――ひとまず、彼女の環境を整えるべく準備をする。
俺としては彼女がこの格好で出迎えてくれるならば全然ここにいてくれてもいいのだが、これから何日もここには帰ってこれない。何よりもここは騎士団の宿舎。
つまり野郎だらけだ。
そんなところにこんな状態の彼女を置いておけばどうなるか……非情に危険だ。
いくら団長が厳しいが故にうちの騎士団の規律が整っている方とはいえ、戦闘後や遠征後の溜まった上に気が高ぶっている時にベッドの上で男物のシャツだけ身につけた彼女を見たらどうなるか。
(……団長クラスの堅物じゃないと我慢とか無理じゃね?)
ということで、彼女の安全のために、いろいろとしなければならない。
「その、すみません。ご迷惑おかけします」
「良いって。君だって突然で困ってるんだから」
とても申し訳無さそうに身体を縮める彼女。その小さな体は震えている。無理もないだろう。
目が覚めたらゲームの世界にいる、だなんて現実離れしている。子どもだろうと大人だろうと不安になる。
茶色い瞳は必死に心を奮い立たせようとしつつも、不安で揺れていて……可愛い。
(落ち着け。可愛いしか言ってない)
俺だって混乱している。ずっと声しか知らなかった彼女が今目の前にいるのだ。ゲームの世界の話でも、俺にとっては現実で。
声だけであんなにも惹かれていた人が、俺をその目で見つめて、俺の名前を口にして、俺に話しかけているのだ。興奮するなという方が酷だ。
(ああ駄目だ。好きだ。どうしようもなく好きだ)
今までハッキリと言葉にするのを避けていたのに、心の中で形にする。
ここがゲームの世界だとか、自分がNPCで相手が現実の人間だとか、そんなことがどうでも良くなるくらいに惚れているのは事実だった。
「あ、そうだ。改めて名乗るけど、俺はゲイル。ゲイル=アシュフォルド」
どきどきしながら自己紹介した。わざとらしくないかと心配している俺に気づかない彼女は、そこでようやく名乗っていないことに気づいて慌てた顔をした。可愛い。
「! すみません。
私は高澄真尋……あー、マヒロ・タカスミです」
マヒロ。
ずっと知りたかった名前を軽く口の中で転がして練習する。マヒロ、マヒロ、マヒロ……不思議な響きだったけれど、彼女によく似合っていると思った。
「そっか、マヒロ。これからよろしく」
「お世話になります、ゲイルさん」
手を差し出すと、マヒロが少しだけ微笑んで手を握り返してくれた。柔らかい。可愛い。
* *
マヒロと出会ってから、俺の世界は再び色づいた。現実味を帯びたと言って良い。
最近サボっていた訓練にも積極的に参加して、任務も今まで以上に真面目に取り組み、そして時間きっちりに終わらせて『家に』帰宅する。宿舎ではなく。
今までは面倒だからと宿舎で過ごしていたが、今は家にマヒロがいる。
俺の家は、平民からすると屋敷と言えるくらいには割と大きい。門衛も含めて使用人も少なめだがしっかりいるため、宿舎より安心だ。
初めて出会った日……家に速攻で帰った俺は、昔から仕えてくれている侍女長マーサに頼んで女物の服を手に宿舎に来てもらった。
マヒロと話し合った設定……暴漢に襲われていたところを助けた、という言い訳で。
本当はもっと違う言い訳にしたかった。マヒロの名誉が傷つく。けど、服がまったくない状況の説明がそれ以外だと難しい。
「まぁまぁ、なんてこと……怖かったでしょう」
信じ切っているマーサたちに罪悪感はあったものの、まさかここがゲーム云々などと言うわけにもいかないので仕方ない。
マヒロは大人の女性だ。家の者たちとも上手くやっているようで、家の雰囲気はいい。
何よりも
「おかえりなさい、ゲイルさん」
微笑みとともにマヒロが出迎えてくれる。可愛い。
マヒロはスカートが苦手らしいのだが、この世界では女性がズボンを履くのは足のラインを見せる娼婦だけなので我慢して必死に慣れようとしている。足首まで覆うスカートを着慣れなさそうにもじもじしていて、可愛い。
(マヒロが望むならズボンを仕立ててあげたいけど、それ着ているの見たやつら殺したくなるし、俺も見たら耐えられないから我慢してもらおう)
マヒロの脚線美を知っているのは俺だけでいい。
* *
「あの……ゲイルさんはこの世界のことどれくらいご存知なんですか?」
夜。
日課となったマヒロの報告を聞いていると、そう問われた。コチラを見つめる目は真剣で、どんな些細なことも見逃さないと言わんばかりだ。可愛い。
「んー、大体は知ってると思う。チュートリアルから始まって、邪竜の封印が解けて」
「っ」
「俺が死ぬまでなら」
さすかに死んだあとのことはわからない、と笑うとマヒロは唇を噛み締めた。怒っているようで、悲しんでいるような。
溢れ出る感情を必死に抑え込んでいる表情を見て、思った。
(俺の最後の瞬間も、こんな顔してくれてたのかな)
モブキャラに過ぎない俺の死をこんなにも真摯に受け止めてくれていたならば、不謹慎かもしれないけど、嬉しい。
「私は……あなたに死んでほしくないです」
「うん、ありがとう」
システム上、どう頑張ってもそうなっているのに頑張ってくれているのを知っている。
「なんで、笑ってるん?」
マヒロが不機嫌そうな声を出した。ちょっと訛っている。感情が高ぶっているのだろう。ああ……愛しい。
「だって俺の死が、無駄じゃなかったんだなって思ったから」
物語を盛り上げるための死。けれどもそんなにも君の心を揺さぶる死。
心を揺さぶれるほどの存在として認識してくれているという事実。
それだけで満足だった。
このまま再び俺が死んで、エンディングを迎えて……そしてプレイヤーがゲームに飽きてもうリセットされることがなくなったとしても、満足だ。
「大丈夫だよ。エンディングが来れば、君は帰れる」
安心させるように笑う。
意味のない慰めではなく、なぜだか確信があった。俺がこの世界をゲームだと認識した時と同じように、唐突に理解したことだ。間違いないだろう。
「……決めました」
「ん?」
若干俯いていたマヒロが顔を上げる。茶色い瞳は潤んでいたけれど、泣いてはいなかった。可愛い。
「私、あなたを死なせません!」
小さな拳を握りしめて宣言するマヒロに、やっぱり『可愛い』という感想しか出てこない俺は狂っている。
「覚悟しときや!」
極めつけのセリフに、ノックアウトされた。ああ、本当に可愛い。
「そっか。楽しみにしとく」
どこか他人事みたいな俺の態度にムッとした表情すら可愛くて、俺はこれからエンディングまで一体何度可愛いと呟くのだろうかと、そんなことが気になった。
ベタ惚れやん。