第9話 子供の成長は案外はやい
「お父様! これは何というものなのですか?」
現在、俺たちは大通りの露店を見て回っているところだった。
アリーゼはとある露店のツボの中を覗き込んで、そう聞いてきた。
「これは塩、っていうものでね、お魚が腐らないように漬けておくものなんだ」
現代日本では主に調味料として親しまれている塩は、中世ではニシンやタラといった海水魚を保存する時によく用いられていた。
このゲーム世界はその中世ヨーロッパをモチーフに作られているため、このツボの中に入っている大量の塩を掻き分けると、おそらくそれらの魚が出てくることだろう。
そんな風にアリーゼの好奇心に赴くまま街を見て回り、俺はその度に出てくる彼女の疑問に答えていった。
しかしその時だった。
アリーゼからしてみたら、その疑問は今まで俺に聞いていたものと何ら変わらず、本当に純粋な疑問だったのだろう。
彼女が同年代とのかかわりが少なかったことも相まって、その疑問がよくないものであるという認識に欠けてしまっていた。
道の外れ、裏路地の傍で、体育座りをして、ただじっと何かを待っている少年がいた。
おそらくスラムの子供なのだろう。
着ている服は穴だらけで、一目で貧困に苦しんでいるということがよく分かった。
アリーゼはそんな彼を見て、不思議そうに指をさして俺にこう聞いてきたのだ。
「ねえ、お父様。何であの子はあんなに薄汚れた格好をしているの? お洋服、買い替えればいいのに」
「――ッ! アリーゼッ!」
俺は思わず鋭い声を出してしまった。
出した直後、彼女の驚いたような、それと同時に恐怖するような表情が俺の目に飛び込んできた。
やらかした。
そう思った。
こういう時、いきなり大声を出せばいいってものでもない。
怒られた側は、なぜ怒られたのかを理解しないまま、理不尽を被ったと感じてしまうものだからだ。
そうなってしまったら、その後に何を言われても受け入れることが出来なくなってしまう。
駄目なことをした時には、あれも駄目、これも駄目と行き場をつぶしてしまうのではなく、こうするべきだったと納得するような理由とともに、大人として正しい道を示してやるのが良いのではないだろうか。
駄目、やめなさい、を積み重ねていくと、子供の周りにあった道は、ドンドンと行き止まりになっていって、迷子になってしまうと思うのだ。
俺は、そのことを分かっていたつもりだったのに、反射的に怒鳴ってしまった。
慌てて取り繕うとするが、状況がそれを許さない。
指をさされた少年が、立ち上がって、剣呑な表情のままこちらに向かってきていたのだ。
「おい、そこのガキ」
その少年は低い声でアリーゼにそう言った。
「……何ですか?」
あからさまにアリーゼも不機嫌だった。
何故か分からないけど、俺に怒られた。
その原因は彼にあるらしい、と考えているのかもしれない。
「今、俺のことを馬鹿にしたのか?」
「してませんよ」
「いいや、絶対にしたね。俺は確かに頭が悪いけど、お前たちが俺のことを侮辱したってことくらいは分かるつもりだ」
止めなきゃならない。
そう思うのに、頭が混乱してどう止めればいいのか思いつかない。
完全に判断が鈍ってしまっていた。
「いいえ、していません」
「いや、絶対にした」
両者、一歩も自分の主張を退けなかった。
子供らしい意地の張り合いなのだろう。
もう一触即発といった感じで、互いにイライラを募らせていっている。
流石にもう止めないとヤバい。
俺は仲裁するために、慌てたように口を開こうとして――
「……どうして、どうして侮蔑されたと思ったんですか? 私はそれが知りたいです」
ふと、アリーゼは真剣な表情で少年にそう尋ねた。
そのまっすぐな視線を向けられて、少年は虚を突かれたように狼狽えてしまった。
「ど、どうしてって、そりゃあ……なあ……」
「ごめんなさい。本当に分からないんです。私が悪かったのなら、謝ります。だから、教えてください。お願いします」
そう言ってアリーゼは頭を下げた。
俺はそんなアリーゼの様子を見て、思わず目を見張った。
……子供の成長は早い。
そんな言葉は何度も何度も聞いてきた言葉だ。
聞き飽きたと思えるほどに。
しかしこうして、親としてそれを実感すると、やはりそれは真実なのだと思わされる。
アリーゼは、感情任せに怒鳴り合うわけでもなく、自分の非を認めようとしている。
さらには、ちゃんと怒らせてしまった理由を理解して、その上で謝罪しようとしているのだ。
「……い、いや、俺もいきなりキレて悪かったけどよ……この服は俺のお母さんが最後に残してくれた服なんだ」
やはり彼は親の死で行き場を失った孤児か。
領主として、放置していい問題ではないな、これは。
このような子供がいるってこと自体、俺の力不足のせいなのだから。
……帰ったら何か対策を考えなければ。
俺がそんな考え事をしている最中、アリーゼは彼の言葉を聞いて目を見開いていた。
彼女の瞳はゆらゆらと揺れている。
「そう……お母様が……」
アリーゼは、産まれた時から母がいない。
ずっと親は俺一人だけだった。
だからこそ、少年の言葉に何か思うところがあったのだろう。
彼女は泣きそうになりながら、それでも奥歯を食いしばって泣くのを我慢して、こう頭を深々と下げた。
「ごめんなさい。そんな大切なものだとは知らなかったのです。本当に、傷つけようと思って言ったわけじゃ、なかったんです」
泣きそうになりながらそう謝るアリーゼに、少年はしばらく口をパクパクとさせていた。
しかしすぐにプイっとそっぽを向くと、照れ隠しのような声でこう言うのだった。
「ゆ、許すも何も、そこまで怒ってねぇよ。知らなかったもんは、仕方がないからな。お、俺だって、知らないことばかりだしな」