第5話 お披露目会は難しい
俺とベルジェ公爵はしばらく黙って顔を見合わせていたが、俺はふと我に返って傍に控えているメイドに言った。
「彼を広間まで案内してあげてくれ」
「かしこまりました、ご主人様」
そうしてベルジェ公爵はメイドに案内されてその場を去っていく。
ふぅ……緊張した……。
いきなり婚約の話とか切り出されたらどうしようかと思っていたのだ。
アリーゼが婚約に対してあまり乗り気ではない、ということをどう彼に伝えようか。
その心の準備がまだ出来ていなかった。
それからもやってくる貴族たちを全て捌き切り、ようやく開会の準備が全て整った。
俺も屋敷の廊下を抜け広間まで行くと、集まって談笑している他の貴族当主たちに向かって挨拶を始めた。
「この度はお越しいただきありがとうございます。主催者のデニス・バタイユでございます。以後、お見知りおきを。さて、今回は私の一人娘であるアリーゼが5歳の誕生日を、今日、迎えまして、このようにお披露目会を開催させていただくことになりました。自慢の娘でありますので、是非とも皆様にご覧いただきたく存じます」
俺がそう言い終わると同時に、ウチでお抱えの音楽隊が厳かな旋律を奏でる。
同時に、今俺がいる反対側の、ひと際大きな扉が、音を立てて開き始めた。
……きれいだ。
俺は扉の奥から出てきたアリーゼを見て、ふとそう思ってしまった。
出会った頃の妻を思い出すような、美しく凛とした佇まい。
確かに緊張しているのは分かるが、それでも背筋をちゃんと伸ばし、前を向いて胸を張れている。
今までロクに外界とも接触してこなかった彼女が、こんなたくさんの大人の前で堂々としている姿は、妙に心を高揚させた。
「初めまして。私はバタイユ家の長女、アリーゼ・バタイユです。この度5歳になりまして、こうしてお披露目の機会をいただきましたことを心より感謝申し上げます」
そう言ってアリーゼが言葉を区切ると、盛大な拍手が広間に響き渡った。
凄い……。
すらすらと淀みなく言葉を発せられていて、我が娘ながら俺は素直に感心してしまった。
相当練習してくれたのだろう。
確かに家庭教師からはアリーゼが一生懸命練習していることは伝え聞いていた。
しかしこうしてその練習の成果を実感させられると、やっぱり自分の娘の成長に涙が零れそうになる。
まあ、こんなところで泣いてしまったら、貴族としての名折れだから、もちろん我慢するけどね。
そうして挨拶を終えたアリーゼはくるりと反転して、扉の奥に消えていこうとして――
ビリッ――!
布が避ける音が聞こえた。
それと同時に、アリーゼがバランスを崩して倒れこんでしまうのが、スローモーションで俺の視界に映った。
ドサッ。
アリーゼは壇上で完全に転んでしまっていた。
基本的にこういう場でのドレスのスカートというのは引きずるほどの長さを持つ。
それに加えて、高いヒールを履くのが一般的だ。
その状態で平然と歩くのは、相当訓練を積まないと出来ないことなのだ。
そしてアリーゼは、ヒールのかかとをスカートにひっかけて転んでしまったのだろう。
今まで気を張っていた彼女は、転んでしまったことによってその糸が完全に切れてしまい――
「うっ、うっ、うわぁあああああああああああああああああぁああああぁあああああああああああん!!」
俺は無意識に体が動いていた。
「アリーゼ!」
叫びながら自分の娘のところに駆け寄る。
他の貴族の目がとか、貴族としての気品がとか、体裁がとか、そんなのはまったくもってどうでもいいことだった。
俺は転んで泣いているアリーゼの傍によって、抱きかかえると、そのまま奥に引き下がった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! うわぁあああああああぁん! ごめんなさいぃいいいいぃい!」
彼女は俺の腕の中でそうずっと泣きながら謝っていた。
誰の目にもつかない、奥の部屋まで彼女を運ぶと、俺は椅子に座らせた。
貴族たちが待っていることなんて、この際どうでも良かった。
そんなものは後からでもどうとでもなる。
嫌われたのなら、誠心誠意謝罪して、それでも許してもらえなかったらお金を渡そう。
いくら払ったっていい。
でも、今ここでアリーゼを放置したら、彼女の心に一生消えない傷をつけてしまうと、俺は直感的にそう思った。
俺は彼女を力強く抱きしめながら、こう何度も言った。
「大丈夫、大丈夫だから。アリーゼはよく頑張ったよ。凄かった。感動した。俺はアリーゼが頑張ってくれていた姿を見て、とても嬉しかったんだ。だから大丈夫だよ」
しばらく彼女は泣いていたが、俺が必死にそう言い聞かせていたこともあって、徐々に落ち着きを取り戻していった。
やっと完全に泣き止み、彼女は落ち込んだ様子で俺にこう言った。
「ごめんなさい、お父様……。私、お、お父様の迷惑にならないようにって、いっぱい頑張ったんで、すけど……でも、うっ、うっ、上手く、で、出来なくて、そ、そ、それで……う、う、う、うわぁあああああああああああああああああああああぁあん!」
話しながら思い出してしまったのか、再び泣き出してしまうアリーゼ。
俺は何度も何度も大丈夫だと話しかけながら、その背中を擦ってやるのだった。