第38話 家族揃ってお買い物
「明日、三人で街に出掛けるか」
ある日の午後、俺はみんなにそう提案した。
レーアは椅子に座って読書をしていたが、顔を上げて言った。
「いいじゃない。楽しそうだわ」
「私も賛成です! あの時は……ちゃんと全部見て回れませんでしたからね」
アリーゼは何処が居心地が悪そうだった。
その直後に家出しちゃったわけだしな。
ちょっと気まずいよな。
「さて、それで決まりだな! じゃあ明日の午後はみんなで買い物だ」
そうして俺のふとした思いつきで、家族揃って買い物をすることが決まるのだった。
***
青空市場の賑わいが広がる中、俺たちはゆったりとした足取りで歩いていた。
今日は特に目的があるわけではなく、久しぶりの家族の買い物を楽しもうという日だからな。
焦る必要もあるまい。
「こういう市場に来るのは久しぶりだな」
俺は呑気にそう言いながら、屋台の並ぶ通りを見渡した。
焼きたてのパン、乾燥ハーブ、美しい装飾品。
目移りするほどの品々が並ぶ中、早くも俺の目にとまったのは、一振りの見事な装飾が施された短剣だった。
「おお、これはなかなかの品じゃないか」
デニスは興奮気味に屋台の前に立ち、店主に声をかける。
「いくらだ?」
店主は俺の服装をじろりと見て、にっこりと笑った。
「お客さん、目が高いですね。この短剣は王宮御用達の職人が作ったもので、たったの五十金貨でお譲りしますよ」
アリーゼは目を丸くした。
「五十金貨!? そんなに高いんですか?」
「そうだろうな。これほどの品はなかなかお目にかかれないだろうし」
俺はそう言いながら、財布を取り出し――
「待って」
すっとレーアが俺の腕を押さえた。
「その短剣、五十金貨もするわけないわ」
「えっ……?」
俺は驚き、アリーゼは興味津々といった顔で母を見た。
レーアはゆっくりと短剣を手に取り、柄の装飾を指で撫でながら言った。
「この彫刻、たしかに職人技だけど、王宮御用達の仕事なら、ここまで装飾は派手にしない。機能性より見た目を重視しているわね。さらに、この刃の仕上げ……見た目は綺麗だけど、材質が少し軽すぎる。おそらく、王宮御用達の品ではないわ」
店主の顔がひきつった。
「そ、そんなことは――」
「加えて、そちらの屋台の奥にも同じ短剣が三本並んでいるわ。王宮御用達なら、そんなに大量生産できるはずがないでしょう?」
店主は明らかに動揺しながら、ごまかそうと口を開いたが、レーアは優雅な笑みを浮かべたまま続けた。
「この短剣、実際のところ、二十金貨が妥当ね」
「に、二十金貨!? そんな馬鹿な!」
「だったら結構よ。他を当たるわ」
そう言い放つと、レーアは俺とアリーゼを引き連れ、さっさと屋台を離れようとする。
その瞬間――
「待った! いいでしょう! 二十金貨で!」
店主が慌てて値を下げた。
「ふふ、ありがとう。では、十五金貨にしてもらえる?」
「えぇっ!? そ、それは……」
「ダメかしら?」
レーアは穏やかな微笑みを浮かべるが、その笑顔には圧力があった。
店主はしばし悩んだ末、大きくため息をついた。
「……わかりました、十五金貨で……」
「助かるわ」
レーアは優雅に短剣を受け取り、十五金貨を手渡した。
一方、俺はぽかんと口を開けたままだった。
「す、すげぇ……」
アリーゼも目を輝かせる。
「お母様、すごいです! たった数分で三十五金貨も値切るなんて……」
「市場ではね、交渉するのが当たり前なのよ」
レーアはさらりと言ってのけた。
よ、よしっ、今度は俺もやってみるか。
俺はそう意気込み、別の屋台へと向かった。
***
次に俺が目をつけたのは、美しく彫刻が施されたランプだった。
「おお、これもなかなかいいな。いくらだ?」
「お客さん、お目が高い! これは特別な細工を施したもので、四十金貨ですが……今なら特別に三十五金貨でお譲りします!」
俺はレーアの交渉術を思い出し、どや顔で言った。
「じゃあ三十金貨にしてくれ」
「うーん……まあ、お客様のために……三十二金貨でどうでしょう?」
「よし、買った!」
いやぁ、案外簡単に値切れた。
即決で三十二金貨を差し出す。
……が、次の瞬間、レーアが頭を抱えた。
「デニス……それ、普通に三十金貨で買えたわよ……」
「え?」
「店主、最初から四十金貨って言ってたけど、最初の三十五金貨ですでに値引きしていたのよ。そこから二金貨しか値切れてないわ」
俺は青ざめ、店主はにこやかに笑った。
「いい買い物でしたね!」
「なん、だと……」
俺はがっくしと膝をつく。
一方、アリーゼは大笑いしながら、「お父様には値切りの練習が必要ですね」と言い放つのだった。
***
帰り道、俺はしょんぼりとうなだれていた。
「俺だって貴族なはずなのに……」
「値切りは交渉というより目利きの方が重要だから」
レーアがくすくす笑う。
「お父様! 今度、値切りの練習をしましょう!」
アリーゼはにっこりと笑ってそう言った。
娘に交渉術を教わる父なんて情けなくない……?
くそう……せっかく社交界で鍛えた腹芸が……。
やはりこういった交渉術ではレーアには絶対に勝てないのだと、そう思うのだった。
案外モチベが維持できそうなので、『第二章:関係の物語』を執筆しようと思います。
引き続きよろしくお願いします。




