第37話 親バカ二人
アリーゼは厨房の台所の前に立つと、ふんすと鼻の穴を大きくして気合いを入れた。
「よしっ!」
腕まくりをしてそう言うと、彼女は包丁を握る。
今日はアリーゼは料理をしたいとセバスに伝えていた。
いつもの感謝を込めて両親にチョコレートを振る舞おうと思ったのだ。
そのためにわざわざメイドに頼んでカカオまで買ってきてもらっていた。
気合いは十分である。
しかし……とアリーゼは思った。
厨房の扉のところが少し半開きになっていて、二対の目がこちらを凝視している。
父と母だった。
サプライズのつもりが、どこからか情報が漏れてしまったようだ。
ジッと見つめられて、居心地の悪さを感じながらも、アリーゼは気にしない気にしないと自分に言い聞かせながら調理を開始する。
既に料理人にカカオのローストまでは済ませて貰っていた。
それを粉砕してカカオマス状にし、トウモロシ粉や唐辛子などの香辛料を混ぜる。
そして水を加えて攪拌して、完成だ。
アリーゼはまず、すり鉢にカカオ豆を入れてゴリゴリとカカオマス状にすり潰していく。
のだが……。
「ねえ、デニス。あれ、手怪我しないかしら?」
「だ、大丈夫だろう。俺はアリーゼを信じている。そんな簡単に怪我なんてしないはずだ」
「そう言うデニスの手、震えてるわよ」
「だっ、だって、アリーゼの初めての料理だぞ! 心配になるのも仕方がないじゃないか」
「ふふっ、心配性ね、デニスは」
「……そう言うレーアだって見に来てる時点で心配性だろう」
「うっ……痛いところ突かないでよ」
そんな会話が背後から聞こえてくるのだ。
逆にやりづらいったらありゃしない。
これではかえって怪我をしてしまうんじゃないかとアリーゼは思った。
まあ、二人は気づかれていないと思っているんだろうけど。
「よしっ……こんなものかな」
アリーゼは念入りにカカオをすり潰し、額の汗を拭ってそう言った。
「良かった。無事に粉砕は終わったみたいね」
「これからはそこまで危険な調理はないはずだ。うん、大丈夫、大丈夫」
「なに自分に言い聞かせているのよ。もっと父親ならしゃきっとしなさい、しゃきっと」
「そういうレーアだって扉を握る手に力が入りすぎてるぞ」
……やっぱりやりづらい。
アリーゼは何か文句言おうと思って振り返った。
するとサッと扉の隙間から消え、二人は隠れてしまった。
…………。
これでは文句も言えないじゃないか、とアリーゼは思った。
そして前を向くと、また覗きに戻ってきた気配を感じる。
「バレてない……わよね?」
「ああ。おそらくな。魔力で気配を消してるんだ。バレるわけがない」
「そうよね。……じゃあ、さっきのは偶然よね」
気配を消そうとしていても、心配する気持ちが強すぎてメチャクチャ視線が伝わってきていた。
それに声だってちゃんと届いている。
ウチの父と母はいざとなったら頼りになるのに、何故普段はこんなにも親バカなのだろう。
思わずため息をつきそうになりながらも、アリーゼは作業をこなしチョコレートを完成させた。
「……無事、完成させたみたいね」
「そうだな。良かった」
「じゃあ私たちはこれで退散しましょうかしらね」
「ちゃんと驚く演技も練習しないとな」
そんなことを言いながら父と母は去って行った。
驚く演技すら練習しようとするあたり、アリーゼのことを第一に思っていることは分かるのだが、それでももう少し色々と徹底して欲しいものだとアリーゼは思うのだった。
***
「おおっ! チョコレートか! これをアリーゼが作ってくれたのか!?」
「ありがとう、アリーゼ! お母さん、とっても嬉しいわ!」
少しオーバーなリアクションで二人はそう喜んだ。
でも、喜んでくれたこと自体は本心なんだろうとアリーゼは思う。
「それじゃあ、飲んでみてもいいか?」
「はい。どうぞお召し上がりください」
アリーゼはちょっと恥ずかしがりながらも、そう膝を曲げてカーテシーをした。
そして二人はスプーンでチョコレートをすくって、口の運ぶ。
「……うん! 美味しいよ、アリーゼ!」
「とっても美味しいわ、アリーゼ!」
二人とも美味しいと言ってくれた。
そして夢中になって二人はアリーゼの作ったチョコレートを飲み干す。
「ありがとう、アリーゼ。ごちそうさま。とても美味しいかったよ」
「ふふっ。娘にこんなものを作って貰えるなんて、私はなんて幸運な母親なのかしらね」
二人は微笑み、温かい表情でそう言った。
その言葉と表情に、アリーゼも心が温かくなる。
作って良かった。
「お父様とお母様には日頃お世話になっているので。こうして感謝を伝えたかったのです」
「うんうん、その気持ちちゃんと伝わってるよ」
「んん~! アリーゼ~! お母さん、とっても感激してるわ!」
頷く父に、抱きしめてくる母。
今日も今日とて、穏やかで良い日だ。
こんな日々も、あの日頑張って勇気を出して〈世界迷宮〉に向かったから手に入れられた。
こんな日々がずっと続きますように、とアリーゼはそう思うのだった。




