第31話 母
アデーレ――レーアは一目見ただけで少女が自分の娘であることに気がついた。
彼女はもう11歳になったと言っていた。
幼い頃から彼女を見守れなかったという寂しさと、こんなにも大きく育ってくれたという嬉しさが入り混じる。
その複雑な感情は否応にもレーアの心を強く締め付けた。
この〈世界迷宮〉は時間軸が歪んでいる。
どうやら中と外とでは時間の進む速度が違うみたいで、こちらでは一年も経っていないはずなのに、向こうでは十一年も経過していたみたいだった。
ああ……置いていかれちゃったな……。
レーアは心の中でそう呟く。
三人で過ごすはずだった時間はもう戻ってこない。
やりたいことはたくさんあった。
一緒に誕生日を祝ったり、一緒にお外に遊びに行ったり、貴族だからお披露目会だってあったはずだ。
お披露目会のアリーゼをたくさん着飾ってあげるのも密かな楽しみだったのだ。
でも、それは叶わなかった。
もう過ぎ去りし時は戻ってこないのだ。
それに……今さら現れた母親をどう思うだろうか。
父親――デニスはとても愛されているみたいだった。
そしてデニスも十分にアリーゼを愛しているみたいだった。
そこに自分の入る余地はあるのだろうか?
今さら現れた母親を、娘は受け入れてくれるだろうか。
そのことが不安で、本名を告げられなかったのだ。
「やぁっ!」
自分の真横ではアリーゼがゴブリンたちと戦っている。
かなり強い。
この〈世界迷宮〉のゴブリンは地上のものよりも強いはずなのに、負けていなかった。
デニスは自分の娘をどうしたいのだろうか。
レーアは少しの不安を感じた。
もしかしたらデニスはアリーゼに私を重ねているのではないかと、レーアはほんのばかしそう思った。
レーアは色々な想い、考えを断ち切るように、ゴブリンたちを切り刻む。
すぐにゴブリンたちは全滅してしまった。
「……アナタ、強いのね」
レーアはアリーゼに言った。
それを聞いたアリーゼはどこか恥ずかしそうにこう言う。
「お父様に鍛えられていますから」
「なんでお父様はアリーゼちゃんを鍛えているの? アリーゼちゃんは女の子なのに」
そう言ったレーアの目をアリーゼはしっかりと見つめ返して答えた。
「私のお父様は昔はどこか素っ気なくて、距離を感じていたんです」
アリーゼはそう話し始め、レーアは後でデニスを叱ろうと思った。
が、それからの続きを聞いて考えを改めることになる。
「でも、ある日、お父様は私に一緒に遊ばないかと持ちかけてくれました。私は幼いながらも窓から父が毎日特訓しているのを見ていて、その姿に憧れてしまっていたんです。だから、何して遊ぶか聞かれて、私は一緒に特訓したいと答えたんです。……今思えば変なことを言ったと思うんですけど、その時はお父様の背中を追いかけたくて、ついそう言ってしまったんです」
「そうだったの……」
何故貴族になってからもデニスは特訓を続けていたか。
それはおそらく自分のためだろうとレーアは思った。
そしてそれを見て自分の娘は父に憧れた。
おかげで今、自分はアリーゼと出会えたし、一緒に共闘出来ている。
レーアはあまり運命なんて信じていないが、こればっかりは何かしらの巡り合わせを感じざるを得なかった。
「それから毎日、午後にお父様と特訓を続けるようになりました。私はその時間がとても好きで、とても楽しくてたまりませんでした。その結果、私はそれなりに戦えるようになったのです」
それを聞いて、レーアは余計娘に受け入れられないかもと自信をなくしてしまった。
アリーゼが好きなのはデニスなのだ。
ぽっと出の自分ではないのだ……。
「それじゃあ、先に進みましょうか」
レーアはそのネガティブな考えを振り払うようにそう言った。
しかしアリーゼはその場で立ち止まっていた。
「あの……アデーレさん」
「どうしたの?」
「もう少し、話をしても良いですか? 話したいことがあるんです」
そう言ったアリーゼにレーアは頷く。
「分かったわ。良いわよ。それじゃあもう少し移動して広い場所で座ってゆっくり話しましょうか」
「はい。お願いします」
そうして二人は少し移動して、広い空間になっている場所まで来た。
その隅で二人は並んで座ると、アリーゼは話し始めた。
「私、お母様が昔からいなかったんです」
話し始めたアリーゼに、レーアは目を見開く。
「だから、お母様というのがどういうものなのかよく分かりません。お父様とお母様がいる生活というものがあまり想像できないんです」
アリーゼの言葉に胸が締め付けられる思いだった。
レーアは娘に対して申し訳ないことをしてしまったと後悔した。
しかし、アリーゼは、でも、と話を続けた。
「でも、お父様はお母様をとても愛していたことは伝わってきました。私はお父様が好きなので、そんなお父様が愛している人とはどんな人なのだろうと、ずっと気になっていました」
レーアは結婚式のことを思い出す。
『永遠の愛を誓いますか?』
神父の結婚式に発する定型文。
ただの演出とも取れるその言葉を、デニスはずっと守り続けていたことをレーアは知った。
目頭が熱くなってくる。
「ねえ、お母様」
アリーゼは言った。
レーアは目を見開く。
「アナタ……気がついて……」
「ねえ、お母様。私はお母様のことをもっと知りたい。もっと色々と話して、もっともっと一緒にいたい」
涙が止まらなかった。
こんなにも自分が涙もろいとはレーアは思わなかった。
「ねえ、お母様。一緒に帰りましょう。お父様も探して、みんなで一緒に帰って、今度こそ全員集合しましょう。絶対に毎日がより楽しくなるって、私、保証しますから」
アリーゼのその言葉は震えていた。
でも、アリーゼは泣かなかった。
そして泣いている自分の母を優しく抱きしめた。
……ああ。
自分の娘は。
あの時、この〈世界迷宮〉に来る前に産み落とした自分の娘は、こんなにも大きくなっていたんだ……。
「ううっ、うううっ、う、う、うわぁあああああああああああああああああああああああぁあ!! アリーゼ! アリーゼ! アリーゼ! 会いたかった、ずっと会いたかったのよ! アナタに、私は、ずっと会いたかったのよ!」
恥とか醜聞とか関係なしに泣き叫ぶ母をアリーゼは優しく抱きしめる。
「私もずっと、ずっと会いたかったです。お母様」
「アリーゼ! アリーゼ! もうこんなにも大きくなったのね……。ねえ、ちゃんとデニスから美味しいものを食べさせて貰った? どこかに連れて行ってもらった? ちゃんと楽しく過ごしてる? 元気が一番よ、アリーゼ。ねえ、アナタはね、私の、私たちの大事な大事な娘なのよ。こんなに大きくなって、いつの間に……いつの間に……ううっ……」
「はい。ちゃんと美味しいものを食べさせて貰ってます。いっぱいいろんなところに連れて行って貰ってます。毎日楽しく過ごせてます。ちゃんと元気ですよ、お母様。お母様、私にとっても、お母様はとってもとっても大事な家族の一人なんですよ」
そうして親子二人はしばらく泣いて、スッキリすると、今までに溜まっていたたくさんの思い出話を語り合うのだった。




