第3話 お父様のお嫁になりたい娘
それから俺たちは日が傾き空が赤く染まるまでひたすら庭で素振りをした。
一瞬こんなので楽しいのか不安になったが、アリーゼの満ち足りた表情を見て、俺は楽しいのかを聞くのは野暮だと思った。
彼女はおそらく俺と一緒に何かを出来るのが嬉しくて楽しいのだろう。
今まで、ある程度は一緒にいる時間を作ってはいたが、こうして一緒に体験を共にするってことはなかった気がする。
一緒の部屋にいたのに、俺は仕事をしていたこともあったし、メイドに絵本の読み聞かせを任せてしまっていたこともあった。
それがよくなかったなと、今さらになってそう思うのだ。
一緒に何かを達成するということが、絆を深め互いを理解し合うためにも必要なことなのだと、改めて実感した。
「アリーゼ」
「なんでしょうか、お父さま」
俺が声をかけると、疲れて眠たげな様子のアリーゼは目を擦りながらそう首を傾げた。
「一緒にお風呂に入って、夕ご飯でも食べるか?」
「ふわぁ……。一緒にお風呂……夕ご飯……、したいです……」
アリーゼはとても眠そうだった。
このまま寝かせてあげたほうがいいかなとも思ったが、ここで今言ったことをなかったことにするつもりもない。
アリーゼは多分、眠たいのを我慢してまでも、俺とお風呂に入って夕ご飯を食べたいと思っているだろうから。
ここでそれをなかったことにしてしまうと、彼女に対する裏切りになってしまう。
一緒にお風呂に入って、ゆっくり夕ご飯を食べながら、彼女が眠るのを待つのが一番いいかと思った。
「お風呂と夕飯の準備を頼む」
俺は傍に控えていたメイドにそう声をかけた。
「はい、かしこまりました」
メイドはそれだけ言って、そそくさと屋敷のほうに戻っていく。
しかしそのメイドの表情が、どこか温かい表情だったのは、俺の見間違えではないだろう。
「ほら、背中に乗れ。まずは屋敷に戻るぞ」
俺はしゃがんで背中をアリーゼに向けた。
彼女は目を擦りながらゆっくりと近づいてきて、俺の背中に体重を預けた。
「よしっ。それじゃあ出発進行だ」
「おおぉ……」
そのまま俺がお風呂に向かった頃には既に彼女は眠ってしまっていた。
たくさん遊んだし、俺と一緒に遊べてはしゃいでいたのも間違いない。
疲れていても仕方がなかった。
俺はお風呂場から踵を返し、そのままアリーゼの寝室まで向かうと、そこのベッドに彼女を寝かせた。
すやすやと気持ちよさそうに眠る彼女の額に、俺は軽くキスをして、こう言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう。アリーゼ」
***
それから早いもので2年が経った。
年々歳を重ねるごとに時間の進みが早く感じる。
アリーゼは5歳目前となり、貴族の社交界でお披露目をする時期が近づいてきた。
あれから俺たちは午後に遊ぶという日課を毎日続けていた。
まあ遊ぶといっても、一緒に素振りしたり、最近ではようやく模擬戦をしたりもするようになった。
アリーゼは順調に剣士としても成長してきていて、とんでもない強さを誇っていた。
妻の遺伝子を受け継いでいるのもあるのだろうが、それでも圧倒的な才能にビビらざるを得ない。
ゲーム時代ではパッとしない成績だったから、おそらくその時は才能を腐らせていたんだろうな。
それから以前来ていた公爵家との婚約話だが、こちらもそろそろ動き出しそうだ。
5歳になって、互いに社交界デビューしてから、そのあとで顔合わせをし、婚約を取り付けるつもりだと相手方は言っていた。
俺はひとまずその話は進展させながらも、最終的にはアリーゼの意思を尊重するつもりでいた。
「お父様、お父様?」
俺がそんなことを考えていると、不思議そうに首を傾げながらアリーゼがこちらを覗き込んでいた。
現在、俺たちは剣術という名の遊びを終え、一休憩と称して庭でお茶会をしていた。
「ああ、すまないね。考え事をしていたよ」
「なんの考え事ですか?」
そう聞かれ、俺は婚約のことを答えるかどうか一瞬迷ったが、ひとまず聞いてみることが重要だと思って口を開いた。
「アリーゼ。もし婚約相手が見つか――「嫌です」
「………………ん?」
「婚約は嫌です。私はお父様のお嫁さんになる予定なので、婚約はお断り致します」
「…………………………え?」
あれ?
なんかおかしいぞ?
確かに俺は、アリーゼを大切に、一生懸命育ててきたつもりだ。
好かれているなとは思っていたし、俺も彼女のことが好きだった。
しかしそれは親子としての関係だと思っていたんだけど……。
「婚や――「しません。……もしかしてお父様は私と結婚したくないのですか?」
ちょっと待った。
何で瞳からハイライトが消えてるんだ。
「したくないも何も、俺は一応結婚しているわけだし」
「……そうですか、今の私ではまだ足りませんか」
いや、足りるとか足りないとか、そういうわけじゃなくてだな。
そう説明しようにも、アリーゼは小声でぶつぶつとずっと何かを呟いている。
「確かに失念していました。私は侯爵家の長女であり、婚約という制度が使われるであろうことは、間違いなかったのに。どうしましょうか。このままではお父様と結婚するという私の夢が潰えてしまいます。それだけは避けなければなりません。……いっそのこと婚約相手に嫌われるとか? いやいや、それだとお父様に迷惑がかかってしまいます。それは一番避けなければならないことです」
超絶早口でそう呟く自分の娘に、俺は遠い遠い山々の連なりをぼんやりと眺めるしかできないのだった。