第17話 宝物のような純真さ
大人になるにつれ、時間が経つのが早くなってくる。
仕事とアリーゼとの遊びを毎日こなしていたら、すぐにベルジェ公爵家のお披露目会が近づいてきた。
以前、アリーゼが使ったドレスは破れてしまったので、再び新しいものを用意した。
そんな諸々の荷物を荷馬車に載せ、俺たちはもう一方の馬車に乗り込むとお披露目会に向かおうとしていた。
「アリーゼは街の外に出るのは初めてだね」
「はい、お父様! 私、とってもワクワクしています!」
彼女はいつも通り俺の膝の上を占領して足をブラブラさせていた。
しかし街の外に出るための橋を渡りきると、彼女は俺の膝から立ち上がり馬車の小窓に寄っていった。
「見てください、お父様! お外はこんなにも広いんですね!」
「どれどれ……。おお、ホントだね。とても広い」
アリーゼに誘われて外を見ると、向こうの山脈まで見通せる草地が広がっていた。
その中央に踏み固められた街道が一本、向こうまで通っている。
街道の上には馬車の車輪跡や、人や馬の足跡が無数につけられていた。
風が吹いて、小窓から緑の香りが迷い込んでくる。
深く息を吸い込むと、どこかすがすがしい気持ちになれる。
アリーゼはその匂いが新鮮だったのか、目を輝かせて言った。
「お父様! 風の匂いがとても心地良いです! これは変ですよ!」
「確かに街中の風には匂いはないよなぁ」
「あ、いえ、お父様! 街の風の匂いはどこか変な匂いがするのです!」
街の風の匂いが変、か。
初めて聞く感想だ。
しかし……もしかしたら俺も子供の頃はそう感じていたのかもしれない。
この世界に来たのは、前世で19歳になった時。
転生直後のこちらの俺は14歳だったが、その頃には既にそういった感性を失っていた。
……子供の頃、俺は何をどう思っていたっけ?
もうあまり思い出せないや。
場面や出来事は覚えているのに、それに対してどう思ったかを、俺は忘れてしまった。
転生した頃はまだ多少は覚えていたはずなのに。
アリーゼは、俺のそういった忘れてしまったもの、置いてきてしまったものを思い出させてくれる。
よく親孝行しろなんて言う人がいるが、子供たちはそれだけでもう親孝行が出来ているのではないだろうか。
少なくとも俺にとって、アリーゼは、生まれてきて生きていてくれるだけで、もう立派な親孝行なのだ。
「お父様、あれはなんですか!?」
「ああ、あれは水車と言ってね、あれを回転させて街に水を運ぶものなんだよ」
「お父様、あれは!?」
「ああ、あれは――」
そんな風に、彼女は好奇心の赴くままに質問をし、俺はそれに答えていった。
ベルジェ公爵の領地に辿り着く頃には、既に陽は落ちかけていて、俺たちは会話のしすぎで疲れてしまっているのだった。
***
明日のお披露目会に備えて俺たちはベルジェ領の宿に一晩泊まり、準備を整えて公爵家の城に向かった。
そこには俺たちの時よりも多くの人に溢れていて、家格の違いや人脈の違いを思い知らされる。
「よく来てくれたね、バタイユ侯爵」
俺たちが城の前に馬車を止めると、ベルジェ公爵自らが出迎えてくれた。
彼の家のメイドの手を借りて馬車から降りると、俺は彼から差し出された手を握りながら言った。
「本日はお呼びいただきありがとうございます。ベルジェ公」
「いやいや、将来どのような関係になるかも分からんのだ。今のうちから仲良くしておくのも、得策だとは思わんかね」
「は、はあ……」
俺はベルジェ公爵の遠回しに見える直球の物言いに、若干口元が引き攣る。
一応、彼にはアリーゼが『自分より強い相手にしか興味がない』ということは伝えてあるはず。
なのにそう言うってことは、それほど自分の息子に自信があるのか、はたまた別の意味があるのか。
まあ、ベルジェ公爵の息子、ディルク・ベルジェは本作のヒーローに値する人物だ。
相当な強さを誇っているのは間違いなく、案外あれだけの強さを誇るアリーゼでも歯が立たない可能性が出てきた。
そんな会話をしていると、アリーゼも馬車から降りてくる。
それを見たベルジェ公爵は人の良い笑みを浮かべて彼女に近づいて言った。
「久しぶりだね、アリーゼちゃん」
そうアリーゼに接する姿は、公爵としての威厳はなく、ただの気の良いおっさんにしか見えなかった。
彼に声をかけられたアリーゼは、少し考えて、思い出そうとした。
しかしあの時はパニックになっていたのと、彼女が直接挨拶をしたわけではないというので、思い出せなさそうだった。
だから俺から彼を紹介した。
「アリーゼ。こちらはベルジェ公爵様だよ。今回のお披露目会の主催者だ」
俺の言葉にアリーゼは一瞬警戒の表情をするが、すぐに元に戻すと、スカートの縁を持って優雅なカーテシーを見せた。
「お久しぶりです、ベルジェ公爵様」
「うんうん、二人とも合格だ。やっぱり君たちはウチの息子に相応しい」
……どうやら俺たちは試されていたらしい。
確かにベルジェ公爵とアリーゼはあの時、直接顔合わせをしていない。
それを覚えておきながら彼はわざと久しぶりだと言ったのだ。
そのまさかの茶目っ気に、俺は余計に口元が引き攣るのを感じるのだった。




