第12話 人に優しくあるということ
「お前……すげぇんだな」
声がした。
そちらに視線を向けると、昨日会ったスラムの少年が、大きめのパンを抱えながら呆然とこちらを見ていた。
「あっ……昨日の……」
「お、おう。こんなすぐにまた会うことになるとは思わなかったぞ」
アリーゼが気がつき言葉を返すと、少年は照れたように頬を掻いてそう言った。
「あ、あの……私、そんなつもりじゃ……ただ、襲われて……それで……」
恐怖で顔は青ざめ、その声は震えていた。
しかし少年はチラッと倒れている大人二人を見下ろして、アリーゼの方に近づく。
「ちょっとその剣、貸してみな」
「え……あ、はい……」
言われて、アリーゼは少年に剣を手渡す。
短剣を受け取った少年は、大人たちの方に歩いていき、思いきり振りかぶって――
ザクッ、ザクッ。
狙いは心臓だった。
突き刺さった瞬間、その二人の身体はガクンガクンと大きく跳ねた。
まだ生きていたは分からないが、これで間違いなく死んだ。
「どうして……」
アリーゼは目を見開き、その瞳を揺れ動かしながらそう問う。
少年はなんてことないように答えた。
「こういう連中は生かして放置しておくと復讐とか言って粘着してくるからな。殺しておいた方が良いんだ」
それはスラムで培った経験だった。
しかし温室育ちのアリーゼには、その感覚は理解できなかった。
人の命の価値は、人によって大きく変わる。
アリーゼはふとそんなことを思ってしまった。
そして、そのことはとても不平等なことだとも思った。
自分は父に守られ、兵士たちによって守られて暮らしている。
自分が死んだら大変なことになることくらい、何となく分かっていた。
しかし目の前で死んでいる二人は、こうして路地裏でひっそりと死んでいる。
誰にも認知されないまま、誰にも悲しまれないまま。
……それはとても、辛いことなのではないか。
彼らだってさっきまで生きていた。
必死に生きていた。
運悪く、才能のあったアリーゼに突っかかったせいで、命を落とすことになってしまっただけだった。
アリーゼは半ば無意識に、大人たちの傍によると、膝をつき黙祷を捧げた。
それを見た少年は、固い声で言った。
「何をしている?」
「……黙祷を捧げているのです」
「どうして? こいつらはお前を捕らえて奴隷商に売りつけようとしたんだぞ?」
奴隷商、というのはよく分からない。
だが、あまり良い響きではなさそうだ。
しかし、それが本当に黙祷を捧げない理由になるのだろうか?
「この人たちも必死に生きました。その結果、私に襲いかかることになっただけです」
「そりゃそうだけどよ……」
アリーゼの言葉に少し不服そうにする少年。
しかし何を言っても彼女が聞かないと分かったのか、ため息をついてこう一言添えるだけで済ませた。
「お前……そんな生き方していたら、苦労するぞ」
苦労する。
確かにそうかもしれない。
でも、父は、おそらく私に、こんな優しさを求めている気もする。
それが何故だか分からない。
もしかしたら自分の気のせいかもしれない。
ただ、アリーゼは、人に優しくすることが何かのためになると、信じて疑わなかった。
「で? お前はどうして一人でこんなところにいるんだ? お父さんはどうした?」
「……逃げてきました」
「はあ!? 逃げてきたぁ!? ……お前、馬鹿か?」
「すみませんね、馬鹿で。そうですよ、私は馬鹿ですよ」
少年の言葉に拗ねたように頬を膨らませてそっぽを向くアリーゼ。
そんな彼女に少年は頬をポリポリ掻きながら言った。
「これからどうするんだ? 屋敷に帰るなら、送っていくけど」
「……まだ帰りたくありません」
「そうかい。じゃあどうするんだよ。ここで突っ立って衛兵が来るのを待つのか?」
そういうわけにもいかず、アリーゼは黙ってしまった。
しかしまだ帰れない。
心の整理がついてないし、こうして人を殺めてしまったこともまだ、伝える勇気が出てこなかった。
「はあ……仕方ねぇなぁ。ウチの孤児院に来るか?」
「……良いんですか?」
「ああ、ウチは寛容だからな。来る者拒まず、去る者追わず、だ」
「じゃあ、案内よろしくお願いします」
アリーゼはぺこりとそう頭を下げた。
それを見た少年は、ため息をついて、こう言うのだった。
「ついてこい。絶対にはぐれるんじゃねぇぞ。ここら辺はかなり入り組んでるからな」