第5話『手を』①
「───おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
視認できるほどの魔力光を迸らせて、ユーシャは拳を打つ。打撃とは思えない金属音に似た音が塔内に響き渡る。
が──。
「──ぐ……、お…………」
砕かれたのは、拳を打ったはずのユーシャの方。
目標へと突き刺さったユーシャの拳は、しかし相手にダメージを負わせるどころか、逆に放たれたエネルギーは自身へと返っていき、拳を伝って腕やら肩から血を噴き出す。
そして当の拳を受けた側、男の変幻した黒竜の方はというと、蚊に刺された程度に気にした様子も見せず、ゆらりとした動作でもたげた長い尻尾を軽く振るう。
「ぐ……、あ───」
たったそれだけ。たったそれだけで、気流は真空状態を生じさせ、巻き起こる風を刃へと昇華させる。
伝説に聞くドラゴンともなれば、ただ少し尻尾を動かすだけのことが人間にとっての災害級に匹敵するらしい。
「はぁ……、はぁ……」
カマイタチを躱して距離を取る。こちらは既に満身創痍だというのに、対して黒竜の方は傷らしい傷一つ負っていない。さっき打った拳もかすり傷にすらなっていない。なんならどこに打ったのか分からないほどに、黒竜の体は汚れすらもついてはいない。
これが竜の鱗だ。オリハルコンの硬度すらも超えると言われる、この世の存在する最高品質の素材の一つ。その入手量の少なさから、もはや竜は存在しないとすら言われていたというのに。まさか勇者候補生が集う学園の中で出会うこととなるとは。
本来ならば出会えたこの奇跡に涙一つでも流してみるところなのだろうが、生憎、今はそれどころではなさすぎる。
「どうした少年。さきほどまでの勢いがなくなっているぞ。そんなことでは母君を超えるどころか、一人前の勇者にすらなれはしないぞ」
「………………」
ユーシャは見るからに疲労が蓄積している。それはそうだ。レベルが格段に引き上げられた各階層ダンジョン。さきほどの体育教師。そして黒竜。
通常のダンジョンであっても、最上級生が四人パーティでやっとクリアできるレベルなのだ。それを通常よりも大幅に強化された状態で、しかもたったの一人でクリア。
それだけで十分賞賛に値する成果だと言えるのに、ユーシャは勇者の資格を持つ教師を相手取り、これをねじ伏せているのだ。既に学生の領分を大きく逸脱している。未だ立っていられるのが不思議なくらいだ。
そんな状態で黒竜と戦うなど……、無謀を超えてもはや馬鹿にすらしている。
ただ、希望はある。
あのドラゴンの目的は時間稼ぎ。処刑執行までの時間をゆらりと待とうというのが狙いだ。その証拠に、あのドラゴンの方からは一切手を出しては来ない。
ユーシャが攻撃を仕掛ければそれなりの対処はしてくるが、決してドラゴンの方から手は出しては来ていない。その対処も尻尾を使った動作のみで、その鋭い爪も牙も、噂に名高い『吐息』さえも使って来ない。おそらく、あのドラゴンが自ら言っている通り、ユーシャの母親だという勇者姫に義理立てでもしているのだろう。
つまり、これはチャンスだ。あのドラゴンが本気でない以上、つけいる隙はある。やつの目的は魔王の死守であり、それ以外には興味がない。ここで背を向け引き返せば何の障害もなく逃げきることができるだろう。
だが魔王は理解している。それこそが、もっとも重い障害なのだと。
「…………俺はどうやら、あんたには勝てないらしい」
「当然だな。人という種は元来、脆弱なもの。徒党を組まねば我ら竜族はおろか、悪魔にすら討ち勝つことはできぬ弱き身なのだ。教師一人に討ち勝った程度では埋められぬほど差が我らの間には存在する。
しかし少年、君には才能がある。それも猛き勇者の才が。君はいずれ、母君にすら劣らぬ真の勇者となるだろう。だがしかし、それは今ではない。一時の感情に流され、将来救えるはずの命を救わぬことは、それはもはや勇気ではなく、蛮行と呼ぶに相応しい行いだ」
「……確かに、そうだ。ここでアンタに勝っても、何にもならない」
意外にもユーシャは、黒竜の意見に同意する。
「一時の感情に流され、か……。確かに俺は感情に流されていたらしい。血を流したおかげで、少しは冷静に、なれた」
言うとユーシャは頭から流れる血を強引に拭い払い、目を見開き──、
「大切なことを見誤っていた。今の俺に大切なのは、アンタに討ち勝つことなんかじゃあない。
今の俺に大切なのは…………、あのお姫さまを守護ることだ」
そう、言い放つ。
「…………どうやら、慣れぬ説教は無駄だったらしい」
「そうでもない。おかげで一つ、打開策を思い付いた」
「…………、そうか」
言うと黒竜は、つまらぬそうに尻尾を振るう。
「そうだ。これが欲しかった」
するとユーシャは、嵐ほどの勢いで振られる尻尾が最も近づいた瞬間、大株カブをぶっこ抜くかのように両腕で絡めとる。
「つかまえた」
「む──?」
そしてそのまま腰を入れ────、
「う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお───────」
自分を軸に、その巨体を振り回す。
からくもそれは先日、魔王の持つゲーム内で赤い帽子の主人公がボスに対して行った攻略方法。
「ぐ、な────」
黒竜が踏ん張ろうと力を入れるが、既に両の足は地面を離れ。
咄嗟のことに成す術もなく、黒竜はそのままハンマー投げの如く宙を回る。
「魔王!! 構えろ!!!!」
「っ────」
咄嗟に魔王はメイドを抱き抱え、身を屈める。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
途端、振り回した鉄槌を打つように、ユーシャは黒竜の巨体を塔の壁面へと打ち付ける。
その瞬間、あれほど頑強だった壁面は竜の鱗という最硬の一撃によって崩れ。
閉じていた世界に、青空が見晴るかす。
だがそんな景色を堪能している暇などない。
壁面と共に、塔の最上階は床や天井もろとも崩れていく。
「ぅ……、あ────」
メイドを抱きしめたまま、魔王は塔の外へと放り出される。
久々に感じる広い大気の匂い。終わりのない真っ青な空。
巨大な瓦礫と共に、魔王は広がる世界を落ちていた。
そんな、不意の自由の中──。
魔王はふと、空を見上げた。
どちらが上なのかもわからぬ空のもと、魔王は確信をもって上空へと、その瞳を投げかけた。
「魔王ーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
「っ……」
「手を伸ばせぇーー!! 今は、それだけでいいッ!!」
ほろりと、こめかみの辺りに何かが伝う。
その感触に気付いてか否か、魔王は自分でも知らぬうちに、
手を、伸ばしていた。
◇ ◆ ◇
「校長、あれは……」
「美しいのぉ」
「は?」
「あの力が何であるにせよ、生徒が成長する姿というものはいつも美しいものですじゃ」
◇ ◆ ◇
「キシガミくん……、君は……」