1月23日(1)
紅芽衣が転校してきてから二週間が経った。
初日から彼女はクラスメイトから人気だったが、その人気はすでに他のクラスにも及んでいた。近寄りがたい美人というより人懐っこさを感じさせる可愛い外見に、とっつきやすい彼女の内面がその原因だ。
男女共に人気が高いが、特に男子の人気が高い。噂によればすでに何人かからアプローチを仕掛けられてきているらしい。
絶世の美女に憧れる男子は多いが、そういった女性はどうしても人を寄せ付けない雰囲気がある。たとえ、身近に女優やアイドルの知り合いがいたとしても、おいそれ不用意に近づくことはないだろう。
多くの男子にとって、その人は自分と別次元の存在であり、決して自分の手が届くとは考えていないのだから。
その点、紅さんは自分たちと同じ次元にいる可愛い少女と位置付けられているので、男子からのアプローチが集中しているのだと思う。
まあ、なんにせよ、たった二週間という短い期間に彼女はみごとに学園に馴染んでいた。
学園に続く坂道を白い息を吐きながら進む。
まだ周囲に生徒はいない。
あんな家にいると気が滅入るので、さっさと学園に行きたかった。
「おーはよっ」
威勢のいい挨拶とともに背中が強く叩かれた。
「いてっ」
とっさに後ろへ振り向く。どうせ叩いたやつの想像はつく。
「やっぱり、あんたか」
不機嫌さを隠すこともなく、目の前の少女を睨め付ける。
そう、話題の転校生、紅芽衣だ。
転校初日に彼女とお昼を一緒してからというもの、彼女は俺によくちょっかいを掛けてくるようになった。お昼だって一緒に食べることが多い。
ただ、唯一の救いとしては、彼女は他の生徒がいないところで俺にちょっかいを掛けてくる点だった。彼女と決して仲がいいわけではないが、周囲から見れば彼女と仲良さげに見えてしまう。そうすれば、彼女に好意を抱いている男子生徒からの反感を買うだろう。さすがにそんな状況は勘弁したい。
彼女は抗議の視線を送られても全く悪びれる様子はなかった。むしろ、いつもと同じくあの人懐っこい笑みを浮かべている。
「まーた、よくないことを考えていたの? 景気の悪い顔をしていたよ?」
「なんで、後ろから来たのに、俺の顔がわかるんだよ」
「笹瀬くんの背中から哀愁が漂っていた」
「ったく、なんだよそれ」
そっぽを向いて再び歩き出す。
たしかに、彼女に叩かれるまで家のことを考えていた。つまり図星だ。
「もう、そんな邪険にしなくてもいいじゃん、一緒に行こ?」
「いやって言ってもついてくるだろ」
「よくわかってるじゃん」
彼女が隣に並ぶ。
男女が一緒に登校となれば誰かに噂されそうなものだが、朝が早く、周囲に人もいないのでその心配もない。
朝日が二人を照らし、並んだ二本の影を作る。影と影の距離はつかず離れず。
互いに言葉を発しない中、遠くから踏切の音が聞こえた。
ふと視界の端で彼女を捉える。
そういえば、なんで彼女は俺に構ってくるのだろう。
俺は彼女のことを知らない。転校する前にどこかで会った記憶はない。
人気者の彼女のことだ。俺に構わなくても、友人はいっぱいいる。逆に俺に構うことで友人との時間が短くなっている気さえする。
彼女は初日から俺に関心を持っていた。一緒にお昼を食べるという、かなりこちらの領域に踏み込んだ形でちょっかいを掛けてきた。
彼女も当初は俺に興味を抱いていなかったはずだ。教室に入ってきたとき、クラスのみんなに自己紹介をしているときには、俺と目が合うことがなかった。
それじゃあ、いつからだ?
たしか、彼女が隣の席に来たとき、彼女の表情が一瞬だけ変わったような……
「うぅ~、さむ~」
しかし、そこで俺の思考は中断した。
彼女は先が赤くなった手に息を吹きかけていた。
「今日は特に冷えるって言っていたからな」
「テレビでそんなことを言っていた気がする。あぁ、こんな日に限って手袋を忘れるなんて」
「手袋なら家に戻ればよかっただろ」
「うーん、家を出た直後は暖房で体がぬくもっていたから、手袋を忘れたことに気がついていなかったんだけどね、ちょっとしたら、やっぱり寒いなって思った。でもその頃にはもう引き返すのが面倒になっていて……。笹瀬くんも経験ない?」
「あー、そんなことあるわ。家まで少しの距離だったとしても引き返すのはなぜか億劫なんだよな」
「でしょー。ふふ、わたしたち、似た者どうし?」
「あんたと似ているって言われるのは癪にさわるな」
「ひどっ。……って、あれ、笹瀬くん、さっきからずっとコートのポケットに手を突っ込んでいる?」
「ん、あぁ、これ」
ポケットの中からあるものを取り出す。それは冬の強い味方、手持ちカイロだ。
「あ、いいな~。わたしにも貸して?」
「嫌に決まってんだろ」
「えー、いいじゃ~ん」
「ダメったら、ダメ。俺が寒いだろ」
カイロをポケットにしまう。この寒い中、カイロを取り上げられたらたまったものではない。
「けちだなぁ。……、あっ、そうだ」
そうだ、の言葉に身震いした。彼女がそう言うときは得てして良くないことが起こる。
「えいっ」
同時に彼女の手がポケットに侵入してくる。冷たい感触が右手に触れる。
「ちょっ⁈」
「えへへ、これなら、二人ともあったかいでしょ?」
彼女がニカッと笑みを浮かべる。
彼女の身長は俺より十センチちょい小さい。必然的に彼女が見上げる形になる。それにポケットに手を入れているので彼女との距離も近い。
この距離でこの角度。
「……」
全身の体温が急激に高まるのを感じる。
彼女に何か文句を言おうにも、なぜか頭が回らない。
結局、学園の近くまで俺と彼女は一つのポケットとカイロを共有していた。