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2月15日(4)

***


 目的の廃ビルには幾ばくもいないうちに到着した。

 太陽はさらに水平線に近づき、もうほとんど夜に近い。

 前方の空に浮かぶ月がほのかに目の前の廃ビルを照らしていた。


「ここだ……」

 二人して廃ビルの前に佇む。

 厳冬の冷たい風が頬を撫でた。

「ここに怪異が……」

 芽衣は廃ビルを見上げる。そして力強く拳を握りしめた。

「さあ、行こう。この悲劇を終わらせないと」

「ああ」

 芽衣の言葉に頷く。

 そうして、二人でビルの入り口から入ろうとした瞬間、


 パリンッッ


 二階の窓ガラスが砕け散った。

 同時に黒い影が外に飛び出してくる。

 その影には二つの手があり、二つの足があり……、

「人間だっ」

 叫ぶと同時に地面を大きく蹴る。

 さらにビルの外壁を強く蹴りつけて跳んだ。

 空中でくるっと反転し、背中を地面に向ける。そしてそのまま、飛び出してきた人を受け止めた。

 数瞬後、背中に強い衝撃が走る。

「っっ⁈」

 鍛えられているとはいえ、大人一人の体重を追加して地面に叩きつけられた痛みは半端じゃなかった。

「大丈夫っ⁈」

 芽衣が駆け寄ってくる。

「ああ……、なんとか大丈夫だ。たぶんこの人も……っ⁈」

 ビルから飛び出してきた人を体の上からずらし、上半身を起こす。

 ついでにその人の無事を確認しようとしたところで自分の目を疑った。


「父さんっっ⁈」

 先ほどビルから飛び出してきた人物は自分の父親だった。

 その体には数多の打撲痕、創傷が刻み込まれ、額からは血を流している。一見してひどい傷だ。

「父さん、大丈夫かっ⁈」

 片手で父さんの背中を支えながら、ゆっくりと地面に下ろすと、耳元で強く叫んだ。かつてはそうしていたように、敬語ではなくなっていた。

 俺の声が聞こえたのか、父さんは二、三度強くせき込んだ。

 ゆっくりと瞼が開かれ、その瞳に俺の姿を映す。

「あ、彰か……」

 その声からはいつもの厳格さがみじんも感じられない。息も絶え絶えで、とても弱々しいものだった。

「ああ、俺だ。彰だ。いったい何があった?」

 怪我で話すのも辛いのは容易に想像できるはずなのに、俺は気が動転して矢継ぎ早に質問をしてしまう。

 それほど今の状況が信じられなかった。


 小さい頃から父さんの戦いを見ていた。

 そのときからずっと思っていた。父さんはすごい、と。

 笹瀬家の魔導は自身の武器に纏わせて使用する。そのため、戦闘において重要になるのは体術と武器を使用する技術の二つになってくる。

 父さんは槍を武器として使うが、その槍術は惚れ惚れするほど見事で、体術も常人のそれをはるかに超えている。

 昔から父さんが血を流したり、地面に膝をついたところなんて見たことがなかった。

 それが今はこうしてまともに戦うことのできない状況に追い込まれている。


 やはり話すと傷に響くのか、父さんはゆっくりと口を動かした。

「あ、彰……、な、七海を……、た、助けてくれ……」

「えっ、もしかして七海はいま……」

 そのとき強烈に嫌な予感が全身を襲った。

 急に背筋が凍り、手足がしびれる。

 その言葉の続きを聞きたくない、と脳が受け入れを拒否した。

 父さんはゆっくりと右手を挙げる。そして、自分が飛び出した二階の窓を指し示す。


「あ、あそこだ……」

「っっ⁈」

 顔が引きつった。

 あそこには、あの父さんを打ち負かしたとてつもなく強い怪異がいる。

 そんな相手にまだ七歳になったばかりの七海が一人でいるのか?

 ぐるぐると恐怖、不安、絶望といった負の感情が混ぜこぜになって頭の中を渦巻く。

「はあっ、はあっ……」

 無意識に自身の呼吸が速くなっていく。

 そのとき、


「彰っっ」


 背後から芽衣の叫び声がした。

「っっ⁈」

 その声で我に返る。

 振り返ると毅然と立つ芽衣の姿があった。

 彼女は情けない表情を浮かべる俺をじっと見つめる。

「まだ七海ちゃんは生きている。早く助けに行こ? そうしないとそれこそ取返しのつかないことになる」

 そうだ。芽衣の言う通り、まだ七海が死んだと決まったわけじゃない。今から行けば七海を助けることができるかもしれない。

 両足に力を入れ立ち上がる。


「あ、彰……、た、頼む……」

 父さんが俺に頼みごとをするなんて初めてのことだった。

 でもそんなこと頼まれなくてもやってやる。七海は俺にとって一番、大事な家族なんだ。

「父さんはそこでゆっくり休んで……」

 その言葉を聞いて父さんは安心したのか、静かに目を閉じた。見たことのない安らかな表情だ。


 身勝手な父だ。

 あれほど自分のことを役立たずと言って邪険に扱ってきたくせに、こうして俺を頼ってくるなんて。

 でも、少し嬉しかった。


「行くか……」

 じっと目の前の廃ビルを見据える。

「うん」

 彼女も大きく頷いた。


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