2月14日(4)
***
時は少し遡って――――
「……さ、そろそろ俺も帰るか」
放課後の部活を終え、琢磨は部室を後にする。
今日はバレンタインだった。
クラスメイトに親しい女友達は何人かいるし、マネージャーのいるラグビー部にも所属している。そのため、もらったチョコはゼロなんて悲劇は起こらなかった。むしろ、もらった個数はクラスの中でも上位に入るのではないか。
しかし、その数あるチョコの中に本命チョコはない。全て義理チョコか友チョコだった。
「ああ、今年こそは本命が貰いたかったな……」
静かに独り言ちる。
彼女いない歴=年齢の人生だ。それに今は、青春真っただ中の高校生。そろそろ自分にも春が訪れて欲しいものである。
ふと、ちょっぴり仲のいい友人のことを思い浮かべる。
最近、そいつには彼女ができた。それも学年で一、二を争うような美少女で、性格も申し分のない子だ。
いつもお昼を一緒に食べて、登下校も二人一緒。
クラスのみんなも最初は驚いていたが、今では、二人の仲を温かく見守っている。クラス公認の仲というやつだ。
「ほんと、羨ましすぎるぜ……」
近くにあった小石を蹴る。
小石はころころと転がり、グレーチングにカンカンと当たりながら排水溝へと吸い込まれていった。
学園の門をくぐり、家路につく。
すでに夜のとばりは落ちており、時おり道端に設置された街灯が闇のように黒いアスファルトを淡く白銀に照らす。
いつもは部活の仲間と帰っている道を一人で歩く。なんで今日に限って一人なのかというと、今朝の時点で、自分の自転車がパンクしていたためだ。他の仲間はみんな自転車で学園に通っているので、徒歩だとどうしても一人になってしまう。
ただ、徒歩で少しいいこともあった。
それは普段気がつかない町の様子に気がつかされるということだ。
小さい頃通っていた駄菓子屋がいつの間にか閉店している。
パン屋さんで次の水曜日に特売をするらしい。
うどん屋さんでは新メニューとして中華そばも始めたようだ。
どれも自転車だと気がつかないような小さな変化。
そんな変化を見つけるのはちょっと楽しい。
にゃー
散策しながら歩いていると、どこかから猫の鳴き声がした。
「……猫? いったいどこに……?」
あたりをきょろきょろと見回す。すると路地の入口近くにその猫はいた。
興味本位でそいつに近づく。
猫というと人が近づくと簡単に逃げ出すものだが、そいつは全く逃げるそぶりを見せなかった。
「お前、人が怖くないのか?」
琢磨は猫のそばでしゃがみ込む。
その猫は琢磨の足に頬を摺り寄せた。
「はは、可愛い奴だな」
琢磨は猫の頭を撫でる。
琢磨に撫でられると、猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。
「人懐っこいやつだな。どれ、何か食べられそうな物あったけ……」
鞄の中を探ってみる。
しかし、その途端、猫は琢磨から離れた。
「ん、どした? もういいのか?」
猫は路地の入口に戻り、一声鳴く。
「ん?」
意味が分からず首をひねる。
猫は鳴き声をあげると路地の中に消えていく。
「もしかして、ついてこいって言いたいのか……?」
琢磨は猫が消えた方向に足を向ける。
路地は道幅がかなり狭かったが、そこまで長くなかった。
すぐに出口に到着する。
目の前には四階建ての廃ビル。そういえば、二、三年前にテナントに入っていたお店が全て撤退して管理・運営していたビルの所有会社が倒産したっていうのを父から聞いた気がする。なるほど、これが倒産した会社が保有していたビルか。
にゃー
再度、猫の鳴き声が聞こえた。
目を凝らすと、どうやら廃ビルの入り口に先ほどの猫がいる。
琢磨はさっとその猫のもとに駆け寄った。
先ほどと同様、猫は琢磨が近づいても逃げるそぶりを見せない。
「もう、お前、なんでここに……」
猫のそばにしゃがみ込もうとする。
しかし、琢磨が腰を下ろす寸前で、猫は反転してビルの玄関をくぐった。
にゃー
ビルの中から猫が鳴く。
まるでついてこいとでも言うかのように。
「いや、さすがにマズいって。廃ビルとはいえ他人の建物だし……」
にゃー
再び猫は鳴く。どうしても自分をビルの中に招きたいらしい。
琢磨は逡巡する。
ここは他人の建物だ。勝手に入っていい場所ではない。
でも、なぜだか分からないがこの廃ビルにとてつもなく惹かれる。
まるでビル自体が自分を誘うかのように。
見えない何かが自分をビルへと連れ込もうとする。
にゃー
三度、猫が鳴き声を上げる。
それが限界だった。
「仕方ないな……。ちょっとだけだぞ……」