2月8日(8)
***
「はあ……」
彼が完全に消滅したのを見届けると、途端に膝の力が抜け、その場にへたり込む。
こちらもとうに限界を迎えていたようだ。
やばい、終ったと思ったら急に眠たく……
次第に瞼が重くなっていく。
そうして夢の世界へと誘われようとしていると――――
「笹瀬くんっっ」
倉庫内に彼女の声が響き渡った。
「……えっ?」
その声に睡魔が吹っ飛ぶ。
まさか彼女が……?
なんで?
どうして?
次々と疑問が浮かんでくる。
でも――――
……嬉しい
その気持ちが大きく勝った。
声のした方へゆっくりと振り向く。
「はは……」
自然と口角が緩む。
そこにはやっぱり彼女がいた。
あちらも倉庫の惨状を見て、ここで何が起こったのか把握したのだろう。一目散にこちらに駆け寄ってくる。
「笹瀬くんっっ」
俺も彼女のもとに向かいたいが、体は言うことを聞かない。
仕方ないから彼女が近づくのを待って、
「どうしてここが――――」
分かったんだ? そう尋ねようとした。しかし、その言葉は続かなかった。
「っっ⁈」
突然、身体全体に伝わる柔らかい感触。さらには、いつか嗅いだあの爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
現状を頭の中で整理できず、しばらく固まる。いや、本当はほんの一瞬だったのかもしれないが、俺にとっては長い時間のように感じた。
そして、どうにかちょっとずつ今の状況を脳が認識し始めて、
「え、ちょっ、いきなりど、どうしたんだっ?」
なんとか言葉を絞り出した。
しかし、彼女から答えは返ってこない。
代わりに返ってきたのは、
「……ぐすっ、……ぐすっ」
今まで彼女からは聞いたこともない嗚咽。
背中に手を回し、ぎゅっと力を入れて、自分の胸に顔をうずめる彼女。
そんな愛おしい姿を見て、感情が渋滞していた頭の中がクリアになっていく。
今やるべきことは何か自然と理解した。
俺は右手をゆっくりと彼女の背中に回し、余った左手で彼女の頭を撫でた。
いつか彼女に頭を触ってもらったときのように優しく。
あんなにも強力な魔導を使いこなして、魔導師の頂点に立つ彼女が今だけは、とてもか弱く見えた。
彼女も普通の女の子なんだなと今更ながら強く実感させられる。
少し撫で続けると彼女も落ち着いてきたらしい。
ちょっとずつ言葉が彼女の口から洩れてくる。
「な、なんで、一人で行ったの……」
「あんたに無理をさせたくなかったからな」
力のない問いかけに優しく答える。
「わたしが笹瀬くんを守るって言ったじゃん……」
「俺もあんたを守りたいって思ったからな」
完全に泣き止んだわけではないのか、まだところどころ嗚咽が混じっている。
「あんなに魔導を使うの嫌がってたじゃん……」
「ああ、今でも嫌だな。でも、あんたが傷つくのはもっと嫌だった」
話しながらも彼女の頭に触れた左手は優しく動かし続ける。
「わたし、笹瀬くんが死んじゃうかと思った……」
「あいにくだが死ぬ予定はねえよ」
彼女の手の力が一層強くなったように感じた。
「もう笹瀬くんと会えなくなるかもって思った……」
「はは、それならあんたからちょっかいもかけられなくなって、過ごしやすい生活に戻れそうだな」
直後、彼女がうずめていた胸からガバッと顔を上げる。
「もうっ、こっちは本当に心配して――――」
「……冗談だ」
しかし、彼女が言い終える前に、俺は右手にさらに力を込め、彼女を引き寄せた。
「へっ?」
初めて見せる彼女の間抜け面。
本当に今日は彼女の色々な表情を拝める一日だ。
ああ、ほんとはこんな場所で言うようなことではないんだろうな。
もっとロマンチックな場所で、もっと幻想的なシチュエーションで。
この言葉を口にした方がいいんだよな。
でも――、
でも――、
どうやら、もう我慢することはできないらしい。
腕の中の彼女を見ていると――――、
体全体で彼女を感じていると――――、
今の気持ちが堰を切って溢れ出てくる。
「――――好きな人から離れるなんてあるわけないだろ?」
彼女の耳元にささやく。
「っっ⁈」
腕の中の彼女がビクンと跳ねた。
「ずっと俺に寄り添ってくれて、ずっと俺を支えてくれたあんたに会えなくなるのは俺だってごめんだ」
誤解を与えないようゆっくりかつ丁寧に一つ一つ言葉にしていく。
「約束する。これからもずっとあんたの側にいる。だから、――――もうそんな顔をするな」
言葉にするだけでなく、さらに右手に力を入れる。
彼女の前からいなくなることはない、そうはっきりと伝えるために。
二人の間に沈黙が流れる。
もちろん外からだって音は入ってこない。
この二人だけの世界、二人だけの空間に永遠の時間が流れているように感じた。
やがて、彼女が徐に口を開く。
「ねえ、信じていいの? 本当にわたしの前からいなくならないって」
俺は手の力を緩め、彼女を開放する。
俺から離れた彼女はこちらをじっと見つめてくる。
彼女の澄んだ瞳の奥に自分が映っている。
「ああ、もちろんだろ」
彼女を安心させるように優しく、でも熱意も込めて、そう口にする。
すると、彼女はもう一度、がばっとこちらにしがみついてきた。
「おっと……」
思わず後ろに倒れそうになる上体をなんとか支える。
急になんだよ、そう思っていると、
「わたしもこれからずっと……、大好きなきみの側にいる……」
耳まで真っ赤に染めた彼女から一番聞きたかった答えが返ってきたのだった。