1月28日(3)
少し、長くなってしまったような気がします。1話が短かったり、長かったりとムラがありますね……
俺たちがやってきた入り口の扉。そこに視線を移動させる。
「ど、どうかしたのかい?」
男性が困惑した表情で問いかけるも、それに答える余裕はなかった。
「……」
背中に冷汗が噴き出す。
ごくりと唾を飲みこむ。
目線の先には……、一体の屍鬼がいた。
そいつは悪魔のように下卑た笑みを浮かべ、扉からのっそりと中に入ってくる。
「ひっ⁈」
屍鬼に気づいた男性は表情をひきつらせた。無理もない、無防備な背後から屍鬼がこちらに近づいてきているのだから。
ちらっと後方を窺う。
彼女は残り二体となった屍鬼たちと交戦していた。もう一体の屍鬼に気が付いた様子はない。
屍鬼たちは先ほどとは異なる戦略を用いていた。
無理に攻め込んでくることはせず、炎蛇が飛び掛かってきたタイミングで持ち前の身体能力による回避に専念している。
ちょこまかと動き、炎蛇と紅さんを翻弄する。
あの屍鬼二体も後方にいる仲間の存在に気が付いているのだろう。明らかに時間稼ぎを狙った動き方だった。
紅さんは他の屍鬼と戦っていてこっちに気を回す余裕がない。つまり、彼女の助けを借りることはできない。
「ちっ」
舌打ちをして、視線をもとに戻す。
屍鬼はさらにこちらに近づいていた。
どうする……
この場をどうやって切り抜けるか思考をフル回転させる。今日に限って薬袋を家に忘れたことが悔やまれた。彼女は、屍鬼は薬袋を嫌がると言っていた。忘れずに持って来ていたらあの屍鬼には襲われなかったかもしれないのに。
「……」
俺は自分のポケットを見つめた。その中には、護身用のナイフが入っている。
魔導を使って屍鬼に応戦する、現時点での最善手はこれだ。
彼女のようにド派手な魔導を使うことはできないが、一体であれば、自分の魔導でも十分倒すことができるだろう。
それにこの距離なら魔導を使うための詠唱も間に合う。
しかし……
「うっ……」
またあの震えがきた。
あの頃の記憶が俺を苛み、右手を縫い留める。
早くナイフを取り出さなければならないのに。
早く詠唱を開始しなければならないのに。
過去の幼い自分が、それでいいのか、と問いかけてくる。
過去のトラウマと本能とが頭の中でせめぎ合う、
「――――、くっ」
結局、過去のトラウマに負け、俺は何も手に持たず、屍鬼に向かって駆け出した。
「ゔっ?」
突如こちらに向かってきた俺に屍鬼は一瞬、体を硬直させた。しかし、すぐに硬直をとき、地面を強く蹴って、こちらに飛び掛かってくる。
俺はスライディングの要領で屍鬼を回避。俺の頭上を屍鬼が飛び越えていく。
屍鬼と自分との位置が入れ替わると、俺はすぐさま非常口へ走る。
「こっちに来いよ、のろま」
「ゔっ」
屍鬼もそんな俺を追いかけ、再度、地面を蹴って飛び掛かる。
非常口側に立てかけられていたのは、工事で使うのであろう一メートルほどの鉄パイプ。俺はそれを手に取り、振り向きざまにそれで力いっぱい薙ぎ払った。
きれいに不意を突く形となり、鉄パイプは見事、屍鬼の側頭部を捉える。
「ゔっ⁈」
側頭部を殴りつけられた屍鬼は地面に転がった。
油断することなく、鉄パイプを下段に構え対峙する。
「……さあ、お前はこれで相手してやるよ」
「ゔう……」
屍鬼は血走った眼でこちらを睨み、怒りを露わにする。
先に動き出したのは屍鬼の方だった。
一気に距離を詰め、左手を振り下ろしてくる。
俺は鉄パイプでそれを受ける。
両者の間で鈍い音が爆ぜた。
屍鬼の筋力は生前のそれよりも大幅に強化されている。そのため、そいつの衝撃をまともにくらった鉄パイプは簡単に折れ曲がった。
しかし、鉄パイプを打ち付けたことで屍鬼の力の方向が少し逸れる。すぐそばを屍鬼がかすめる。おかげで攻撃をくらうことはなかった。
すぐさま後方に跳び、屍鬼との距離をとる。
「ゔう……」
屍鬼は真っ直ぐとこちらを見つめてくる。
「ちっ、……なんて馬鹿力だよ」
あんなにも簡単に鉄パイプがダメになってしまった。
使い物にならなくなったそれを放り棄てる。
後は屍鬼の攻撃を回避し続けるしかない。
「ゔあっ」
屍鬼は俺が武器を捨てたのを見て好機だと悟ったのだろう、先ほどよりも激しさを増して、襲い掛かってきた。
あのときのように、右へ左へやつを翻弄する。幾たびも自分のすぐそばを屍鬼の攻撃が掠める。
だが、そうして時間を稼げば、彼女が前方の屍鬼を片付けて、救援に来てくれるはずだ。それまで、なんとか回避しつづけないと。
屍鬼の攻撃の手は休まるところを知らない。次から次へと攻撃を繰り出してくる。
こちらもそれに応じて回避行動をとっていく。一つでも間違えば、重たい一撃を喰らうことになる。行動に隙を作れば、その瞬間、こいつの餌食になってしまう。
大丈夫、あのときはできたんだ。落ち着けばできる。
数度の連撃をいなした後、俺は後方に大きく跳んで、屍鬼との距離をとった。
ふうっと息をつき、緊張感を纏い直す。
「ゔっ」
直後、屍鬼がこちらに飛び込んできた。
強化された脚力を生かした大ジャンプ。
よし、これくらい……
しかし、その判断は甘かった。
左に跳ぼうと左足を動かした先に木片が落ちていた。
「ッッ⁈」
木片に足をとられ、バランスを崩す。
「やばいっ」
すぐに態勢を立て直し、回避行動に出ようとするが、もう遅い。目前には、喜悦を顔に張り付かせながら、宙を舞う屍鬼の姿がある。
終わった、そう思った矢先――
「えっ?」
彼女が俺を抱きかかえるようにして屍鬼と俺の間に割り込んだ。
直後、屍鬼が彼女の肩口にかぶりつく。
「ぐっっ」
彼女の顔が苦痛に歪み、血しぶきが舞う。
しかし、彼女はそのまま、
「【接続】――」
その詞を口にする。
しかし、屍鬼は彼女から離れない。むしろ、魔導を使われる前に喰い尽くさんとするかのごとく、さらに顎に力を入れる。
「《穢れた肉体。不浄の魂。主のために業火へと捧げん》――」
直後、彼女の背中から蒼炎が噴き出し、彼女に喰らいついていた屍鬼を包み込む。
「ゔああぁぁぁぁぁぁ」
屍鬼が声にならない唸り声を上げる。
彼女を纏う蒼炎が屍鬼を灰燼へと変えていく。
唸り声が聞こえなくなるころには、屍鬼の姿は跡形もなかった。
「はあ、はあ……」
「あ、おいっ」
全身の力が抜け、倒れようとしていた彼女を受け止める。
とっさに背後を警戒するが、最初彼女が相手をしていた屍鬼たちがいない。彼女が全て討伐してくれたようだ。
「ッッ。けほっ」
彼女の咳にはっとする。
先ほど彼女は屍鬼にかぶりつかれていた。
肩口からはどくどくと鮮血が流れ出している。
彼女から赤い血が流れ出すにつれて、その顔が白くなっていく。
このままではまずい。
そんなことは今の彼女を見れば明らかだった。
「おいっ、大丈夫かっ。今、救急車を呼ぶ。……おっさん、早く救急車をっ」
「は、はいっ」
俺は助けた男性に指示を飛ばし、彼女をそっと地面に横たわらせる。
彼女は苦悶の表情を浮かべながら、口を開いた。
「はは……、笹瀬くん、……無事?」
その笑みには力がない。
「ああ、あんたのおかげで無事だ」
「なら良かったぁ……。笹瀬くん……、無理しちゃだめだよ……」
彼女はゆっくりと右手を上げ、俺の頬を撫でる。彼女の手が冷たく感じた。
「何言ってんだよっ。無理してんのはあんたの方だろっ」
彼女に助けられたのに、つい怒鳴ってしまう。
しかし、彼女は痛みをこらえながら、優しく笑みを浮かべるだけだった。
「あはは、怒られちゃった……。で、でも、……言ったでしょう? わたしが……笹瀬くんを守ってあげるって……」
それだけ言って、彼女は意識を失う。
「……なんだよ、それ」
その後、現場に駆け付けた救急隊によって、彼女は病院へと運ばれた。