1月28日(2)
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「んん、くぅーっと……」
警察署を出た瞬間、彼女は両手を天に突き上げ、大きく伸びをした。
「お疲れ様。思ったよりたくさんの資料があったな」
ぽきぽきと肩を鳴らす彼女を労う。
さすがは警察というべきか。署の中には、今回の事件に関する膨大な資料があった。俺があのビルで襲われた事件だけでも段ボール十個分。一件目の事件から通算すると五十個近くの段ボールがあった(数えるのが嫌になったので正確な個数は定かでない)。
おかげで日中はお昼休憩を除いて、ほとんどの時間を調査のために借りた一室で過ごすことになった。
しかも、結局、今日一日で全てに目を通すことはできず、明日もここに来る予定になっている。
「明日も今日と同じ作業か……」
「うん、そうなるね……」
二人してため息を吐いた。
「っていうか、今日で資料の半分も目を通せてないから、明日を使っても終わらなそう……」
「終わらなかったら、どうなるんだ?」
「……、来週の土日かな」
「……」
貴重な土日が署で缶詰か……
なかなかつらいものがある。
署の敷地を出て、帰宅の途につく。
辺りには既に夜のとばりが落ちており、まるで道案内をするかのごとくLEDの街灯が地面を照らす。
「……」
「……」
疲労困憊ゆえか、俺たちはお互いに言葉を発しない。
時折通過する車の排気音の間隙に二人の靴音だけが響く。
「……」
「……」
署を出てから十数分。もう少しで彼女のマンションに着く。
今日も彼女の部屋にお邪魔することになっていた。
さて今日の晩ご飯は一体なんだろうか。
そんなことを考えていると、
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
一人の叫び声が辺りの沈黙を打ち破った。
「「ッッ⁈」」
とっさにお互いが顔を見合わせる。
「今の⁈」
「ああ、早く行くぞっ」
それだけでお互いが相手の気持ちを察し、声のした方向に走りだす。
来た道を十数メートル戻り、路地に飛び込む。
幅二メートルにも満たない狭い道を一気に駆け抜ける。
そして、その路地を抜けた先。
そこにはいつかと同じように一棟の建設中のビルがあった。
声がしたのはこの先だ。
お互い頷き合い、迷うことなくビルへと突入する。
「……」
「……」
入った瞬間、不穏な空気が肌にまとわりつく。
何かいる、本能がそう脳に訴えかけてきた。
「く、来るなああぁぁぁぁぁ」
上階から、先ほどの叫び声と同じ声が鳴り響いた。
叫び声の主は何かに襲われているらしい。
「大変、急がないとっ」
「ああ」
間に合ってくれとその人の無事を祈りながら、急いで非常階段を探し、一気に駆け上る。
二階の入り口に到達すると、俺たちは勢いよく目の前の扉を開けた。
バタンッ、という音が階層全体に反響する。
俺たちの目線の先には五人の人影があった。
一人の男性を四人の男女が半円状に囲んでいる。腰を抜かしているところを見ると、囲まれている男性が叫び声の主であろう。
俺たちはすぐにその男性の側に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「へ? あ、ああ。でも、こいつらが……」
男性が指さす四人の男女。
以前、俺を襲ってきたやつと同じように、そいつらは青白い肌に血走った目をしていた。
――――間違いない、屍鬼だ。
「わたしたちがどうにかします。笹瀬くん、その人をお願い」
「ああ」
彼女は、俺たちより数歩前へ出る。
「え、どうにかって……」
「いいから、こっちに……」
戸惑っている男性の肩を支え、数歩後ずさる。あまり距離が近すぎると、彼女の魔導に巻き込まれかねないからだ。
「【接続】――」
その詞を発した瞬間、彼女の身体を群青に輝く数多の粒子が包み込む。
彼女が魔導を使う瞬間を見るのは二度目だ。相変わらずその光景は幻想的で、思わず彼女に釘付けになる。
「《隔世に住まう炎蛇よ。灰も残さぬよう喰らい尽くせ》――」
群青色の粒子が一気に燃え上がり、蒼炎から炎蛇が姿を現す。
炎の絨毯にその身を這わせ、闇よりも深い漆黒の瞳が屍鬼たちを睥睨する。
しかし、死人であり心をすでに失っている屍鬼に恐怖という感情はない。
「ゔ、ゔああぁぁぁぁぁぁ」
声にならない唸り声を上げながら、屍鬼たちが彼女に襲い掛かる。
同時に彼女もぴっと手を振り下ろした。
炎蛇も彼女の手の動きに呼応し、屍鬼たちに襲いかかる。
炎蛇はまず、彼女と最も近い場所にいた屍鬼二体を一飲みにした。
当然、炎蛇が過ぎ去った地点には消し炭すら残っていない。
「ひえっ」
超火力の魔導に男性が怯えた声を上げた。
「大丈夫です。あの蛇は彼女が制御していますから」
男性を安心させるべく、優しい声音で事情を説明する。
「きみたちはいったい……」
「俺たちは……っっ⁈」
そのとき、視界の端で動くものを捉えた。