1月26日(3)
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「で、今日は何を作るつもりなんだ?」
「んー? 今日はシチュー」
彼女は冷蔵庫から野菜や鶏肉を取り出しながら答えた。
部屋にお邪魔しておきながら、晩ご飯の準備を全く手伝わないというのも忍びない。自分にも何か手伝えることはないかとキッチンへと向かう。
「俺は何をしたらいい?」
「ん、それじゃあ、野菜の皮むきをお願い。わたしが野菜を切っていくから。ピーラーはそこの引出しね」
「わかった」
彼女は皮をむく必要のないピーマンから切り始め、俺は一番近くにあった玉ねぎを手に取る。
玉ねぎかぁ……
玉ねぎって言えば、目から涙が出てくるやつだよな。あっ、でも、涙が出るのはこいつを切るときだけだっけ? それならまあ大丈夫か。
黙々と茶色い数枚を剥いていく。
うん、全然涙が出てくる気配はない。
数枚を剥くと白い部分に差し掛かった。
ん、色が変わった。でも、上の方はまだ茶色いし、これも皮なんだろうか? いいや、これも剥いておこう。
ということで、白い部分にも手を掛ける。一枚剥くと、また同じ白い部分だった。
あれ、また同じか。でも、まだ上の方は茶色いよな……
ということで、これも皮と判断して、手に掛けようとする。
「ちょっ、ちょい、何してんのっ⁈」
しかし、ちょうどピーマンを切り終えた彼女に止められた。
「えっ、何って、玉ねぎの皮を剥いているんだけど?」
「それ、皮じゃなくて中身の部分だからっ。このままいくと食べられる部分がなくなっちゃうからっ」
必死の形相を浮かべながら彼女が詰め寄ってくる。
「えっ、そうなのか?」
彼女の言葉に目を丸くする。料理なんてやったことがないから初耳だった。
「うそ……」
対照的に彼女は額を押さえて、うつむいていた。
「もういいや、笹瀬くんはリビングでテレビでも見ていて」
「いや、それだと……」
「手伝ってもらえることができたら呼ぶから。お願い、ちょっと向こうにいて?」
強制的にキッチンから追い出される。完全に用なしだった。
手持無沙汰になった俺は、テレビを点けニュースを眺める。
今日あった事件や事故、芸能人のスキャンダルが報道されていく。
一昨日、俺が屍鬼に襲われた事件に関する報道もあった。
二十分ほど立つと、彼女にちょっと来てと呼ばれた。
ようやく何か手伝えると、少し胸を躍らせて、キッチンへと向かう。
「今、お鍋にルーを入れて溶かした。あとは煮込むだけだから、焦げないように見ていてくれない? たまにお玉でかき混ぜるだけだから」
彼女は絶賛煮込み中のお鍋を指さす。
俺は彼女と火にかけられているお鍋とを交互に見比べた。
「えっ、それだけ?」
「うん、それだけ」
……めちゃくちゃ簡単な作業だった。
彼女の俺に対する信頼度の低さが見て取れた。
「それじゃあ、わたし、副菜の準備をするから」
「……はい」
彼女がもう一品作る隣で、俺はお鍋を見ているだけ。ちょっと自分が情けなくなった。
ちらりと横目で彼女を見る。
彼女は流れるような手つきで副菜の準備をしている。普段から料理をしている人の動きだった。
そういえば、以前彼女のお弁当を食べたとき、すごく美味しかったっけ。
彼女に言われた通り、たまにシチューが焦げないよう、お玉でかき混ぜる。料理ができない自分に与えられた数少ない役割だ。ここで失敗するわけにはいかない。
驚くことに、彼女はほんのわずかの時間で一品を作り終えた。カリカリじゃことトマト、豆腐を和えたサラダ。さっぱりしていて、シチューとの相性がよさそうだ。
「さ、シチューの方もいい感じかな~。……うん、いい感じ」
お鍋の中を見て納得している。
彼女は、引出しから醤油を取り出すと、先ほどのお鍋の中に少量の醤油を投入した。
「えっ、シチューに醤油?」
見たことない組み合わせに思わず声を上げる。
「うん、そうだよ。隠し味にちょうどいいんだ~。っと、これで完成だね」
彼女は満足そうにお鍋の火を止める。
「さ、ご飯にしよ。笹瀬くんはスプーンやお箸、それと飲み物の準備をお願い」
「ああ、わかった……」
醤油を入れたシチュー、いったいどんな味なんだろう。
彼女に言われた通り、食器を取り出し、テーブルに並べていく。
「はい、シチューもつぎおえたから、これもお願い」
「ああ、うん、わかっ……た?」
シチューが入ったお皿を彼女から受け取ったとき、さらなる衝撃に襲われた。
「ん、どうしたの? なんかフリーズしているよ?」
ロボットのようにかくかくしながら、頭を上げる。
「な、なあ、なんかこのシチュー、ご飯と一緒に盛り付けられているんだけど……?」
「え、そうだけど、それが何か?」
何がおかしいか分からないといった感じに彼女は小首をかしげた。
「い、いや、カレーライスなら分かるけど、これ、シチューだろ?」
「うん、シチューだよ?」
「シチューってご飯にかけるのか?」
「ああ、そういうこと? うちではカレーもシチューもハヤシもご飯にかけるんだ。まあ、いいから食べてみなよ」
「あ、うん、まあ、あんたがそう言うなら……」
いまさらライスとシチューとを取り分けるのも面倒だし、そのままテーブルへと運ぶ。
最後に彼女がサラダを持ってきて、夕食の準備が整った。
二人同時に、椅子へ腰かける。
「それじゃ、準備も終わったし……」
「「いただきます」」
まずは二度も衝撃に襲われたシチューご飯から口をつけることにする。
スプーンでご飯とシチューとを一緒にすくい、口の中へ……
そこで俺は三度目の衝撃を味わうことになった。
「……えっ、うまっ」
「でしょ?」
俺の反応を見て、彼女がどや顔を決める。
先ほど仕上げに入れた醤油がシチューと白ご飯との潤滑油となることで、シチューと白ご飯が程よくマッチしている。
なるほど、だから彼女は醤油を入れていたのか。
それにシチューの具材はホクホクと柔らかい。
「今まで食べたシチューの中で一番おいしいかもしれない……」
もっと自分に語彙力があれば、と後悔した。今自分が持っている言葉だけでは、この美味しさを適切に表現することはできない。
「あはは、それは褒めすぎだって。でも、そう言ってもらえると嬉しいよ。さ、まだまだあるからたくさん食べてね」
「ああ」
その後も俺は彼女との晩ご飯をしっかり堪能したのだった。