1月23日(3)
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「ったく、なんでいつものところ閉まってんだよ……」
放課後、俺は妹の七海から頼まれたブルーレイを借りるために隣町まで来ていた。
いつも通っているレンタルショップが今日に限って休業日だった。おかげで、隣町まで足を運ぶはめになった。
店が休業日だったならまた明日にすればいいようにも思えるが、今回は七海から頼まれたのだ。
両親と違って、七海は俺によく懐いていた。ただでさえ年の離れた妹は可愛いものだ。そんな妹が家族で唯一、俺を家族として迎えてくれているのだから、七海の頼みだけは断ることができない。
とはいえ、今日は隣町まで来たのでいつもより遅くなってしまった。
冬ということもあり、今は日が沈むのが早い。すでに日は傾きつつある。
こんなときはさっさとお目当ての物を見つけて、用事を済ませるに限る。
そんなことを考えながら、気持ち早足でお店へと急ぐ。
ミャー
しかし、一匹の鳴き声が俺を引き留めた。
「えっ?」
足を止め、辺りを見回す。でも一見しただけでは声の主を見つけることができない。
ミャー
また鳴き声がした。
「……あっちのほうか?」
声がしたと思う方向に足を向ける。早くブルーレイを借りに行かなければならないのに、自然とその声に意識が持っていかれた。
ミャー
来た道を数メートル戻った先にあった路地の入口で足を止める。
俺が付近にやってくると、その声の主は姿を現した。
「俺を呼んだのはお前か……」
白と茶色の毛並みにところどころ斑が混じっている。
なるほど、三毛猫か。スラっとしてかわいらしい猫だ。
少しだけ眺めようと腰を下ろす。
「はは、お前、のらね……って、えっ⁈」
腰を下ろした瞬間、驚きを隠せなかった。
――――こいつ、三毛猫なんかじゃないっ。
ビルの陰で黒く見えていた斑は、赤みがかった黒。体内に無数に流れる赤血球が空気に触れて酸化するとこんな色になる。
「大丈夫か⁈」
とっさに猫を持ち上げる。
しかし、猫はゴロゴロと喉を鳴らすだけだった。もし怪我をしているならば、患部に触れることになるので、是が非でも俺から離れようとするはずだ。
つまり、この血は猫のものではない。
「それじゃあ、いったい……」
猫と目が合うと、そいつは体を捻って拘束から逃れた。
「あっ」
猫は地面に降り立つとスタスタと路地に戻ろうとする。しかし、入り口で一度、立ち止まって、
ミャー
まるでついて来い、と言うかのように一声発した。そして、すぐに路地の奥へと入っていく。
「……」
猫がいなくなった方向をじっと見つめる。
あたりを斜陽が照らし、俺が今いる地面や近くの建物は全てオレンジ色に染まっている。しかし、目の前の路地は両肩のビルにより日の光が入らず、真っ暗な世界が広がっていた。
赤の世界と黒の世界。
まるで現世と常世のように。
まるで今と過去のように。
全く異なる二つの世界をこの入り口が区切っているように見えた。
この先は危ない。
理由は分からないが、そのように感じた。
これ以上進んでしまうと、元の世界に戻ってこられないかのような感覚さえする。
早くブルーレイを借りに行かなければならないのに。
早く家に帰りたいのに。
しかし、向こうの世界から目を離すことができない。
進んでしまいたいと強く思う自分がいる。
「少しだけなら……」
結局、俺はその境界を踏み越えてしまった。
ビルとビルの間、幅一メートルほどの狭い路地を進む。
路地、というと汚れているイメージがあるが、ここはそれ以前に人が通らないのか、ゴミが全く落ちていない。
漆黒の世界をゆっくりと歩いていく。
コツコツという自身の足音。
ハアハアという自身の呼吸音。
ドクドクという自身の鼓動音。
周囲からの音は全くなく、ただ自分から発せられる音が鳴り響く。
いや、普段これらの音を気に留めることなんてほとんどない。鳴り響いている、と感じるのは、それほどまでに殺気立っているからだろう。
路地を抜けるのにそこまで距離はないはずなのに、この時間がとても長く感じる。
まるで本当に異世界に迷い込んだかのように、時間感覚がおかしくなりそうだ。
それでも俺は好奇心に誘われるまま、自身の歩を進める。
――――やがて、終着点に到達した。