隣人の美女が「偽札……作りすぎちゃって」と出来の悪い偽札を持ってきた
この俺、大宮九太が一日を終え自宅のアパートでくつろいでいると、玄関のベルが鳴った。
ドアの穴から外を見ると、来客は隣人の女だった。
俺は思考を巡らせる。確か名前は――栗山美沙だったかな。
最近隣の部屋に引っ越してきた。長い黒髪と整った容姿を持つ彼女を俺も少なからず意識していたが、引っ越しの挨拶以来、ほとんど接点はなかった。俺はなんとなく賢そうな女性だな、という印象を持っていた。
いったいなんの用だろう。
これがラブコメ漫画ならば「肉じゃが……作りすぎちゃって」なんて台詞から恋が始まる。しかし、そんなことあるわけない。どうせ俺宛ての郵便物が間違って届いちゃったとか、つまらない用事だろう。居留守を使う意味もないので、俺はドアを開けた。
間近で見ると、栗山美沙はやはり美人だった。
質素な服装の上からでも引き締まった体をしていると分かり、ほのかに漂う匂いが俺の情欲をそそる。
「大宮さん……ですよね」
「ええ、そうですが」
俺が大宮九太だと確認すると、美沙はこう切り出した。
「偽札……作りすぎちゃって」
「え?」
俺に何枚かの紙幣を手渡してきた。
「よかったら、使って下さい!」
にっこり笑うと、美沙は逃げ出すように隣の部屋に駆け込んでいった。
俺は状況が全くつかめないまま、ドアを閉じた。
いきなり偽札を渡されてしまった。作りすぎたからって普通、人にあげるか。新手のギャグか何かだろうか。
答えがさっぱり出ない思考を繰り返しながら、俺は彼女が「偽札」といった紙幣を確認する。
結論からいうと、それはもう酷いものだった。
一万円札なのだが、まず肖像画の出来がお粗末すぎる。
紙がコピー紙丸出し、印刷がずれている。透かしなんかもちろんない。
極めつけは、そもそもサイズが本物と違う。少し大きい。
あの女、これを偽札と言い張るつもりなのか。偽札をナメているのか、と言いたくなるような出来だった。
よかったら使って下さいと言っていたが、こんなもの使えるわけがない。使ったらその場で即通報、即逮捕。自販機に使ったらそもそも札が入らない。
美沙に対する賢いという印象はハズレだったんだなと思いつつ、俺は親近感を抱く。
同時にこのままにしておいていいのだろうかという不安も抱く。美沙はこの偽札を使うつもりなのだろうか。だとしたら放っておいていいのだろうか。
***
数日後、俺が一日を終え自宅でくつろいでいると、ベルが鳴った。
ドアの外には美沙が立っていた。
まるでこの間の再現だな、と思いながら俺はドアを開けた。
美沙は屈託のない笑みを浮かべていた。
「あのー、使って下さいました?」
先制攻撃を喰らった気分になる。
「え? ああ、あの偽札……まあ、うん、なんというか……」
返事を準備していなかった俺は答えに窮する。
美沙は俺の真意を察したようだ。
「そう……ですよね。あんな偽札、使えるわけがないですよね」
うつむいてガッカリしている。もしも偽札が肉じゃがで、俺が食べなかったとしたら、やはりこんな顔になっただろうか。そう思うとなぜか心も痛む。
「あ、そうだ。大宮さん、よかったら私の家に来ませんか?」
「君の家に?」
「はい、変なものを渡してしまったお詫びがしたいんです」
まさか自室に呼んでもらえるとは。
俺は子供の頃から貧しく、異性にも縁のない生活を過ごしてきた。だから、男女の付き合いのセオリーというものが分からない。女の人ってこんなあっさり家に入れてくれるもんなんだなぁ、と驚いてしまう。もっと段階を踏むものとばかり思ってた。
美沙の部屋に入ると、やはり女性らしく可愛らしいソファだのクッションだのが置いてある。生活必需品オンリーの俺の部屋とはえらい違いだ。
しかし、部屋を観察すると、やはり偽札から感じ取れた彼女の変わった部分を見ることができた。
まず小さいがコピー機が置いてある。これであの酷い偽札を作ったことが分かる。
本棚には小説や漫画が置いてあるが、タイトルがだいたい犯罪や裏社会を彷彿とさせるものばかり。
俺にはなんとなく分かってきた。
おそらく美沙は幼い頃からこういった犯罪系の創作物が大好きで、その中でも特に偽札作りに憧れてしまったのだろう。
大人になった後も憧れは衰えず、一人暮らしを始め、ついには偽札作りに手を染めてしまったといったところか。
俺が美沙のプロファイリングを終えると、彼女は手料理を持ってきた。
皿に入ってたのは肉じゃがだった。
「よかったらどうぞ」
「いただきます」
肉じゃがは美味しかった。そう難しい料理ではないと思うが、それを差し引いてもいい出来だ。偽札は使わなかったが、こっちを持ってきてくれればちゃんと食べたのに、とさえ思う。
肉じゃがを平らげ落ち着いたところで、俺は答え合わせをしようと試みる。
「えーと、栗山さん」
「美沙でいいですよ」
「じゃあ美沙さん。こないだくれた偽札のことなんだけど、なんであんなものを?」
「ああ、あれですか……」
美沙は照れ臭そうにしながら、自分の半生を話し出した。
その内容はだいたい俺が推理した通りのものだった。
幼少の頃から女の子ながら犯罪者やダークヒーローといった登場人物が出てくる漫画が好きで、特に偽札作りに憧れてしまったという。
経済の根幹を担う紙幣を、自分の手で作り出すという犯罪行為に。
話し終えた美沙の顔は晴れ晴れとしていた。まるで自白を終えた犯人のように。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ……肉じゃが美味しかった」
美沙の事情は分かったし、俺もそろそろ帰った方がいいだろう。ここで美沙に言い寄るのは流石にハードルが高すぎる。
だが、それでも俺は自分にしてはほんの少し勇気を振り絞った。
「あ、そうだ……よかったら、今度デートでもどう?」
さもたった今思いついたという風を装い、デートに誘う。
美沙が驚いた表情をする。
「あ、いや、こうして知り合えたし、一回ぐらいどうかなーって」
慌てて取り繕うが、美沙はにっこり笑って頷いた。
「いいですよ!」
俺の中でファンファーレが鳴った。
俺にもやっと春が来たのだ。いや気が早すぎるか。
同時にこうも思う。偽札作り大好き美女・美沙。彼女のことを本当に思うなら、俺はあることを伝えねばならないと。
***
次の日曜日、俺と美沙のデートが始まった。
恋愛経験がないなりに、俺が必死こいて考えたデートプランを消化していく。
映画を観て、お洒落なカフェに寄って、ショッピングして。ネットの受け売り通りのコース。オリジナリティを入れる余裕などなかった。
俺はつい美沙の顔をちらちら窺ってしまうが、楽しんでくれているという感触を抱いた。
日も暮れ、俺はデートが決まった時から考えていた“本題”を切り出す。
「美沙さん、聞いておきたいんだけど、君はこれからも偽札作りを続けるつもりなの?」
「もちろん! いいのが出来るまで頑張るつもりです」
「やめた方がいい」
美沙の顔から笑みが消える。
「どうしてそんなこと言うの?」
「あんな偽札じゃすぐバレるに決まってるからだ」
「そんなことない! もっと工夫を重ねれば……!」
「いいや、無理なんだよ。偽札ってのは素人が興味本位で手を出して作れるほど、甘いもんじゃないんだ」
「し、素人……?」
「ついてきてくれ。君に見せたいものがあるんだ」
今日のデートコース、最後はあそこに行くと決めていた。
しばらく歩くと、小さな工場にたどり着く。一見すると打ち捨てられた廃墟にしか見えない。
「ここは……?」
「印刷所。昔、俺の両親がやってた工場さ。とっくの昔に潰れて今は稼働しちゃいない。表向きはね」
俺は美沙を連れて中に入った。
内部は俺が密かに整えていた「偽札印刷所」になっている。埃を被っていた設備をメンテナンスしたり修繕したり改良したりして、作り上げた秘密工場だ。
「見てくれ、これが俺の作った偽札だ」
俺が一枚の偽札を見せると、美沙は驚きの声を上げる。
「すごい、本物そっくり……! ていうか本物ですよこれ!」
「だろう?」
俺は得意げに唇を吊り上げた。
「もしかして、今日のデートでもこれを?」
「いや、使ってない。せっかくのデートを偽札で汚すような真似はしたくなかった」
我ながら痺れる台詞を吐けたな、と思った。
「今度は私が聞く番ですね。なぜこんなことを?」
「俺の両親はここで小さな印刷所を営んでいた。二人の技術は確かなものだったし、生活は貧しいけど幸せだった。だけど、やっぱりでかい印刷会社には勝てなくてね。廃業せざるを得なくなった。それがショックだったのか、心労が溜まってたのか、二人ともあっさり死んじまったよ」
あの時のことを思うと、今でも涙が出そうになる。悲しいだけではない。色んな感情がこみ上げてくる。
「残された俺は二人のことなんか忘れ、こんな工場売り飛ばして、新しい人生を歩くことも考えた。だけど、どうしてもできなかった。どうしてもここの設備を使って、世の中ってやつに一矢報いてやりたくなった。やがて俺は偽札作りを思いつき、研究にのめり込んだ」
美沙は黙って聞いている。
「誰にもバレないように研究に研究を重ね、ようやく作れるようになったのさ。本物そっくりの偽札ってやつを。今、俺はいくつかの犯罪組織に話を持ちかけてる。俺の作った偽札を使ってみる気はないかってね。どこも乗り気でさ。もうまもなく、もうまもなく俺の偽札が日本中に流通する。だから美沙……君も偽札に憧れるなら、俺を手伝ってくれ!」
俺は手を差し伸べた。
「はい」という返事とともに、俺の手を握ってくれると信じていた。
「残念だけど、それはできないわ」
美沙の口調が――いや雰囲気が変わった。
「なんだと?」
「私、こういう者なの」
美沙が身分証明のための手帳を取り出す。俺はそこに書いてある肩書きを読む。
「とくしゅ……そうさいん……?」
「そう。通貨偽造犯罪に特化した捜査員といえば分かりやすいかしら」
俺の頭が一瞬で沸騰する。気づいた時には美沙に飛び掛かっていた。どうするつもりかは考えていなかった。とにかくこの場の主導権を握りたいがための発作的な行動だった。
しかし、美沙は俺の腕をあっさり掴んだ。俺の体がふわりと浮く。
床に叩きつけられた後、自分は投げ飛ばされたのだと分かった。
「が、は……!」
「諦めて。もう警察も駆けつけてくるわ」
すでに連絡済みということか。
それにしても鮮やかな投げだった。まだ立ち上がろうと思えば立ち上がれたが、そんな気さえ起こらない。どうりで引き締まった体をしてると合点がいった。賢そうな女性という印象も間違っていなかった。
「一つ……聞かせてくれ。なんで俺が偽札を作ってると分かった?」
「あなたが犯罪組織に売り込んだからよ。すごい偽札を作れる男がいるって噂は裏社会に広まった。だから私の情報網に入っちゃったの。人の口に戸は立てられない」
「あとは……俺の隣に引っ越して、俺と知り合って……出来の悪い偽札を見せて……ってわけか。この場所に案内させるために……」
「そういうことね」
サイレンの音が近づいてきた。
俺は天国にいる父と母に「バカなことしちゃったよ……」とつぶやいた。
警察が駆けつけ、俺は逮捕された。
手錠をかけられ連行される俺に、美沙は声をかけてきた。
「偽札作りは重罪よ。しばらくは出てこれない。だけど、あなたは偽札を使ったり流通させたりはしてないし、その辺りの事情は考慮されるでしょう。反省さえすれば絶対やり直せる」
「……」
「それと、あなたとのデート、楽しかった」
俺はこれを聞いて微笑んだ。
今日のデートは楽しかった。
たとえ美沙の言葉が偽物だったとしても、俺は嬉しかった。
完
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