後
「……桜の木の下で告白、ねぇ……」
一気に信憑性が無くなった噂の謎を一人口に出してみる。
図書館がある西棟は部活動をしている生徒の為か人の気配がした。階段の踊り場では『環境に配慮SDGs』と書かれた新しいポスターを貼り付けている生徒会の人もいた。ところどころ消されていた蛍光灯はこの活動の一環なのかもしれない。
図書館に着くなり、カウンターの前に立つ。思ったよりも人はいなく、暇そうに本に没頭している図書委員のほか数名だけだった。図書委員は人の気配に気づいて顔を上げる。目が合うと露骨に嫌な顔をした。
「なんだ、お前か」
「よぉ」
図書委員で暇そうにしていた俺のクラスメイト、松永はパタリと本を閉じると小声で話し始めた。
「どうした?放課後にお前が図書室に来るなんて珍しいな。いつもなら部活動の後はすぐに帰っているはずなのに」
「本当は今にでも帰りたいんだ。だが……、調べ物があってな」
彼は興味が無さそうに、ふぅん、と相槌をしたが、丁寧に読んでいた本を片付ける。一つ、確認しておくこともあるだろう。
「そういえば、お前、中庭の桜の木の伝説を聞いたことはあるか?」
「いや、ない」
こちらを向き直ることもなく、彼はぶっきらぼうに呟いた。
「……即答だな」
「聞いたこともないわ、そんな話。もちろん似た話もない。もっと言えば興味もねーな。なにお前、そんなこと調べに来たの?」
あぁ、と首を縦にふる。
「校内新聞のアーカイブを見たくて。持ってきてくれるか?」
「……ヤだと言ったら?」
笑った顔が癪に障る。こっちは急いでいるんだ。
「……お前の活動態度を報告するだけだ」
「つまんね。いつからの?どのくらいまでさかのぼればいい?」
クラスメイトは気だるそうに立ち上がって、奥の司書室へと向かっていく。
「とりあえず、30年前から。よろしく頼むわ」
「多っ!」
新聞部のアーカイブは図書室で管理されている。創部当初の古いものまであるので、学校の歴史を知るのに役立つ情報源だと言える。部室のPCにも取り込んであるのだが、今は原本で確かめたいことがある。
「ほら、持ってきたぞ」
机の上に置かれた量は俺の予想を超えていた。紙のアーカイブだからしょうがないとはいえ、この中から目当ての記事を探すのは一苦労だろう。俺の気持ちを察したのか、松永も手伝ってくれるようで俺の隣に座る。
「こんなん見つかる感じがしないな」
「目星は付いているんだ。だからそんなにかからないハズ」
俺はひたすらに30年以降のページをめくっていく。古紙のかび臭い匂いが辺りに広がっている気がした。
「あった」
ページを手繰る手を止めて、目当ての記事を二人でのぞき込んだ。
『イチョウの木に落雷?
××学園で15日未明、中庭のイチョウの木が倒れて砕け散っているのを職員が見つけた。同日の早朝にかけてS市では雷が発生し、同校は木に落ちたとみているが定かではない。近くの校舎の窓ガラスが砕け散っていたが、ケガ人は居ないという。原因については目下調査中である』
「……」
「お前が探していた記事って中庭の桜の木の話だよな?」
トントンと記事を人差し指で叩く。
「あぁ。でももしかしたら桜を植えてから伝説が生まれることもあるだろう。これだけじゃ存在の否定
には繋がらないが……」
宮内先生の言う通り、桜の木は昔からあるものではなかったことがハッキリした。
他は無いかとページをめくるが、目ぼしいものは見つからない。諦めようかと思ったところで、松永が俺の袖口を引いた。
「お前のお目当ての記事に近しいものがあったぞ」
『桜の木の植樹
××学園の中庭に卒業生からの贈答品として桜の木が植樹され、除幕式があった。卒業生代表として65代生徒会長穂波幸雄は「この桜の木が××学園のシンボルとなるように大事にしていってほしい」と述べた。立ち会った下級生は「伝説として引き継いでいきたい。満開になるのが今から楽しみ」と話していた。(写真)』
「俺らは当たり前のように見ていたけれど、割と最近に植えられたものだったんだな、アレ」
松永は立ち上がると窓から中庭を見下ろす。西日のせいで外は燃えるように赤い。
投げ出されたアーカイブを閉じて机に積みなおす。片づけは図書委員に任せるようにしよう。
「でもこれではっきりした。俺が部室で見た記事はフェイクだったんだ。つまり、あんな噂は存在しない。存在しない噂が語り継がれるわけがないんだ」
植樹の記念なのか、男子生徒と女子生徒の写真が申し訳程度にくっついていた。それは今日の部室で見た写真と一致している。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。
真実なんて基本こんなものなのだろう。
「まぁ、聞いたことない時点でお察しだけど。探し物は終わったか?そろそろ図書室も閉めさせてもらうぞ。お前は、ほら、彼女がお待ちかねだぞ」
そう言って彼が指さした先で、昇降口ではなく、桜の木の下には後輩の姿があった。
足取りは割と軽やかに階段を下りる。普段なら聞こえて来るはずのトロンボーンの下手な練習音も今は聞こえてこない。
中庭に出ると風が吹きつけて、思わず髪を押さえてしまった。俺の視線の先で、優雅に髪をなびかせている後輩の姿に少し見惚れてしまった。
後輩は俺に気づくと、木の下へ来いと手招きした。上履きのままでタイル以外を踏むのにためらったが、彼女の指示に逆らおうとは思わなかった。
「遅いですよ」
「割と手間取ってな」
「で?謎は解決できました?」
肯定の意を込めて首を縦に振る。
「それなら良かったです。先輩、気になるとすぐ解決したがる質だから、待つ方の身にもなってほしいです」
「あの記事はお前が作ったものであってるか?」
後輩が笑った気がした。逆光になっているせいで顔は暗い。
「そうですよ、昔の記事をたまたま見つけたので、お遊び半分ですね。よくできていたと思いませんか?」
お遊び半分だとは思えないが、黙って犯人の独白を促す。
「まぁこれも普通にパソコンを探せばわかっちゃうんですけどね」
「いや、パソコンなんて見なくても分かってたんだよ」
「……」
後輩の顔がゆがむ。何を言っているのか分からないと言いたげの顔だった。
「今年から、印刷用の紙が変わってな。あのプリンターの中の紙はコピー用紙じゃなくなってたんだよ。実際、今日印刷した新聞のゲラもわら半紙だっただろ?お前から渡された時点で別で印刷されたものだと気づくことはできるんだ」
環境への取り組みがこんなところで顔を出すとは俺も思っていなかった。
後輩が深く息を吐いた。つまらない、というように長く。
「なぁんだ。じゃぁ何を調べていたんですか?」
「記事自体の真偽を。部室で印刷されたわけじゃなくて、他で印刷されただけかもしれなかったから。それは桜の木の写真を転用していたことで元の記事なんて無いことを証明できたが」
「面倒ですね」
「面倒だったが、楽しかった。おかげでこの木の歴史に触れることができたし」
見上げた先の桜を飛ばすような強い風が吹いた。視界をチラチラとピンクの花びらが飛び交った。
それが合図のように俺と後輩の間に沈黙が訪れる。
「……帰るか」
踵を返そうとしたところで、後輩が俺を引き留める。
「いや、まだ終わってないと思いませんか?」
「……なにが?」
一歩、距離が縮まる。沈む太陽に当てられているのか近くで見ると顔が朱に染まっている。
「先輩、『who』と『how』は推理小説の基本ですけれど、物語を創るのは『why』ですよ」
ちょっと恥ずかしそうに、ごまかす様に笑うぐらいなら、そんなこと決め顔で言わなければいいのに。
「さて、今回のホワイは突き止められました?」
俺はずっと考えていたが、正直思い当たる節は無い。本人は愉快犯だと白状したが、この様子だとそれ
もフェイクだろう。論理的に考えられうる可能性を声に出してみる。つたない推理だと自分でもわかって
いるからか、消え入るような声量だった。
「……キャッチーな記事を載せることで新聞部に新入生を勧誘するため……」
「……本気で言ってますか?」
唖然、という様子で後輩の顔が一気に引き気味になった。
「はぁ~あ、そんなわけないじゃないですか。ホント、ちょっと頑張って損した」
後ろで腕を組んで伸ばす。靴のつま先で地面を蹴る。私、怒ってます、のポーズ。1年間一緒に居たからこのぐらいのことは分かる。
「だいたい私がそんな活動に前向きじゃないことは分かるじゃないですか。新聞部のことを考えていたら遅刻だってしないし。それでコピー用紙を変更になったことだって分かってるはずだと思いません?別に新入生なんて入ってきてほしくないですし」
桜の木の下から動こうとしない後輩と、動けない俺。
「もう、ありえない最低。なんで気づかないの?」
キッと俺に向き直って、震えた唇を開く。ゆっくりと言葉が紡がれていく。
「先輩、私がこの噂を流したい理由は」
再び春の風が俺らの間を駆け抜ける。また花びらが散っていく。髪とスカートがなびいて、彼女が迷惑そうに手で押さえた。
桜の木の下で、彼女の言葉を待つ。
「それは少しでも告白の成功確率を上げたかったからですよ」
それで―。
後輩がいたずらっぽく笑った。もしかしたら、今までで一番この瞬間が可愛い気がした。それは、この桜の木の下で、彼女があまりにも画になっていたからかもしれない。
「それで先輩、あとは分かりますよね?」