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「桜の木の下で告白すると叶うって噂、知ってますか?」
新学期が始まってすぐの新聞部部室で後輩が呟いた。開け放たれた窓に寄りかかって、中庭の桜の木をぼうっと眺めている。
新入生歓迎と書かれた紙をドアに貼っているが、誰かが開けて入ってくる様子はない。したがって後輩との無駄話も大丈夫だろう。
「なにそれ。3年間この高校に通ってるけど、そんな噂聞いたことねーよ」
彼女はいつもの定位置、俺と向かい合わせの席に腰を下ろすと部内パソコンを操作し始める。起動がスムーズにいかないみたいで、間を埋めるように口を動かした。
「いや、なんか、私の友達が言ってたんで、ホントかどうかは分からないんですけど」
ふぅん、とうわの空で返事をしてしまったせいで彼女の大きな目がキッとなった。
「だって、意味わかんないじゃん。例えばそれがよくある学園7不思議の1つだったとして、残りが伝わってないのもおかしいし。告白したら叶うって、体が勝手にイエスって答えちゃうのはもう訳が分かんないし。もっと言えばあんな目立つところで告白とか―」
もう少し続けるつもりだったが、後輩の顔を見て辞めた。またいつものように、理屈並べてる、なんて言われたくない。
「じゃぁ、どうですか?この噂が本当かどうか、どこを起源にしてるのか調べて来月の校内新聞にしましょうよ」
「あやふやな記事を書くのは新聞部のモラルに反する」
机の上に散らばっていた今月号の下書きをまとめた。後輩が遅刻したせいでこの下書きも俺一人で作っていたのに、それに対しての謝辞は聞いた覚えがない。今日の部活動はそろそろ終わりの時間になる。
「例年通り新任の教師のインタビューと新入生のインタビューとって、おしまい」
「つまらないですね」
「校内新聞なんてそれでいいんだよ。面白いのが見たかったらオカルト研究会にでも行ってこい。というか俺が入部する前からそんな記事出してないはずだからな」
俺の発言を待っていたかのように後輩がニヤリと笑った。
「とりあえず先輩も、ほら、実物をご覧になって下さいよ」
後輩はさっきまで自分が寄りかかっていた窓を指差す。そこから中庭を覗くと、目的の桜の木がシンボルのように鎮座していた。もちろん、そこには誰もいない。
プリンターの振動が終わって、また部室内が静まり返った。俺が席に戻る間に後輩はプリンターから印刷物を取り出した。
「みてください」
刷りたての割にひんやりとしたコピー用紙には過去の新聞が印字されていた。
『桜の木の下にまつわる伝説?
××学園の中庭に植えられた桜の木について学内である噂が存在している。「桜の木の下で告白すると叶う」というものだ。この噂の真偽は定かではないが、ある男子生徒によると、「告白を受けた時、断ろうと思ったが何故か付き合うことになっていた」と証言する。他の生徒によると「学園の七不思議ではないか」という声も上がっている。その他の不思議については目下調査中である』
記事には横に木の下に立つ男子生徒と女子生徒の写真が載っていた。どこかぎこちなさを感じる生徒はやや緊張した面持ちで画像に残っている。
「ね、あるにはあるんですよ」
電源を落とされたノートパソコンは役目を終えたようでぱたりと閉じられる。
「逆にこんな記事がちゃんと出ているのに1つも語り継がれてないなんて不思議だと思いません?」
「確かに。これ、いつの記事?」
これほどセンセーショナルな記事なら面白がって広まっても良いハズだろう。後輩の言う通り、噂自体がすべて消えてしまうのは謎ではある。
「えぇと、30年前のやつだったかな……。すみませんもう閉じちゃってて」
部内のパソコンには図書館に残っている分の校内新聞はスキャンして取り込んであったはずだ。手渡されたコピー用紙の記事は近年に作られた物でなく、画像データとしての印刷物だった。
しかし、何か違和感が拭えない。俺が熟考を開始しようとしたら、それより、と後輩は語気を強めて話し出した。
「昔が許されるんだったら今もこういうの良いじゃん!絶対調べてやりましょうよ」
「調べるのは調べてみるか」
「あ、意外。絶対拒否ると思ってた。調べるのは調べるんですね」
後輩は俺からコピー用紙を返されると丁寧にリュックへとしまう。
開けていた窓を閉めて帰り支度をする。
「……俺も気にはなるから。でも記事にはしない可能性の方が高いぞ」
「部長権限ですか?」
「部長権限だ」
部室の鍵を閉めて、ドアに貼ってある張り紙を外す。もうきっと来ないですから、と言って後輩は張り紙を丸めて捨てた。
「今日はこの後ゲラを確認してもらうから、先帰ってていいぞ」
「待ってます。終わったらラインしてください。なるはやでお願いしますね」
そう言って後輩は昇降口へと歩いて行った。遅くなるのは申し訳なく思って、廊下を歩くスピードが少し早くなった。
顧問のいる教室までの途中で先ほどの記事を思い返す。記事が残っているということは桜の木の下の伝説があるということ。謎なのはその噂の真偽と、それがどうして消えてしまったのかの2点。
30年間ぐらいの記事なら当事者に聞くのが手っ取り早いかもしれない。そう思って教室の扉をノックする。学校のことはOBに。新聞部のことも新聞部OBに。
「失礼します。宮内先生、お時間よろしいですか?」
「あぁ、うん。どうした?」
「今月号のゲラが完成したので目を通していただきたいのですが」
あぁ、ともいや、ともとれる曖昧な言葉とともに目を細めて原稿を見ていく。白髪の混じった後頭部を眺めながら、ちょうど、ではないかと確信する。
「……先生はこの学校の卒業生でしたよね?」
「あぁ、そうだけど」
「この学校に7不思議と呼ばれる類の物って存在するんですか?」
マグカップに伸ばしかけた手が急に止まった。持つ前で本当に良かったと思う。
宮内先生はわら半紙に刷られたゲラから顔を上げ、丸くした目で俺をのぞき込んだ。
「えっ!?……いや、キミからそんなこと言われると思わなかったから驚いちゃったよ。七不思議ねェ……なに?次の新聞部のネタに困ってるの?」
「いや、そういうわけでは無いのですが。後輩がそんな記事を見つけたみたいで。桜の木にまつわるものなんですけれど。少し気になって。30年ぐらい前の記事だったので先生なら知ってるんじゃないかと思ったんです」
顧問は眼鏡を外し、眉間を強く抑えた。思い出そうとするときのクセなのだろう。
「えぇ~……覚えてるわけがないけど……七不思議ねぇ……」
迷うような唸り声が数秒間続いた後、パッとこちらを振り返る。
「そんな話は聞いたことがありませんねェ」
「そうですよね。変なことを聞いて失礼しました」
「じゃぁこれ、確認したから。キミのことだから心配はしていないけど、変な記事はNGだからね」
原稿を回収し、扉に手をかけたところで宮内先生の大声が教室内に響いた。
「あっ!」
あまりの声量に戸惑っているのは俺だけではなく、他の先生の注目の的にもなっていて宮内先生は恥ずかしそうにペコペコと体を折り曲げていた。
再び、元の位置まで戻ると先生の表情は誇らしげだった。
「いや、思い出したわけじゃないんだけど。あれ、桜の木って言ったでしょ?いや、実はアレは昔イチョウの木だったんだよ。それが火事かなんかで燃えちゃって、で、植え替えられたんじゃなかった
かな。その時のイチョウの木の様子を記事にしたことはあった気がするなぁ」
「イチョウ……」
「いやぁ、ごめん、ごめん。全然違う話で悪かったな。ふと思い出しちゃってさぁ。あ、そういえ
ば、新入部員は入ってきそうか?」
「……ありがとうございます。新入部員は、どうでしょう。今のところその気はなさそうですね」
「そうか……」
がっかり、といった仕草でうなだれる先生を尻目に俺は少しだけ体が熱くなっていた。
顧問に確認を取った原稿を学校指定の鞄にしまう。校舎内は電気が消され、春なのにどこか寒々しかった。
それを打ち破るようにラインの間抜けな通知音が廊下に響いた。差出人は見なくてもわかる。
『まだですか?』
『もう少し。ちょっと調べたいことができた』
そう打ち終わって、俺は図書館へと続く廊下を歩く。
「……桜の木の下で告白、ねぇ……」
呟いた言葉は暗い廊下に吸い込まれていった。