第6話:俺はトイレで美少女化
リップクリームの先端が唇に触れた瞬間、目の前が少しずつ暗くなっていくのが見えた。
見えていた景色が完全に黒に塗りつぶされてしまうと、目は開けているのに何も見えない暗闇の中に包み込まれた。一点の光もない真っ暗闇の中では身体の感覚はなく、突然に無重力空間へ放り出されたように宙に浮いている気分だ。
人間の感覚から得られる情報が全て失われた空間では時の流れすらも分からなくなる。
どれくらい時が経過しただろう。
数日かもしれないし、数分かもしれない。
俺は音も匂いもない真っ暗闇の中で何もすることなく漂っていた。
やがて目の前に、ぼんやりとした白い光が現れた。久しぶりに見る光は不思議と眩しく感じない。
光を見つめていると、白いキャンバスに絵の具を溢したように徐々に色がついてくる。色彩を持った光がゆっくりと人の形に変わると声が聞こえてくる。
「瑞穂、あなたの願いを叶えてあげましょう。私の名はヒラギ。本当の名はもっと長いけれど、覚えきれないと思うので、ヒラギと呼んでください。
さて、あなたの願いは美少女になりたいでしたね?準備はいいでしょうか?」
暗闇の中現れた光は、子どもの頃に読んだ浦島太郎に出てくる天女のような女性に変わると話しかけてきた。
絵本に描かれていた天女は宝石を散りばめた金色の冠を被り、首には同じく煌びやかな首飾りをしていたと思うが、話しかけてきた女性は装飾品を身に付けていないので質素な印象を受ける。
だが質素なのは第一印象だけで、よく見ると服越しからでも分かるほど胸元は大きい。纏っている薄い布では抑えきれないのか肌色の部分が見えてしまっている。カズサと違って大人の魅力を持ち合わせた女性だ。出るところは出て、へこむところはへこんでいる。
「ちょっと待ってくれヒラギ。美少女にはなりたいが、いくつか質問させてくれ。さっきカズサが言っていたが、美少女になるには制限がつくらしい。それは何だ?何か代償を支払う必要はあるのか?
あとは見たところ天女に見えるが、ヒラギも神の1人なのか?神と名乗っていたカズサとは随分と違う格好だが」
「いきなり質問ですか。質問する時は一つずつにして欲しいですね、まったく。そろそろ勤務時間も終わるというのに、これでは超過勤務です。早く片付けて家でゲームがしたいのに・・・」
頬杖をつきながらヒラギは小声で悪態をついた。天女様がゲームをするとは、天界にも娯楽があるらしい。
「おっと失礼、初対面だというのに説明が不足していましたわね。私はカズサ様に雇われている天界人。神の身の回りの世話から秘書業務、使い走りまで色々こなす何でも屋といったところです。この度はカズサ様の命を受けて、あなたの願いを叶えるために馳せ参じました。
私自身は天界人なので、あなたを美少女にする能力はありません。ですが、カズサ様から力を受け取ったので出来るはずです、多分。男の人を美少女にするのは初めてなので分かりませんが大丈夫です、恐らく。
とにかく大船に乗ったつもりで・・・いいえ、大亀に乗ったつもりでいて下さい」
不安そうな発言とは裏腹に、ヒラギは姿勢を正すと自信満々に胸を張った。それ以上胸を反ると豊満な実が溢れそうなのでやめてほしい。目のやり場に困る。
それに亀に乗ったが最後、玉手箱を開けて爺ルートだ。できたら大船がいい。
「さて、美少女になる代償ですが、あなたには世界の平和を守るために少しだけ協力してもらいます。協力といっても簡単なボランティア活動みたいなものです。休日に駅前を掃除するとか、近所の困っている人の話を聞くとか、それくらいのことです。簡単でしょう?
制限に関しては、美少女になれる時間と場所が限られます。これは、あなたの力の大きさに比例して変わりますので詳しいことは分かりません。質問は以上で宜しいですか?」
話の途中でメモ用紙を見ながら話していたのが気になるが、一応は質問に答えてもらえた。ヒラギから早く切り上げて帰りたい雰囲気が漂ってくるので、これ以上聞くのはやめにしよう。
なんといっても早く美少女になりたいし。
「ありがとう、質問は以上だ。では俺を美少女にしてくれ!」
「やった、これで家に帰れる!それでは瑞穂、あなたを美少女にします。早く目を瞑って下さい」
仕事を終わらせて家に帰りたい一心である天界人の言う通り、目を瞑る。
「あなたの願いについて、いくつか質問しますので、回答は口に出さずに頭の中で考えイメージして下さい。それでは始めます。なりたい美少女の容姿を教えて下さい」
頭の中で理想の美少女像を思い浮かべる。
―髪の色は栗色、髪の長さは胸元まで伸びた艶のあるストレートヘア
―小さい顔に、細い眉、長い睫毛と印象的な二重
―鼻筋の通った顔立ちに、小さな桃色の唇
―手脚は白く細長く
―細い肩と胴回りは華奢に見えないくらいの肉付きで
―胸はあり過ぎてもなさ過ぎても困るので、Cカップくらいで!
「うわぁ・・・ここまではっきりと理想の女性像を語られると、引きますね。ドン引きです。まさか胸の大きさまで指定してくるなんて」
目を瞑っているのでヒラギの表情は見えないが、声から引きつった顔をしているのが分かる。
「まぁいいです、大体は分かりました。あとは年齢とか他に何かあれば言って下さい、出来れば手短に」
もはや投げやりだ。面倒になってるのが伝わってくる。俺も早く終わらせたいので手短に考える。
―年は今の俺と同じ15歳
―出来れば大金持ちの御令嬢がいい、一生困らないくらいの財産があって、知り合いの芸能事務所の社長から誘われたアイドルグループで芸能界デビューして、国民的アイドルに!
「妄想乙。年齢は分かりました。でも後半の脳内妄想垂れ流しを叶えるのは無理。人間界を見守る天界の立場も考えて下さい。あなた個人の容姿を変えても世界に影響は何らありませんが、経済的変革はどんな悪影響を及ぼすか分かりません。ご理解下さい。
願いは以上ですね、あなたを元いた世界に戻すので目は閉じたままにして下さい。
それでは、行ってらっしゃい」
話は強制的に打ち切られた。
やったーこれで帰れる!ゲームするぞー!と聞こえたのを最後にヒラギの声は消えた。天界に帰ったのかもしれない。
いつ目を開ければいいのか分からず、瞑ったまま動かずに立ちすくむ。
どくんっ・・・
不意に心臓の音が響く。
寒さを感じ、剥き出しになった腕に鳥肌が立つのが分かる。
―寒い?
真っ暗闇の中では温度すら感じることが出来なかったが、今は肌が冷たい。
元いた世界に帰ったのか。しかし俺はコートを着ていたはずだ。なぜ腕に直接外気を感じるんだ。
ゆっくりと、瞑っていた目を開く。
目に飛び込んできたのは暗闇に飛ばされる前にいた香鳥神社のトイレの中。古ぼけた裸電球がぼやけた光を出し、洗面台に備えつけられた鏡を照らしている。
辺りを見回しても何も変わっていない。もしかして俺は騙されたのか。
―鏡
目の前の鏡を見る。
そこには俺の顔・・・ではない、見知らぬ顔が映り込んでいた。
―美少女に、なれたのか?
「うぉぉぉぉぉぉ!なんだこれ、可愛いな!!めちゃくちゃ美少女じゃないか!ひゃっほぉぉい!!!」
自分の顔を撫で回しながら俺は絶叫した。
トイレの中で。
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