クロ兄ちゃんからのお願い
「ひさしぶりにゃん。毎日毎日、偉大なるクロ様の為に泣いてくれてご苦労様にゃん! でも、大迷惑だにゃん!!」
たぶん、ボクはいま、夢を見ているのだろう。
目の前で喋っているのは、半年前に虹の橋を渡っていったハズの、クロ兄ちゃんだったからだ。
元近所のボス猫だった癖に、おじいちゃん猫になって体調を崩して家と家の隙間で蹲っている所を、おかあさんがおかあさんになる前に拾ってきた。
そこから十年以上、ずっとウチで一緒に暮らしてきた。
体調を崩していたというか、若くて強いオスが街にやってきて、ボスの座を奪われたクロはゴハンにありつけずに腹を空かせていじけていただけだったらしい。
獣医さんで「お腹空いてるみたいですね。それ以外はいたって健康です」といわれて連れて帰ってきたおかあさんの顔は真っ赤だったって。
「だって。毛艶悪くなってるしガタガタ震えてて、抱きかかえても怒らないから、てっきり悪い病気だと思って」
どうやら泣きながら近所の獣医さんのところへ駆け込んだんだって。ウチのおかあさんらしいっちゃあらしい。
なんでも、ずーっと撫でさせて欲しくて餌付けしようとしてたんだけど、何年も振られっぱなしだったそうだ。
「そんな子が蹲って動かなくなってて。大人しく抱き上げさせてくれるから。てっきり」
そうしてクロは、我が家の子になった。
まぁ、僕が生まれる前の話だからよく分かんない。何度か聞く度にちょっとずつ違う話になっている気がするんだよね。いいんだけどさ。
そう。クロは僕が生まれる前からこの家にいて、僕のおにいちゃんだった。
「お前、いま夢見てるって思ったにゃん?」
「……だって、クロ兄ちゃんが日本語しゃべってるんだもん。あ、そういえば語尾に“にゃん”ってホントに付けるんだね」
「バカにゃん。それはお前が頭の中で翻訳してるからそう聞こえるだけにゃ。お前がこの偉大なるクロ様の言葉に勝手ににゃんを付けてるだけにゃん」
「そうなの?」
ヘンなのって思って口に出したら、なぜかクロ兄ちゃんは自慢げな顔して鷹揚に頷いてみせた。
「それにしても、クロ兄ちゃん、ちっちゃくなっちゃったねぇ?」
目の前にいるクロ兄ちゃんは、骨壺の直径に丁度丸くなって寝れそうなサイズだった。
ふふん。直径って知ってる? ボクは昨日学習塾で教えてもらったんだ。まだ学校の授業ではやってないけどね。先生が教えてくれたんだ。
「あー、そうそう。俺様それで来たんだにゃ」
ボクが勉強がんばってるから褒めてくれにきたの?
「違うにゃ、ばかたれ。偉大なる俺様クロ様は、この度生まれ変わることになったのにゃ。新しい身体にこの記憶は持っていけないのにゃ」
「え?! クロ兄ちゃん、ボクたち家族のこと、忘れちゃうの?! おかあさん、また大泣きしちゃうよ!!」
今だって、毎日ふとした拍子で思い出しては泣いてるのに。
「それにゃ~。それが心配でちょっとお前に話をつけに来てやったにゃ。あのにゃ? 新しい身体に、この記憶は持っていけないから、ココに置いてくにゃ。んでも、切り離しても古い記憶とこの魂はずっと繋がってるのにゃ。だから、お前達は、偉大なるクロ様と暮らせて幸せだったとかありがとうとか感謝しておりますとか光栄でしたとかいろいろ色々イロイロだいすきあいしてるを捧げるといいにゃ」
んん? クロ兄ちゃんの言ってる意味が、よく分からない。
僕が頭を傾げていると、クロ兄ちゃんが噛み砕くようにして、説明をしてくれた。
「新しい身体に古い記憶は持っていけないにゃ。頭の中身もぜぇんぶ新しくなるにゃ。んでも古い記憶は消えてなくなる訳じゃにゃくて、お前とかパパさんの心の中とか、ママさんの心の中に残るのにゃ。暮らした場所にも残るにゃ。いつも寝てた窓辺の座布団の上とか、出待ちしてた脱衣所のマットの上とか、ゴハン皿のあった場所とか、ママさんに拾って貰ったあの隙間とかにも残ってるにゃ」
おかあさんが、つい泣いちゃう場所だった。
ボクたちが脱ぎ捨てた黒いシャツやズボンを丸めた物を見間違えては、何度もしゃがみ込んでいた。
時には買ってきた物でいっぱいのエコバックを見間違えて抱きついているのを見て、ボクまで悲しくなる。
「んでにゃ? 古い記憶は残していくけれど、この魂とは繋がったままなのにゃ。お前たちが、『この偉大なるクロ様と暮らせて幸せでした』とか『ありがとうございます』とか『だいだいだいだいだいすきです』とか『あいしてる』とか『生まれ変わっても幸せになって』とかにゃ、そういう想いをそこに祈るとにゃ、この魂の幸運《Luck》が増えるのにゃ!!」
幸運が増える?
「RPGのパラメーターみたいな奴?」
「あーるぴーじーっていうのは、お前とママさんがこの偉大なるクロ様を無視してたまにやってたあの鉄の箱の遊びのことにゃ?」
「鉄の箱じゃないよ。ほとんどプラスチックだと思う。けど、うん、そう」
ゲームをしていると腕によじ登ってきてよく邪魔された。おかあさんはよくコントローラーを持つ手を齧られてたなぁ。
「そうにゃ、似てるかもしれんにゃ。とにかく幸運が高くなるにゃ! おいしいゴハンたっぷりの生活とか、可愛いあの子とらぶらぶちゅっちゅな生活を送れるようになるにゃ!!」
絶対幸せになりたいにゃ! と力強くクロ兄ちゃんがアピールしてくる。
「……逆に、感謝じゃなくて『なんで死んじゃったんだ』って泣いてたら?」
「傍にいた親しい存在を不幸にしたということで幸運が下がるにゃ。不幸は嫌にゃ。新しい身体で送る新しい生活も、幸せになりたいにゃ」
耳を下げて、尻尾までしょんぼりさせたクロ兄ちゃんが瞳をウルウルさせながら訴えてきた。
黒くて長い尻尾。いつも自慢げにピンと伸ばして、おかあさんの少し前を歩いていた。
「……クロ兄ちゃんは、この家で、幸せだった?」
クロ兄ちゃんが、ボクの質問を聞いて呆れたように笑った。
「……お前、そんにゃことも聞かなくちゃ分からないのにゃ?」
そんなクロ兄ちゃんの言葉を最後に、ボクは夢から覚めた。
多分、クロ兄ちゃんは本当はあれをおかあさんに言いたかったんだと思う。
ボクたちがクロ兄ちゃんへ感謝とか大好きとかの想いを告げるだけで、新しく生まれ変わったクロ兄ちゃんの幸運が上がるのかどうか。
それが本当のことなのか嘘なのかはわからない。
けれど、それをクロ兄ちゃんがボクへ伝えに来た理由は、わかる。
多分、クロ兄ちゃんは耐えられなかったんだ。
おかあさんが、「クロちゃんを家に閉じ込めて死なせた」とか「もっと早く病院へ連れて行けばよかったんじゃないか」とか言って泣いて過ごしている事が。
クロ兄ちゃんの正確な年齢は元野良猫だし分からないけれど、10歳のボクが生まれる前からそれなりの年齢だったんだから、老衰もいいところだ。
普通の雄猫の平均寿命なんて、とっくのとうに過ぎているのに。
それでも、あそこで何かできたんじゃないかと思っちゃうものなのだ。ボクだって思うことがある。
だから、弟として、おにいちゃんの言葉はちゃんとおかあさんに伝えてあげた。
「そう。私は、毎日泣いて暮らすんじゃなくて、あの子が一緒に暮らしてくれたことへの感謝と今でも大好きよっていう想いを、たくさん伝えるべきだったのね」
おかあさんが、寂しそうに笑って遺影を見上げる。
多分、なんで自分の処に来てくれなかったんだって恨みがましく思ってるんだ。
でもボクには分かる。
クロ兄ちゃんはおかあさんのことが大好きすぎだからね。
きっと自分が泣いて泣いて泣いちゃって、何にも説明できずに終わっちゃうと思ったんだよ。
間違いない。
だって、ボクは、偉大なるクロ兄ちゃんの、弟様だからね!
半年前に虹の橋を渡っていった愛猫君が夢に出てきて教えてくれたのです。
「内緒だよ」とは言われなかったのでお話の形にしてみました。
私以外の誰かの心も軽くなるといいなぁ




