アラマーのざまぁ
「お前の顔など見たくない。二度と私の前に現れるな!」
婚約者である第二王子ハコイーリ・セッケンシラズに罵倒された公爵令嬢アラマー・ビックリンは、鳩が豆鉄砲を食ったよう顔で、手に持っていた扇を落とした。
表情を読み取られる事を良しとしない貴族としては、あるまじき表情だ。
しかし、別の女をエスコートした男が、自分の事を棚にあげ、突然叱責してくれば、どんな人間とて心が揺らぐ。
しかも、ここは、高位貴族が多く通う王立学園。
この日は卒業式と言うこともあり、今開かれている晩餐会には、生徒の父兄も多く参加していた。
突然始まった騒動に、参加者達は、皆、眉を顰めて批難の目を向ける。
アラマーは、一瞬怯んだものの、ゆっくり息を吐き出すと、
「仰せのままに」
と、美しいカーテシーを見せた。
淑女の鏡と称される完璧な所作に、傍観者達は、同情を隠せない。
アラマーは、派手な顔立ちではないが、気品あふれる高貴な女性だ。
家系を遡れば、数代前に、王家から降嫁した王女もいる。
そして、父であるナント・ビックリンと、兄のソンナ・ビックリンは、二人とも我が国が誇る魔術師団の主要メンバーでもあった。
アラマー自身、豊富な魔力量を誇り、彼女の資質を受け継ぐであろう未来の子供には、大きな期待が寄せられている。
それ故に、この優良な血筋を取り込もうとした王家の肝煎りで、半強制的に婚約が結ばれた。
彼女を妻にと夢見ていた令息達を絶望に落としたのは、そう昔の話でもない。
にも拘らず、第二王子だけが、その事を理解していなかった。
「ふん。可愛げのない女だ」
ハコイーリは、鼻を鳴らし、傍に立っていた女性を腕に抱いた。
「まったく、ナガシメーヌとは、大違いだ」
「ハコイーリ様、恥ずかしいですわ」
半年前に学園にやって来たナガシメーヌ・シタッタカーは、平民出身の男爵令嬢。
特待生枠で途中入学して来た、希少な光魔法の使い手でもある。
その重要性から、王家も彼女を優遇し、第二王子を学園に慣れるまでのエスコート役に任命したが、それが大きな間違いだった。
2人は、『真実の愛』に落ちたらしい。
側から見れば、婚約者にはない豊満な肉体と奔放な思考回路を持つ女に、世間知らずなボンボンが見事罠に掛かっただけの話。
ハコイーリは、恥ずかしげもなく学園内でナガシメーヌと逢瀬を繰り返し、事あるごとに邪魔者であるアラマーに言い掛かりをつけた。
流石の醜聞に、側近候補の令息達も次々に離れ、教師からの苦言にも耳を貸さない2人は、学園から完全に浮いている。
それすら気づかず、巷で流行る安っぽい恋愛小説のように、悲劇の恋人を気取るハコイーリとナガシメーヌ。
もう、誰一人、庇い立てする者は居ない。
大広間に、白けた空気が流れ始め、心の中で大きなため息をついたアラマーは、この茶番に区切りをつけるため、姿勢を正した。
「それでは、殿下、永遠の別れでございます。以後、お二人にとって、心地よいものだけが、その目に映りますように。『blessing(祝福)』」
アラマーは、小さく口をすぼめると、ハコイーリとナガシメーヌに向かって、フーッと息を吹いた。
すると、キラキラとした光の雫が、二人に降りかかり、途端に、アラマーの姿が消える。
「は?へ?ど、ど、どこ?どこ?」
この場で華々しく婚約破棄を叩きつける予定だったハコイーリは、間抜け面で、辺りをキョロキョロと見回した。
「アラマー様!魔法で隠れるだなんて、卑怯ですわ!負けを認めて、潔く婚約破棄されなさいよ!」
キャンキャン鳴き喚く駄犬のようなナガシメーヌの甲高い声が響けば響くほどに、失笑も広がっていく。
旗色が良くないことに気付いたハコイーリは、ホールの隅に立つアラマーの兄、ソンナの馬鹿にするような笑みに、更にカッとなった。
ソンナを指差し、
「貴様、笑うな!妹が妹なら、兄も兄だな!そんな不届き者は・・・」
と罵声を浴びせようと意気込んだ。
しかし、全てを言い切る前に、華麗に一礼したソンナが、またもや忽然と消えた。
「お、おい!逃げるな!」
地団駄を踏んだハコイーリは、近くにいた護衛騎士に、
「お前!あの無礼なビックリン家の二人を即刻捕まえて、地下牢に入れろ!さもなくば・・・」
『死罪だぞ!』
と叫ぼうとした。
だが、騎士の凍るような視線の冷たさに、ヒッと小さく悲鳴を上げる。
「さもなくば?」
言葉を促す騎士に、ハコイーリは、ギリギリと奥歯を噛み締めた。
「この・・・裏切り者め」
なんとか絞り出した声に、
ニヤリ
騎士が口角を上げると、そのまま姿は薄くなり、ハコイーリの視界から消えた。
ここまで来ると、流石に背中に冷や汗が流れてくる。
ハコイーリは、慌てて顔を前に向けた。
すると視線が合う者全てが、自分を嘲笑っている。
そう感じた瞬間・・・一人、また一人と姿を消していった。
お二人にとって、心地よいものだけが、その目に映りますように。
アラマーが言った言葉の意味に気付き、ハコイーリは、ガクガク震えながら虚空を見つめるしかない。
これは、単純な魔法などではない。
『blessing(祝福)』という名の『curse(呪い)』。
自分にとって不都合な者が、どんどん見えなくなってくる。
救いを求めるように視線を動かせば、ナガシメーヌ以外の人間は、全員消えていた。
「そ、そんな」
「ハコイーリさまぁ」
二人して手を取り合い、その場に座り込んだ。
もう、頼る者は、互いしか居ない。
それなのに、1分、5分、10分と経つにつれ、こんな状況に陥ったのは、今隣にいる人間のせいなのではないかという仄暗い感情が芽生え始める。
「お、お前のせいで」
つい口を突いて出た言葉に、ハコイーリが、ハッと我に返り、ナガシメーヌを見ると、既に姿が半分消え掛かっていた。
「ま、待て!今のは、違う!」
どう取り繕っても、一度芽生えた感情を消し去ることは出来ない。
「ナガシメーヌ!!!!!」
叫んだのと、彼女が消えたのは、同時だった。
ハコイーリは、頭を掻きむしり、床に這いつくばる。
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!何故、こんな事に!私は、何も、悪くない!!!!」
往生際悪く喚き続けるハコイーリの首筋に、
ドン
何かがめり込み、彼は、気を失った。
白目を剥いてピクリとも動かなくなったハコイーリを見下ろすのは、アラマー。
その手には、床に落としたはずの扇が握られている。
その重み、10キロ。
鉄の骨組みに、美しい絹が張られた特注の護身具兼武器。
スナップの効いた一振りで、ハコイーリの意識を狩る事は、武勇にも優れるアラマーには、たわいもない事だった。
「あらまぁ、醜悪な事」
愛した事もなければ、尊敬したことも無かった。
改めて見れば、この上なく軽薄そうな顔だ。
ナガシメーヌが現れてからの素行が余りにも悪く、空き教室での淫行は、王の耳にも届いている。
極秘事項ではあるが、次にハコイーリが騒動を起こした時には、北の地にある離宮へと幽閉されることが既に決まっていた。
それ故に、アラマーが、この件に関して、責を負うことは何一つないのだ。
「ふぅ、それにしても・・・」
馬鹿だ、馬鹿だと思ってはいたが、ここまでだったとは。
こうなったら、不都合な者が全員いなくなった世界で、幸せになればいい。
なれればの話だが。
「どなたか、殿下は、気分が優れないご様子。お部屋に連れて行ってあげて下さいませ」
一応、この国の王子。
現れた執事によって、ハコイーリは、丁重に運ばれていく。
そして、再び始まる、華やかな卒業パーティー。
その片隅で、
「だ、誰か、誰かいらっしゃいませんか?」
楽しげに踊る人々を目に映す事も叶わぬ女が、一人、恐怖に震えていた。
完