オットー=ブランによるグランダリア戦記 ~ドゥアンダ平原の殲滅戦、召雷王の降臨と停戦協定~
記歴622年、ついに聖圏は圧倒的な戦力差を自覚し、一気に攻勢をかけた。
アスファラ山脈からリィオッドォ河を渡るまでの道程はほぼ人的損害なく進む。当然として帝域の反撃もあるのだが、問題なく撃退されていた次第である。
世に知れるリィオッドォの渡河戦においても帝域は押しつぶされるように敗退し、名将にして軍の象徴であった「ロキア=スローデン」が再起不能に陥るなど多大な被害を出した。そして聖圏の軍勢は帝域都市圏守護の最前地たるオーヴァルキュアへと至る。この時、聖圏軍は他拠点制圧軍や陽動部隊、機密軍も含めておよそ15万の大軍勢になっていたとされる(*一説には反帝域民を含めているともされ、兵站も含めて関わりない者も多かったとする記録もある。そうすると実質人数は10万程度となる)。
皇帝直下の精鋭「ヴァルキュア部隊」からの熾烈な牽制を受けつつ、聖圏軍勢は徐々にドゥアンダ平原を前進した。
最前列にある「誠実なる盾の一団」は堅牢であり、ヴァルキュア部隊の放つ槍も吸い込まれるように防がれた。下降気流の加護を受けつつ、遅れていた巨人騎士団も合流し、いよいよ聖圏の軍勢は勢いづく。
その日晴天の空にある太陽が聖圏の軍勢を輝かせ、より威光を感じさせたことであろう。
目前に迫られて、いよいよ後はないと悟った「サルダン帝」は自ら軍勢を率いて城壁を開門。一条の槍が如く、かの竜斬りを用いて規律正しい誠実なる盾の一団、その隊列を真っ二つに引き裂いた。
しかしこれは聖圏側も想定していたものであり、待ち構えていたかのように光の花弁から集中放火がなされる。サルダン帝は1人敵陣に残り聖圏に損害を与え続けたが、オーヴァルキュアから火の手が上がったことを確認すると即座に反転、城門へと駆けた。
皇帝正規軍が壊滅したこともあり、ほぼ抵抗の力を失ったオーヴァルキュア城壁に向け、巨人騎士団が悠々と迫った。攻城兵器として在るべき彼らはその通りに城壁を目指す(*当時の巨人騎士は現在よりも不格好でより動物的存在であったらしい)。
戦況も決したかと、サルダン帝以外の誰もが思っていたであろう。だが、ここで聖圏も帝域もまったく予想していなかった、知らなかった戦力が沸いて出る。
これこそがライゼンバルト卿――つまりはキャラバック家の開祖にして魔役士という存在を世に生み出した類稀なる異端児である。
この日に行われた殲滅の記録は彼の傍にあった悪魔によるものであり、より詳細に残されている。その時ライゼンバルト卿はドゥアンダ平原の丘から歩いて下っていたらしい。
歩きながら卿が呼び出したものは雷そのものとも思われる巨大な腕であった。大陸全土が一度に曇ったので両軍勢はもとより、大地の人だれもが何かが起きていると理解できたようだ。
空から出でた雷の腕は人の右手に似ており、それはドゥアンダ平原を1度撫でた。これこそ「ただ一度の稲妻」と今もされる光の正体であり、15万の軍勢が瞬時に劣勢となった理由でもある。
おそらく先を見ても、これ以上に1度の戦で死者が出る記録は残らないであろう。巨大な稲妻の一撃を回避、防ぐことができたものは少なく、数万人が一瞬にして炭と化した。記録によれば、聖圏軍内は意外と地獄のような様相でもなかったらしい。ほとんどが瞬時に消失したのが幸いして、むしろ「何が起きているのか」とただ混乱だけが広がったとある。
加えて聴力異常を訴える者が相次ぐ中、ライゼンバルト卿は無数に呼び出した悪魔の軍勢を従え、聖圏への追撃を行った。
これはいくつか虚偽も含んだ情報とのことだが……ただ一度の稲妻は実のところ、卿にとっても一世一代の一撃であったらしい。この日を予測して溜めに貯めた魔力を瞬間的に用いたらしく、呼び出したのは「魔神」と称される魔界においてもこれ以上ない規模の悪魔だったと言う。
稀代の才能が時間を要して念入りに準備を行い、一瞬だけでもその一部を呼び出すのに代償は必要だった。卿はこの日右腕を消失し、片肺が焼ける反動を負っていたという。それでもまるで動じることもなく、平然として傍らにある悪魔に「追撃せよ」と命じたというのだから、やはり異常者であろう。ライゼンバルト卿の片腕が光り輝いていたと記録にある正体はここにあり、卿は失った右腕を魔神の片鱗の欠片を用いることで補っていたのである。
瞬間的に半壊した聖圏軍に襲い掛かる当時は得体のしれない……いや、今でもほとんど詳細不明である悪魔の軍勢。総崩れの様相にある本隊を知り、オーヴァルキュアでの破壊活動を行っていた星刃隊の3聖と創輝階当主マァル=ファンダルはすぐに城壁外へと出でて、混乱の原因たるライゼンバルトを発見した。
彼らは即座の判断でライゼンバルト卿を奇襲。しかし魔神の片鱗を持つ卿によって3聖は順に打ち取られ、マァル=ファンダルもまた、ここで命を落とした。卿曰くこのマァルの奇襲が最も危ない瞬間であったらしく、とても彼女を高く評価した日記をその日のものに残している。
三聖と創輝の喪失というものは聖圏にとって止めとなったのかもしれない。この頃に大教夫は全軍の撤退をようやく周知させた。この時行われた「慈悲ある防壁」はヴァルキュア部隊に対する防衛策であったのだが、実のところライゼンバルト率いる悪魔の軍団に一番効果的だったらしい。
慈悲ある防壁の痕跡は今もドゥアンダ平原に残っている。リィオッドォ河の支流として、河の氾濫を抑える為に引かれたとされるバルト川。実はこれこそがその痕跡であり、防壁召喚によって生じた断層を利用したものなのである。川の「バルト」とはつまりライゼンバルト卿の名から拝借したものであり、後世になってもその影響が残っていたことがうかがえる。
こうして、聖圏によるオーヴァルキュア攻略戦は失敗に終わった。双方ともに負った傷は深く、翌年正式に停戦協定が結ばれる運びとなる。またこの裏事情として、聖圏が「ライゼンバルト存命である限り戦わず」と周知させた記録も残されている。
以上の事柄から、キャラバックの初代当主は今も“召雷王(卿)”として帝域の歴史に名を刻んでいるのである。ただし、彼の行いは帝域としても脅威でしかなく、その後は腫れものかのように扱われたらしい。そうしていつの間にか“悪魔の王”と呼ばれるようにもなった。
現在にも彼の名を知る機会はあるが、それほど卿が祀られているきらいがないのはこうした事情によるものだろう。彼の気性もそうであるし、扱う術の種別もそうであるし、何より多くの人を殺めた事実は決して偽れないものだからである。
当初、こうしたことも考えられて彼の存在自体を記録に無かったことにしようとした形跡も見られる。強引だが、「ブローデンがなんとかした」とすれば確かに納得できないこともないかもしれない。いや、それにしてもやはり無理があるもので、結局は「記録に残すが大々的に敬わない」という塩梅に落ち着いたのであろう。
記歴620年代に生じた歴史の大事件、「ドゥアンダ平原の殲滅戦」――それの経緯とは以上のようなものであり、総じてライゼンバルト卿による所業と言い切ってよいであろう。
余談として……。彼の遺したキャラバック家はその後も皇帝お抱えの秘密組織として継続したが、後の世に生じた別の事件によって没落している。これに関してはまた、その際に記載することにしよう。また、それら2つの大事件とそれ以外にも積み重なった事から「キャラバックは危ない」という風潮が帝国上層部に広くあることは否めない。
そうした認識を薄め、特に下級士官などからひっそりとした畏敬を集めている存在こそ、キャラバックの悪魔として名を馳せる「ローゼンハック卿」なのである(※卿は前述に参照した記録の書き手でもある)。彼の存在がなかったとすれば、キャラバックという家はより早い段階で落ちぶれていただろうし、ライゼンバルト卿の記録も違って残されていたかもしれない。
それ以前として。ライゼンバルト卿が存在しなければ、おそらく前哨基地であったオーヴァルキュアが帝都に成り代わって栄える歴史も無かったであろうし、そもそも帝域の存在もどうなっていたか解らない。まさしく歴史とはただ1人によっても左右される大河であり、雄大な流れにあってその繊細に枝分かれする未来は想像もつかない数があるのであろう。
さて、622年に生じたこの大事件。この一件によって、一応の勝ちではあるものの激しい打撃を受けた帝域。当時のブローデンたるサルダン帝は如何にして、この苦境を乗り越えたのであろうか?
次項、「帝国の伝統、“壊して造る”。工業化の興りは破滅にあり」へと続く。