『紅き炎:アグリサス・フェノー(R3)』
私もそう思うよ。
どれほどの金銭を積み重ねようと、どれほどの栄誉をその手にしても、どれほどの鍛錬を修めたとしても。すべては泡沫、手の平に乗った雪のようなものだ。すぐに消える。
なのにどうして人はそれらを求めるのか?
それは意味がほしいからだ。人は意味を求めて生きている。最期の瞬間を充実させたいから、振り返った軌跡に満足したいから……そのような感情を大体が抱いている。
そしてそれらが得られないと思うと絶望する。そうして勝手に苦しむ。
希望に塗れやすく、失望に敏感で脆弱な精神性。それが人間の中身だ。
思うに、そういった自虐的とも思える性質は彼らがもつ欲望、あるいは向上心によるものだろう。別に向上心があることは悪くない。それは我々も同じだ。ただ、どうしてか高望みをしてしまうからいけない。
人間は自分達を高尚なものだと考えがちだ。自分達が生み出したものも高尚で意味あるものだと思い込みがちだ。とくに長く続いたり親しみを抱き始めるとそうなる。
――生命である限り完全・万全は有り得ない。
安全から安心を得たいのは解る。精神の安定を目指してそれらが有り得ると勘違いして、求める。
求めるあまりに欲望のまま果てなく高みを目指す。抑制が利かないのは稚拙の証明。自制心なき生命は本質的に理性を得ていない。
死ねば何も残らず、それまで生涯のすべても単なる時間の一部分。その時間すら単なる実感、感覚の一端でしかないというのに。
私もまだ生命でしかない。だからこそ、こうして誠実かつ謙虚な姿勢でいられる。
こうした精神性というものは、人にはちょっと至れない領域であろう――――。