第一話:運命と歯車の神
身体欠損の描写が作中にあります。苦手な人は注意してください。
一人の少女が剣を振る。その軌跡は目で追うには速すぎるにも関わらず、流れ星のように世界に余韻を残す。揺れる髪のその細部にすら何かの意志が宿っているように見えるのはなぜなのだろう。あんな美しいものが存在することに恐怖しか感じない。百万の歯車が組み合わさっても、生命には届かない。何を持って、何を対価に、あんな物体が生み出されているのか。
もし、神様が同業者なら一生敵わない。どうしてあんなに美しい存在を作り出せるのか。それでも、思わずにはいられない。
運命と歯車の神【シュタール】よ。もし機会があるのならば、命すら喜んで捧げるから……どうかオレに、彼女を作らせてください。
――――
「……おいっ、おい歯車磨き!! なにボサっとしてるんだ!!」
「えっ、あっ、はい」
煤と油で真っ黒な少年が、これまた汚い初老の男に怒鳴られる。
少年の横には、几帳面に並べられた歯車がすでに大小合わせ千以上並んでいた。
どれも少年とは違い、美しく光沢を纏い、磨き上げられている。
「ムイタ、このクジカタ様の工房で、一番役立たずは誰か知っているか?」
「……それは、あの……オレ」
「そうだ。お前だ、この役立たず!! キサマが手を止めている間に部品はどんどん出来上がってんだ!」
赤ら顔で威張り散らすのは、この工房の主でクジカタと言った。
彼はことあるごとにムイタと呼ばれた少年に対し、ネチネチと嫌味を垂れ流し続ける。
周囲の大人達は、我関せずとそれぞれの持ち場で作業を続ける。
今日も、夜まで作業だろうとムイタが心の中でため息を付くと、大通りの方から歓声が聞こえた。
「親方ぁ、ありゃあ、大手の冒険者達が帰還した歓声ですぜっ」
「なんだとっ、バカヤロウ! なにボサっとしてる? さっさと素材の買い付けに行くぞ!! 魔物の素材も魔石もいくらあっても足りねぇんだ! ムイタ、おめぇは全部の歯車を磨くまでここにいなっ!」
「へい、親方」
水風船のようなお腹を揺らしながら、クジカタは他の作業員を連れて工房を飛び出していった。
その姿が完全に見えなくなってから、ムイタは大きく伸びをして立ち上がる。
彼のノルマは大分前に終了していたのだ。
油まみれのツナギに、ゴーグルとハンチング帽。そしてポケットに隠してある相棒を確認して、一張羅をパンパンと払い工房の窓から飛び出る
煙突を登り、屋根をづたいにムイタは進む。建物の上に建物を建てたような障害物だらけの屋根を猫のように走り抜ける。
そして大通りに面した建物の屋根からこっそりと、歓声を浴びる英雄達を眺めた。
「さてっと、今日は……やっぱレオ『様』のパーティーか」
金髪をなびかせ、派手な白い鎧に破壊と火の神【ファオジール】を象徴した紋章を刻んでいる好男子は、女性達の黄色い声援を浴びて白い歯を見せるよう笑顔で答えていた。
二十人ほどの名の知れた冒険者達が、魔物の素材をギャラリーに見せつけている。
「今晩は吟遊詩人どもがうるさそうだな」
うんざりだとでも言うようにため息をついて、ムイタはその場を後にした。
雨樋に手をかけながら、身軽に屋根から飛び降りて裏通りをしばらく歩き、それなりに大きな建物の裏口から中に入る。
人の間を縫うように進む、途中にある機工銃、剣、防具、魔物の素材、魔石を尻目に進むと、何百枚と依頼書が貼られたボードが出てくる。ここは『この街』では中堅規模の冒険者ギルドだ。
『この街』、すなわち。迷宮都市【ピスティ】、神々が人間に与えた試練にして恩恵。無限の宝と脅威を生み出す魔窟【ダンジョン】を中心に栄えている街の一つ。そして神々の恩寵を授かり迷宮に挑む勇敢で愚かな人間を人々は冒険者と呼んだ。
ムイタはボードの前でポケットの中にある相棒を握る。いつか、自分もここで依頼を……。
「よう、歯車磨き。こんな所で何してんだよ?」
「チッ、ジグか」
舌打ちをしてムイタは出て行こうとする。声をかけてきたのはムイタとそれほど年も離れてないだろう少年で、腰に剣を下げた以下にも冒険者という体だった。
「呼び捨てかよ。おい、待てよ。なんで、冒険者でもないテメェがここに居んだよ」
「別に、オレの勝手だろ」
「フン、見苦しいんだよ。テメェは冒険者になれねぇだろうが。俺は炎獅子のレオのパーティーに入ったぜ」
ムイタとジグのやり取りを聞きつけて、数人の若い冒険者が寄ってくる。
「ジグ、どうしたんだ? こいつは……クジカタところの歯車磨きじゃないか」
「あぁ、一応オレと同じ孤児院の出なんだよ。まぁ、コイツは冒険者に成れなかったんだけどな」
ケラケラと知り合いにムイタを紹介する。
「成れなかったわけじゃない。ダンジョンにだって潜ってる。もう【位階】も4だ。後少しで5になる。そうすればオレにだって【恩寵】が……」
「何年一階層に居るつもりだ? 守護神が【シュタール】のお前に何ができるってんだ。【恩寵】だぁ? ハッハハハハ、歯車の神から何を貰うんだ。油差しのスキルか?」
【シュタール】の名が出ると、周囲の冒険者達も合点がいったというように下卑た笑みを浮かべる。
中には同情の視線を向けるものもいた。
「お前なぁ、【ファオジール】【グラミドロ】【ルキア】【バオム】【サングエ】他にも、色んな神様がいる。人によっちゃ、神殿で守護神を変えることだってできる。そんな中で冒険者にとって唯一意味のない神が【シュタール】だ。運命と歯車を司る神『歯車磨き』のお前にはお似合いだけどな。なぁ、頼むよムイタ。同じ釜の飯を食った中だ。これ以上恥さらしがオレの周りをウロチョロされると恥ずかしくていけねぇ、ギルドに仮登録もさせてもらえねぇ癖にいつまでもここに来るんじゃねぇ!!」
「そうだ、薄汚ねぇんだよ」
「床磨きでもしてろ、物乞いが!」
俯いたムイタを見て、他の冒険者も次々に侮蔑の言葉を投げつける。
生まれは孤児の者もいるだろうに。いや、だからこそ、少しでも優位に立つためにムイタを貶める。自分たちは落ちこぼれではないと、誰かを下にしたいものがどの場所にも一定数いる。
「お前もついてないなぁ、ジグ、こんな出来損ないが知り合いだなんてなぁ」
「おい、コイツ、顔赤くしてんぞ。坊や、虐めてごめんねぇ」
カァっと顔が熱くなり。何も言い返せない自分が恥ずかしくて、涙が出る前にギルドを飛び出す。背中にジグ達の笑い声が聞こえて、それがどうしようもなく悔しい。
背中に下卑た笑いを感じながら、ただ走る。この数年鍛えてきた足腰は一度も止まらず彼を運ぶ。
辿り着いたのは街の中心、数百はあると言われるダンジョンの入り口。中央の大きな入り口とは別に蜂の巣のように幾つも洞窟が口を開けて、冒険者達を誘っている。
「オレだって冒険者に成れるって証明してやる」
ポケットから廃材で作った機工銃を取り出し、怒りに波打つ胸を落ち着け、一歩を踏み出した。
ヒロインは次回出てきます。