07
私には秘密がある。
それは隠して育てていた猫を殺してしまったこと。
もちろん、両親には凄く怒られた。
だって家に帰ったらたくさんの糞尿、部屋がボロボロだったから。
けれどここで問題だったのは、死なせてしまったことによる悲しさではなく、片付けるのが大変だな、怒られたくないなって考えてしまったことだ。
野生の子だったんだから外で育てておけば良かった。
なのに私は家に連れてきて、部屋に隠してそのまま旅行に――小学生2年生だからって許されることではない。
「千捺」
――こんなことさすがに言えなくて明希ちゃんには教えてないけど。
けれど向こうも大切なことを教えてくれてない、だから言う必要はない。
でも驚いたな、義理の父親とはいえ本気で殴るなんて。
自分が痛い思いをしても雪さんを守ろうとしたこと……雪さんが大切ってこと?
そのためなら痣ができても、私が苛められてなければ嫌われたっていいと考えているところも引っかかるところではあった。
「千捺っ」
私はそこまで自己犠牲精神ではいられない。
寧ろどうやれば怒られなくなるだろうか、面倒くさいことに巻き込まれなくなるだろうかって考える。
天門さんに「鳴海さんのことが好きなの?」と聞かれた時だって、明希ちゃんといるとこれからこんなことを聞かれるんだ、面倒くさいなって思ったら距離を作ってた。
私が彼女と一緒にいたのは踏み込もうとしてこないからだ。
だってそうでしょ? お互いが踏み込もうとしたらどうしたって問題点だって出てくる。
その点、一方通行だったら自分だけで片付けて終わらせればいいわけなんだから。
なのに、
「なにやってるんだろ……」
彼女が優しくしてくれてもっとこちらに向けてほしいなって思ってしまった。
もっと仲良くなりたい、できることなら雪さんにあんまり優しくしてほしくない。
被害に遭ってほしいというわけじゃないけど、雪さんのために戦って傷ついてほしくない。
いつでも側にいてほしい、自分のことを考えていてほしい。
寝てしまう直前に言ったことは本当のことだ。
明希ちゃんが側にいてくれてると落ち着く、彼女の家でふたりきりだともっと最高で。
そして私は彼女を救いたい――というか、色々なことをして楽しんでもらいたいと考えた。
恐らく実家から逃げてきたんだろうけど、出会ったことを適当に扱ってほしくない。
「はぁ……」
「千捺ー!」
「はひゃいっ!? って、明希ちゃんか……」
「そりゃそうでしょっ、この家にはあたしとあんたしかいないんだから!」
雪さんは日曜日の15時頃向こうへ帰った。
だけどそれを喜んでしまったところが自分の悪いところだ。
「なにぼうっとしてんの!」
この子も凄く変わったように感じる。
以前までなら恐らくここまで興味を抱いてなかった。
私がぼうっとしていても「別に」って通常営業を続けるのが彼女なのに。
明らかに変わったのは実家に戻って雪さんと一緒にいるようになった後。
それって悔しいじゃん? 年数が違うからそもそも勝負にならないって言われてるようなものじゃん。
「明希ちゃん、聞いてくれる?」
「うん、なに?」
私の秘密を話す。
話してしまったらもう秘密ではないけど。
だけどこれを聞かせてどうしたいんだろうか私は。
そんなことあったんだ、悪くないねって励ましてほしいのか?
「小学2年生とか関係なく駄目だねそれは。親に禁止されていることを破ったこと、旅行に行くのに水と少量の餌だけしか置いてなかったことはさ」
「うん……」
あの猫さんには悪いけどはっきり言ってくれて嬉しいなって思った。
ちなみに、このことを話したのは家族以外で彼女だけだから比較しようもないけど、子どもだからって許されることばかりではないんだよとちゃんと言ってくれて。
「あたし、最近分かったんだけどさ、やっぱり親になるって大変だと思うんだよ。いいことばかりじゃない、それどころかほぼと言っていいほど辛いことや難しいことばかりかもしれない。だからさ、生き物を飼うとかってもっと考えなければならないことだよねって」
「うん、明希ちゃんの言う通りだよ」
「ま、義理の父親をボコボコにするような女が言うべきじゃないかもだけど」
私みたいに関係のないことだからって言われるかと思った。
けれど彼女はなにがあったのかを教えてくれて、なんでかは知らないけど頭を撫でてくれた。
「――ま、結局自分がスッキリするために殴って、雪があいつを庇って落ちて骨折、ってのが流れだね。そのせいでテニスの全国大会に出られなくて、この前会ったつぐみさんや他の部員、他の生徒にまで悪く言われててさ……逃げるようにしてこっちに来たんだよね」
彼女の義理の父親には悪いけど格好いいことをしているようにしか感じなかった。
誰かのために例え自分が傷ついてでも行動できたって普通に素晴らしいと思うけど。
「母さんはその時気づいてなかったから『怪我させた上に自分はそんな勝手な生き方をするの?』って怒られたけど、それでも土下座してお願いしてなんとかこっちに来れたんだ。でも、雪や母さんには悪いけど、ここに来てなかったら千捺とも出会えなかったわけだしありがたいと思ってるけどね」
一応、ちょっと良く考えてくれているようだ。
いま後悔しているのはなぜ9月になるまで彼女を放っておいたのか、ということ。
別に部活に入っているわけでもないし家には誰にもいないのだから縛る者もいなかったのに、これまでの私はなにをしていたんだっって。
「家族以外で話したの、千捺が初めてだよ」
私は……この子の色々な初めてがほしい。
血の繋がっていない子と長期間一緒に暮らすとかは残念ながら雪さんに邪魔されちゃってるけど。
時折見せる無邪気な笑みとか、これは私が引き出せたんじゃないかなとすら考えているわけで。
「つか、千捺はよく怖がらなかったね、目の前でボッコボコにしたのに」
「意味もなく暴力を振るうような子には見えなかったから」
「そ、そう……かな、でも、すぐ感情的になって八つ当たりとかだってしちゃったし……」
「じゃあ一緒に直してこ? 悪いところがあったら直して、いいところは伸ばしていこうよ。ふたりでならできると思うんだ」
ふたり、そう、ふたりだ。
雪さんとは仲良くしたいけど明希ちゃんを取られたくない。
「ねえ……雪が毎週来たいって言うんだけど、どう?」
「……なんでそれを私に聞くの?」
「だって千捺は同居人みたいなものだし……なんか仲いいのか悪いのかよく分からなくてさ。苦手ってことなら……」
これはいい変化と言えるのだろうか。
こういう言い方をするってことは雪さんが来ることを彼女は賛成しているわけだ。おまけに雪さんがこの前抱きついていたのを知っている、好きだって言わせたのも分かっている。
これって遠回しにお前はどこかに行け、来るなって言われてるんじゃないのかな。
「分かった、もう来るのやめるよ」
「うん……って、え!? な、なんでそんな風に……」
「明希ちゃんが雪さんに家に来てほしいって言ってたの聞いてたから。それに好きなんでしょ?」
「ちがっ……それは言ってほしいって言われたから……」
「いいって、それじゃあ帰るね」
「千捺っ」
「大丈夫だから」
彼女の家から出て空を見上げる。
夕方だというのに秋の空は、もうそこそこと暗かったのだった。
「千捺、この前は――」
「千捺っ、また家に――」
「千捺! あたしは千捺と――」
朝から挑戦してみたけど全部駄目だった。
せっかくまたいられるようになったのに今度はまた離れ離れになってしまった。
「な・る・み・さーん」
「あ……天門さん」
そういえばお礼を言ってなかったなと思ってお礼を言ったら「いまそれどろこじゃないでしょー」とどこまでも軽い感じであたしの目の前の椅子に腰掛ける。
「また喧嘩しちゃったのー?」
「喧嘩って言うより……」
あれは嫉妬? 雪が来るのを嫌がっていたみたい。
千捺も千捺で「雪ばっかり優先しないで!」とか思っているのだろうか。
けれどだからこそ聞いたんだけどな、千捺のことを考えていなければそもそも聞かないで許可するのに。
「うーん、ま、いまはいいんだけどさー、ちょっと頼まれてくれない?」
「なにかするの?」
「うん、合コン」
「はぁ!?」
聞けば猫耳をつけて参加しろだの地獄のようなことを言いだした。
「あ、もちろん女の子だけだよ? 私、前、鳴海さんのためにしてあげたよねー? お礼してくれるってことならお願いできないかなーって」
「だからって猫耳は……」
「分かってる分かってる、尻尾もつけたいんでしょ?」
「そうじゃなくて!」
「いいから行こー、じっとしてたらモヤモヤしちゃうからー!」
――無理やり装着させられた上に無理やり移動させられ、
「大丈夫だよ、名前は言わなくていいんだから。ABCDとかアルファベットだからね」
「いや……そういうことじゃなくて……」
他にコスプレしてる人がいないから不安なんですよ……。
しかも凄く真面目そうな、委員長とか似合いそうな人までいる。
ギャル系の人、千捺みたいな守ってあげたくなるような子、格好いい子、ちょっと不良そうな子、対して自分達はと言うと、ただ大きいだけの女となにを考えているのか分かりにくい女の子という微妙な組み合わせとなっていた。
「やあ、どうして君は猫耳をつけているんだい?」
「え、あ、あの……しゅ、趣味でしょうか」
「いいね、可愛いよ凄く」
「ど、どうも……」
そういうあなたは女の子なのに格好いいです。
「ちょっとあんた」
「は、はい?」
「いつもそんなのつけて学校にいってんの?」
「い、いえ、趣味ですからね、放課後になったらこれつけて下校……みたいな?」
「ふぅん、痛いからやめた方がいいんじゃない?」
「で、ですよねー……あはは」
なんであたし、ここで否定されてるの?
というかあなたは胸元はだけ過ぎでは?
「ちょりーす、元気ー?」
「は、はい、元気です」
「もうちょい元気にいこー、ほら!」
「ちょりーす!」
「あははっ、いいね!」
つか天門さんはなにをやっているんだよと思って見てみたら、先程の格好いい子とワイワイ盛り上がっていた。
そして残るは千捺みたいな守ってあげたくなる系の女の子――彼女はこちらを見るとさっと視線を逸らす。
深追いはうざがられるかもしれないからこのまま放っておく、ということもできなくて、結局彼女の横に座る。
「こういうの初めて来たんだ、あなたはどう?」
「……私もです」
ん? なんか凄い聞き覚えのある声だ。
しかし、千捺は普段サイドテールにしているしこの子は髪が長いので違うと判断。
「みんな自由だね、特に必要なかったかも」
「そうですね……猫耳つけた痛い人なんていらないと思います」
「あはは……厳しいな、ま、その通りなんだけど」
そこまで自惚れちゃいない。
自分が人気のないことや、好かれていないことは自分で分かっている。
でもなんだろう、この子に言われても不思議と苛立ちの感情などは感じなかった。
「なんで来たんですか?」
「あなたこそ、どうして来たの?」
「私は……無理やり参加させられて」
「奇遇だね、あたしも無理やりなんだ」
合コンなんて言われたら誰だって緊張する。
けれど実際に来てみればそう悪い人達ばかりでもなかったことが幸いだ。
「だから良かったよ、あなたみたいな人がいて。いきなり言われても困るかもしれないけどさ、あなたってあたしの友達によく似てるんだ」
「どんな人なんですか?」
「うーん、小さくて可愛くて不意に抱きしめたくなるような子かな。でもね、1番好きなのはこんなあたしが相手でも嫌わずに一緒にいてくれることなんだ。あと、笑顔が好き、笑っていてほしいと思ってるよ」
「……私にもあなたみたいな友達がいます」
「へえ、なんか似てるねあたし達」
「そうでしょうか……」
こんなの似てると思った者勝ちだろう。
本当に似ていなくても構わない、あたしはこの子を利用してしまっているんだ。
だって途中退場は申し訳ないし、この子もひとりなら話していれば時間もつぶせる。
この子にとっても同じなんだからそう悪い話でもないと思いたい。
「私、猫が好きなんです」
「そうなんだ、あたしはどっちも好きだな」
犬はよく甘えてくれそうだし、猫は基本的にはツンツンしてるけど時々甘えてくれてきゅんとしてなんてことを考えたことはたくさんある。
「でも、過去のことがあって飼うことはできなくて」
「あー……まあ、いつかは死んじゃうし寂しいもんね」
「そうですね、そう思います」
んー? 意外と話をしてくれる子だ。
もしかして本当に気が合うんじゃ……友達になってもらった方がいい気がする。
「ね、ねえ、友達になってくれない!?」
「べ、別にいいですけど……」
「ありがとっ、アプリやってる? ID交換しない?」
「それはちょっと……もっと仲良くなってから」
「そ……うだよね、ごめん。じゃ、じゃあ名前は……? あたしは鳴海明希って言うんだけど」
「……ちなつ」
「えっ!? 本当にちなつって名前なの!? 凄いなぁ……」
こんな偶然もあるんだ。
千捺に似ていて小さくて可愛い女の子。
……よし、これを利用させてもらって千捺に話をしよう、そうあたしは決めたのだった。