始まりの受難は嵐と共に
「なっ何を根拠にそのような!」
流石の一流侍女でも、予想外過ぎる事態に対処できず、顔に怖い笑みを貼り付けたままピクピクと引きつり今しがた落とした荷物を拾う。カイルも一緒に拾おうとしたが、
(いいです!!)とまた目で制された。カイルは首を傾げながら、なぜこんなに動揺?と思ったが、はたと気が付いた。しまった!主語を言ってない!
「あっと、私の!父上に愛人がいるのだろうか…と…?」
あわあわと主語を付け足すカイル。そしてその言葉を聞いたアンジェは目を見開き、ああーそちらですか…と息をつく。
(ですよねー。今の言い方だとアンジェに愛人いるのかーな質問ですよねー。)
ポリポリと頬をかく彼女。ちなみにアンジェは夫を亡くした後ここへ来た元子爵夫人である。
「でも…どうしてでしょうか。」
アンジェは少し思案すると、逆に問うた。カイルはうぬぅと、唸る。
(白昼夢で第二王子の存在を知ってるんですー!てへぺろ。と言ってもアンジェに冷たい目で一瞥されそうだし、下手なウソはすぐばれるよなぁ?)
と思ったカイルは、明後日の方を見ながら少しの真実を混ぜて言ってみる。
「…えーっと、風の噂で?私の他にも子供がいるとかなんとか聞いて…」
…てか風の噂て…。
だがアンジェリカは横を向きチッと舌打ちすると、いったい誰がカイル様に…とブツブツ言っている。カイルは
(アンジェも舌打ちするんだ…。)
と思いながらちょっとビビりつつ、上目使いで彼女を見上げる。すると今度はウッとアンジェが唸った。
「本当に愛人と子供が…?」
「…隠していた訳ではありませんが、あの方に愛人がいらっしゃった事は事実です。しかしその方はある時を境に行方不明でして…。ましてやお子様がいらっしゃるかまでは…。」
存じ上げませんわ、と口を濁すアンジェ。
(マジかっ!やっぱいたんだ!てか行方不明って、何か政治的陰謀とか?)
俄然目を爛々と輝かせるカイル。一方、こうなると解っていたアンジェは苦虫を?み潰した顔をする。こういう所は他の子供以上に好奇心旺盛なのだ、この王子は。ところで、カイルのこの世界における実母(王妃)は生まれて間もない頃に病死している。しかも父親である国王とは、生まれてこの方直に数回しか会ったことがない。なのでカイル自身、身内という気がしていなかった。まだ、アンジェやフレディの方が毎日のように接している分、家族のように思える。そしてカイルという嫡子はいるがなんといっても性別は女。歴代の王に女王の時代もあったが彼女の場合、何故か王子として立太子させていたので、国レベルの詐称問題なのは言うに及ばず。ちなみにこの問題はカイルにおける一重大事なのだ。その当時、偽らなければならない事情があったとはいえ…。なのでカイル的にはリンゼフェルト第二王子、バッチこいやー!なのだ。
(そうだ!秘密裏に愛人ないし子どもをこちらで見つけて、変わりに第一として立太子すれば良いんじゃん。幸い私は一般のお披露目などはまだしてないから顔を知るのは極少数に限られるし。上手く2人をすり替えられれば…。)
美少年顔の腹黒い微笑み…。
「…カイル様。何をお考えか何と無く想像つきますが、そのお顔は止めた方がよろしいかと…。」
彼女の思考をその表情で読み取ったか、何とも言えない顔になるアンジェにハッとなるカイル。
「えっと、うん。いや?愛人の方の消息が心配だなと。」
慌てて、キリっと顔を戻すカイル。嘘つけ!とじっとり彼女を見やるアンジェ。
「あーっと、そう!お風呂。お風呂に入らないとなー。コレ持ってくねー?」
分が悪くなったカイルはサクッと話題をすり替えると、アンジェの持っていた洗濯物をサッと奪いスタスタ部屋を出る。一瞬遅れて自分の荷物を取られた事に気づいたアンジェリカは、
「お待ちくださいカイル様!それは侍女の仕事ですわー!」
と言ってカイルの後を足早に追ったのだった。
それからカイルが8歳になるまで特にこれといった進展は無く、カイルの見る前世の夢もゲーム世界では無く「星埜ゆり子」の生活を断片的に見るだけだった。もうこのまま何事も無くいくかと思われたが、災厄はいつだって忘れた頃にやってくる。
その日は午後から天候が崩れ、珍しく色々予定が潰れたカイルは部屋の中で何をして暇をつぶそうかと、ボンヤリだんだん激しく降り始めた雨打つ窓の外を眺めていた。先程まで日記をつけていたが、最近はこれといった前世の夢や、白昼夢を見ないので「前世日記」も普通の日記と化している。
(あっ!今光った!あの雷、こっち来ないかなー。)
などと彼女が机の上で両手で顎を支え、ボヘーっとテラスへ続く大窓を眺めていると、慌しく部屋の外の廊下で音がした。ビクッとカイルが振り返った時、ノックもままならないままアンジェリカが入って来た。
「失礼致します!カイル様、至急お出で頂けますでしょうか?」
本当に急いで来たようで、若干肩で息をしている。纏めた髪も少し乱れ、額に汗も浮いていた。日頃冷静沈着な彼女の、尋常ならざる様子にカイルは驚きを隠せなかったが すぐに状況を察するとわかった、と言って立ち上がりアンジェの後に続く。
「場所は?」
「右翼側の第三応接室です。」
部屋を出ると、赤い絨毯の敷き詰める廊下を足早に行く。大きな窓ガラスから除く景色は、更に雨脚が強くなったらしく風と共にガラスを叩いている。そして突然ピカっ!と辺りが光ったと思うと、
ドドドーーーンっ!!!
「うわっっ!?」
「きゃっ!!」
「…。」
轟音が轟いた。恐らく雷が近くに落ちたらしい。一瞬驚いて足を止めてしまったが、アンジェと顔を見合わせる。落ち着いた事を確認すると改めて歩き出す。先導するアンジェと、カイル。その後ろにはいつの間にかフレデリクも付いて来ていた。だがさすが近衛のエリートというべきか。雷が落ちたくらいでは動揺はしないようだ。無言でカイル達の後を付いてきている。一方カイルは頭の中に王宮の地図を思い浮かべ進む。
カイルの住む王宮は大きく分けて3つに分かれている。中央塔を主軸として翼をひろげる様に左右に建物が広がっている。玉座があり政治の中枢機関が置かれている中央塔。向かって左翼側は王族…カイル達の住居スペースに当てられ、右翼側は会議室など商談スペースやダンスホールなど多目的施設が密集している。応接室といえば右翼側の一番奥まった所にある。道すがら、カイルはアンジェに今回の緊急の内容を聞いてみたがアンジェもよく解らないらしい。依頼の主は現国王の侍従を務める者。しかも場所は第三応接室、密談などによく使われる所だ。よほど人に知られたく無いのか。…そういえば右翼側に入った途端、アンジェ、フレディ以外の使用人を見かけない。すでに人払い済みか…。今の天候も併せて、嫌な予感を感じながらカイルは目的地へ急いだ。
第三応接室…広さにして10畳の接客室。他の王宮応接室と同じく、淡いグリーン色を基調としたロココ調の趣味の良いテーブル、ソファ。サイドボードには季節の花が飾られていた。今現在1人の大人と1人の子供が対峙しているが、非常に緊迫した空気を醸しだしていた。そこへカイルとアンジェリカが部屋の前に到着し、扉を叩く。中にいた大人…ジークフリート王の側近である、ラインハルト・バウアーはチラリと扉へ目を向けると200cm近くある巨体を静かにドアまで移動し、なるべく音を立てぬよう少しだけ開けた。
「カイル様をお連れ致しました。」
扉側に佇んでいたアンジェが小声で伝える。ラインハルトはコクリ、と頷くと2人をとりあえず扉の外に促した。彼は足並みを揃えカイルに対し最上礼をする。
「カイルヴァイン王子におかれましてはご機嫌麗しく、またご足労頂き誠に恐悦至極に存じます。」
カイルは楽にしろ、と言う意味で手を上げる。恐れ入ります、言いながら彼はカイルより3歩ほど下がった。
「?何故下がるのだ」
離れたラインハルトを不思議に思いカイルは問いかける。
「…いえ…あの、自分は身体がデカいので他人に圧迫感を与えるらしく…。」
頭に手をやり、恐縮顔のラインハルト。なるほど、この巨体にしてガチムチの強面顔。アンド、スキンヘッドでは元の世界ならまず間違いなくそのスジの人か、プロレスラーだ。ラインハルトも自分が他人に与える影響を解かっているのか、常日頃から誰に対しても低姿勢だった。まぁ、近すぎては圧迫感もそうだが身長差があり過ぎて見上げる首が痛いのも事実。なんとなく距離を置かれて話し辛いが仕方ない。カイルは話を進める。
「…それで、今どのような状況か?」
ラインハルトはチラリとアンジェリカを見るが、カイルがそのままでよいと促す。
「はい…実はジークフリート様が昔懇意にされていた方のお子様が見つかり、ご連絡差し上げた次第です。」
ジークフリートとは現国王の名前。つまりはカイルの実父の事。なんと!終に見つかったのか!カイルは驚きに目を見張ったが拳をグッとさせると、顔は無表情のままさらなる情報を聞く。
「…ゴホン、それで子供の名は?歳は幾つだ?」
「歳は恐らく6つ。名はリンゼフェルト・フォン・ミューラー=シュヴァイツェル様です。」
その瞬間、廊下にカッと閃光が走った。同時にパシーンとカイルの視界が弾ける。彼女の頭の中に情報が流れ出した。
リンゼフェルト・フォン・ミューラー=シュヴァイツェル…
ザカルーン公国の隣国、軍事国家シュヴァイツェル王国の第二王子。没落貴族で娼館に売られた母と現国王ジークフリートの庶子。母を亡くし王家に引き取られるがそれまで過酷な生活を強いられたためか、人を信じる事ができなくなった。だが、自分の容姿が優れているのは理解していたので、幼い頃より打算的に生きてきた。留学生としてザカルーンの学園に編入する。王位継承者候補。兄弟である、第一王子は継承争いにてすでに没している。
「…ィル様!」
「カイル様!!」身体を軽く揺すられパチリ、と目覚めたカイルは心配するアンジェとラインハルトを横目にボーっとしながら今見た記憶を反芻した。
…やはり部屋の中にいるのはリンゼフェルト第二王子だ、間違いない。生い立ちはちょっと今はスルーするとして、最後「兄弟である第一王子」は継承争いにて没…?ボツ…?カイルはちょっと現実逃避した。
(あー、なるほどねー。道理でアンジェとフレディが彼の専属侍従になるわけだー。それにしても、ウフフフフー。ワタシ沈没するのかなー?それとも陥没ーー?)
カイルはパチリと瞬いた。
(………没。=(イコール)死ぬ…。し、死ぬーー!?マジかーッッ!!!)
彼女は途端にカッと目を見開き、倒れた身体を支えてくれていたアンジェの腕を払う。
「カイル様!?」
「あっ!王子!!」
彼女は2人を振り切ってドアに向かいガチャリ、と開けると部屋の中へズカズカ入った!…が今度は別の意味でガチン、と固まった。
(………ナン、ダ、コレハ?)
…部屋の中は今なお荒れ狂う外の嵐が吹き荒れたの如く、惨澹たる有様だった。テーブルはひっくり返り、ソファも倒されサイドボードに嵌められていたガラスは粉々。さらにカーテンは無残に引きちぎられ、棚に置いてあったであろう花瓶も下に落ち、割れて床周りの絨毯に花と水と破片が散らばっていた。そして入って左手のテラスへ続く大きな窓ガラスの外では、未だゴロゴロ ピカピカと雷が光り、鳴っている。その窓ガラスの隅に、先ほどの千切られたカーテンに丸まって隠れたナニかがモゾモゾしていた。
「…ラインハルト」
カイルはその蠢く塊を凝視しながら彼を呼んだ。「はい。」と言いながらラインハルトは静かに彼女に近づく。
「…アレは何だ?」
「…リンゼフェルト様です…。」
疲れたように答えるラインハルト。
「……。」
「第二王子であらせられる、リンゼフェルト様です。」
カイルは目を細めながらもう一度アレを見る。その時カーテンに包まったアレ=リンゼフェルトがギラギラした目を覗かせ
「ウガァーーー!!」
と声を出して威嚇するとまた包まる。カイルはアレを指さしてクルリと振り返ると、ラインハルトを見た。
「…いや、野じゅ…」
「リンゼフェルト様です!!!」
ドドドド―ン!!!
「!!」
タイミング良くまたもや窓の外が一瞬光ったかと思うと、雷が落ちる。同じくして目をカッと見開き、カイルの言葉を遮るラインハルト。
(…クッ、人のセリフ噛んだッー)
と雷の音に目を見開き両手で、耳を押さえながらラインハルトを恨めしそうに睨むカイルはしかし、もう一度ゆっくりと塊を振り返る。
(……しかし本当に人なのかアレは?)
今の所カーテンに包まれて全体は見えないが、大きさからして確かに人の子供のようにも見える。だが先程の白昼夢で見た彼…、リンゼフェルトのプロフィールに{過酷な生活を強いられた}また{人を信じる事ができない}とあったがここまで人間不信による獣化?に陥るものだろうか…?カイルは何か別の要因があるように思えてならなかった。
それにしても、白昼夢はカイルが6歳の時に見た以来だった。何かきっかけとなる符号があるのか…?などと考えていたら、
「とりあえず、これ以上彼を興奮させないよう一端部屋の外に出ましょう。」
とラインハルトが提案した。カイルも考えをまとめたかったのでコクリと頷く。部屋の中ではリンゼフェルトが警戒心も露わに、未だ唸り声を上げている。目を見合わせた2人は部屋を後にした。
扉の近くには心配そうなアンジェと、興味深々なフレディが立っている。一度落ち着いて話したいと思ったカイルは、それならこちらの部屋へ、と促すアンジェに続いて応接室の正面にある小部屋に入った。
6畳ほどのその部屋はテーブルと椅子が4脚のみの簡素な部屋だったが、話し合うには丁度いい。どうやら使用人の待機部屋だ、とはアンジェの弁。「えー。俺も参加したいですー。」と言うフレデリクをリンゼフェルトの見張りに無理やり置き、部屋に入った他の2人がそれぞれ席に座るとカイルは早速切り出した。
「ところで、父上は彼に会ったのか?」
一番不自然で、一番疑問に思った事だ。なんといっても父、ジークフリートの、しかも探していた愛人の子供なのだから一番に彼に連絡がいくはずだ。なぜカイルが先に連絡が来たのか。いや、それとも父が面会した後にカイルが呼ばれたのか…?しかもあのように手の付けられない野獣…。また惨憺たる部屋を見ても前者なのか後者なのか…。思案顔をするカイルが疑問に思っていた事を感じとったのか、ラインハルトから話し出した。
「いえ…まだ面会はしていらっしゃいません。…国王は只今、手の離せない外交を行っておりまして王宮を離れていらっしゃいます。」
ピクリと反応して顔を上げるカイル。
「父上が今、王宮に居ない…?初耳なんだが。」
「…申し訳ございません。極秘の外交なもので、公には伏せておりました。ですが今回の案件はすでに連絡済みです。」
極秘の外交…一国の国王自らが…?なんだかキナ臭く感じるのは気のせいだろうか、とカイルは思った。
「よって只今の王宮における、王族に関する責任者は恐れながらカイルヴァイン王子と自分が判断した次第です。」
うーむ?城内には父方の親族が多数出仕しているはずなのだが、それは良いのか…?と思わないでもなかったカイルだったが、父親の信頼している側近が判断したのなら、と納得し彼女は頷く。そして更に質問を投げかけた。
「なるほど、解かった。もう一つ質問がある。」
「はい。」
「あの、野じゅ…ゴホン。リンゼフェルトは、見つけた時からあのような状態だったのか?」
「あのような…とは?」
「これまでの生活で彼に何があったかは知らないが、初めて会った人にあそこまで獣のように威嚇するだろうかと思ったのだが…?」
「確かに…。」
同意するようにアンジェが頷きかけた時、興奮した勢いで机をバンっ!と叩くラインハルト。ビクっとする、カイルとアンジェ。なに?!
「おお!さすがはカイル様。あの一瞬で違和感を感じられたとは!」
さも驚いたと言わんばかりにカイルを褒める。
(…イヤイヤ普通に不自然だからね?初対面の異母兄弟に対して警戒心を持つにしても、あんなに部屋をボロっボロにしておいて私を見るなり「ウガァー!」とか普通無いからね?)
アンジェもジトーっとラインハルトを見ている。同じくちょっと目を眇めたカイルは、それでもラインハルトに続きを促す。彼はふうっとため息を吐いて両手を机の上で組むと、少し遠くを見ながら思い出すように話し始めた。
「半月ほど前になりますか…。実は我々がリンゼフェルト様を見つけた時は、本当に酷い有様でした…。」
彼の話は、超ーーーッ長かったので要約すると、ラインハルトがリンゼフェルトを見つけた場所は彼の母親が元いた娼館近くの路地だった。母親はすでに死亡。しかもその娼館、現在は経営難に陥っていて母親の死後引き取られたリンゼフェルトを厄介者扱いした娼館の主人が、毎日のように折檻し食事もろくに与えなかった。実はリンゼフェルトは目、耳、口共に利けぬ障害児だったのだ。
恐らく障害を負っていたことが、余計に虐待を加速させた要因だろうと思われる。かつて彼の母親を知っていた、という仲間の娼婦を訪ねたがリンゼフェルトの障害は先天性か後天性かは分からなかった。運よくラインハルト達が娼館の外に捨てられていた彼を助け出して連れて来たのだが、栄養失調で手足はガリガリ、髪の毛は伸びっぱなしのパサパサ。しかもかなり衰弱していて熱もあるようだった。医者に掛りなんとか回復はしたものの、今度は全く持って野生の獣のようで手がつけられない。
目が見えないから食事も手掴みだし、かといって人の気配がすると一切食事に手を付けない。耳も聞こえなければ口も利けないので獣のような唸り声や叫び声なのだそう。少しでも彼に触れようものなら、死に物狂いで暴れ噛み付く。なので何とか回復して、王宮につれてくる時は、猿轡に手錠、足枷をしていた。
「成る程な…。虐待された上彼は障害を持っていたから、口が利けずに唸って私たちを警戒していたのか。」
「そうだったのですね…。」
彼の話を聞いて妙に納得してしまったカイル。アンジェも隣で頷いていた。
(…本当に野獣だな…。って、いやいやいや!?)
カイルは心の中で待ったをかける。先程の白昼夢を思い出したのだ。
(さっきの白昼夢っていうか、プロフィールにはリンゼフェルトが障害持ってたなんて事、一っ言も無かったんだけどーーーっ!?)
しかも、カイルは突然にもたらされる情報でしかゲーム知識(ゲームかどうかもまだ怪しい)を知らない。
(…ったく、こんな小出しにしないでゲームやってた場面とか、前世の自分が攻略対象を攻略してるとことかバーンと見せんかゴラーーーーっ!!)
完全にブチ切れなカイル…。何と申しますか、そればかりは神のみぞ知ると申しますか…。出来ることなら、ムキャ―ー!!と声を上げて机をバンバン叩き、思うさま怒り上げたいカイル。しかし…
(イヤ…ココ(この世界)で私はあくまで王子…聡明な王子…故に王族は無様に声を上げない…)
と唱えつつも、ピクピク顔が強張ってしまうのはまだまだ幼さ故のご愛敬なのか。
「…カ、カイル様…?いかがされましたの…?」
「…何か私の話が気に障る事でも…?」
徐々にカイルの周りの空気が冷え、深く眉間に皺を寄せたのを見てアンジェとラインハルトは彼女を恐々見やる。ハッと我に返ったカイルは、
「あーいや、すまない。何でもないんだ。続けてくれ。」
「「……。」」
(全然、何でもなさそうに見えないんデスケド〜?)
と2人の視線は言っていましたが。自分の事でいっぱいいっぱいのカイルは全くそんな2人を見ておらず、目を閉じて
(いかんいかん。平常心、平常心…)
と心に唱える。それを見てほっと息を吐いたアンジェはラインハルトに向き直り、ラインハルトも仕切り直すように咳払いをすると、続きを話し出す。
「…ですが偶然にもリンゼフェルト様を見つけ、すぐに医者に診せたのですが本当に危ない所のようでした…。医者の診たてでは、あと数時間見つけるのが遅ければ手遅れになっていたかもしれないと…。」
「まあ…。」
彼の話の続きを聞きながらカイルは考える。
(フーン?…それにしても、リンゼフェルトの障害云々はまあ置いとくとして…目と耳と口が利けないんだよな…?)
彼女は、その障害の種類について、何故か気になり小骨が歯に詰まったようなもどかしい感じに囚われた。
(アレ?なんだっけコレ…?何かあったよなー、こーゆうの…?)
首を捻るカイル。アンジェは神妙にして顔を強張らせながら話を聞いている。ラインハルトは彼を発見したその当時の事を思い出しているのか、身振り手振りを交えながら興奮気味に説明する。
「ですが!!我々は導かれるようにリンゼフェルト様を見つけたのです!!いや…神は居るんでしょうね…。まさに奇跡のようでした!!」
(ん?奇跡…?あっ!)
「キセキノヒト!!!」
「「!?」」
カイルはラインハルトの放った一言に天啓を受け、興奮状態でガタンっと椅子から立ち上がった。突然の声に他の二人が驚いて彼女を見る。しかし興奮して自分の世界に入っているカイルは気づかない。
(そうそう!まさにこのキーワード!「奇跡の人」ヘレン・ケラー。3重苦を負った女性の話。…日本では「奇跡の人」=ヘレン・ケラーと認識しているけど、本来はヘレンの先生だった、アン・サリバンのことを指すんだよねー。それはさておき、あぁスッキリしたー。)
思い出してサッパリ顔の彼女だったが、隣のアンジェの眉がピクリと跳ね上がり、凄い形相で睨みつけている。
「…カ、イ、ル、様…?」
「ひっ!!」
「……。」
カイルは思わず腰が引けた。久々にアンジェのこの顔を見た気がする。彼女は躾けにとても、とっても、とぉっーーっても厳しいのだ。大事な事なので3回言いました。まぁ、一国の王子の侍女と教育係を兼任しているので仕方は無いことなのだが。
王族たるもの、貴族の手本とならねばならぬのに、声を上げ、音を立てて椅子を立ち上がるのは何事ですかっ!!と、目をギョロリとさせてカイルを睨みつけている。キャーーーー!!
ラインハルトはこの状態の2人を見て何となく力関係を把握し、目を遠くしながら
(アンジェラ、ツヨイ、サカラウナ)
と心のメモに書き込む。
焦ったカイルは何とか自分の今の状況説明をしようと試みた。
「え、えっとー?ア、アンジェ?い、今のラインハルトの話でな?思い出した事があって…」
「…ほう?どのような事でしょう?」
「うんとー?昔どこかの国の本で?重度の障害を負った…女性の成長物語?というのを見た事があって…その題名が先程の奇せ…」
「何と!!!素晴らしい!!!!」
「いっ!?」
「……。」
カイルの話を聞いて勢いよく、ガタンと椅子から立ち上がるラインハルト。デカっ!体もデカイけど声もデカっっ!!ビックリしたカイルはそのまま隣にいたアンジェにしがみつく。そして舌の根も乾かぬ内に同じことをしでかしたラインハルト。
しかしアンジェも成人男性で、貴族ではないが地位のある彼に先程のカイルのように「音を立てるな!」と注意できるはずもなく。
(彼の教育係でもなければ、彼は貴族でもないので)今回ばかりは苦笑いするだけだった。そして思い出したけど、またセリフ喰った!とアンジェにしがみついたままのカイルのジト目をよそに、ラインハルトは興奮したように話し出す。
「実はリンゼフェルト様を引き取ったのはよろしいのですが、このように重度の障害を持つ方に教育を施してくださる人が現在国内におらず、困り果てていたのです!!」
(…え。何この話の流れ…。またもイヤな予感が…。)
カイルは若干引きながらラインハルトを見る。彼は彼女の手をガシッと掴んだ。それを見て、ギョッと驚くアンジェとカイル。
「カイルヴァイン王子!!どうか!リンゼフェルト様の教育者となって頂けませんか!」
ラインハルトは目を爛々と輝かせている。
(ギャーーー!!しまったーー!!…さっきの話するんじゃなかったか…?受難フラグですかねコレ?何が哀しくて自分を死に追い込むやもしれない子どもを育てにゃならんのですか!)
カイルはラインハルトが握った手を振りほどくと、慌ててとんでもないとばかりに反撃を試みた。
「た、確かにその障害を負った人の本は読んだが、それだけで彼の教育者になれとは少し乱暴すぎではないか?」
ラインハルトもこの機会を逃すまいと、更に畳み掛ける。
「ですが我々には全くソレに対する知識がありません。それに成長物語と云うのならば、その女性が障害を克服して成長した過程が描かれているはず。何かしら教育の手がかりがあると推測されます。0か1かと問われれば1に頼るのは道理かと思われますが?」
クっ…手強い…。元々頭の良い彼は、更に言えば凄腕の現役外交官だ。口で勝てるハズもなし…。思わずまだしがみ付いていたアンジェに無意識に縋るカイル。アンジェリカはその意味を正確に受け取り頷くとコホン、と咳払いをした。そしてカイルをそっと離して座らせると、ラインハルトを見据える。
「…ラインハルト様、いくら優秀とは言え、まだ8歳で在られるカイル様に、特殊な分野の教育者はご無理があるのではないでしょうか?」
(そうそう、その通―り!!藁をも縋る思いなのはわかるが、中身アラフォーでもこの世界の経験値はまだ8年分。前世の記憶があってもそんな重い仕事は受付られません!!)確かにアンジェの言うことは正論で、思わず無言でコクコク頷くカイル。それを見たラインハルトはふぅっと息を吐くと静かに椅子に座り直した。そして肩眉を上げ少し考え込むと、何かを思いついたのか机の上で両手を組み口角を引き上げてゆっくりと話し出す。
「…カイルヴァイン様、ではこうしましょう。取引といきませんか?」
なぬ?ピクリと顔を上げるカイル。
「取引?」
「ええ。実はあなたに関するある切り札を持っています。」
「!?」
意味ありげにキラリと目を光らせるラインハルト。思わず更にに引いてしまったカイルはしかし、
(え…ナニそれ。切り札ってもしかして(女)ってバレてる?いやでも父上の側近だし、普通に知ってるのか…?)
顔には出さず考えてしまう。だが目はウロウロ、手はソワソワ。
(…感情だだ漏れですわカイル様…)
とアンジェは隣でため息を吐く。ラインハルトは続ける。
「今回の教育者の仕事、引き受けて下さったあかつきにはこれ以後、出来る範囲で自分があなたの手助けを致しましょう。切り札にしてもあなたの良い様に対処致します。」
カイルは目を見張る。
(うそ!リンゼフェルトの更生で私自身の受難を取り除くと!)
…確かに今現在、彼は父上の側近の傍らバリバリのエリート外交官として働いている頭の切れる男だ。ガチムチの外見と違って。…もしかして彼をブレーンに使えれば、穏便に自分は引退するのも訳無いかもしれない…。引いては死亡フラグも回避…?カイルの頭の中でグルグルと思考が巡る。アンジェはその様子を横目で見て
(あ、コレは完全に(策略に)落ちましたわね…。)
と、更にため息を吐く。うんうん考え始めたカイルに手ごたえを感じたか、ラインハルトは頷きながら、ニッコリと笑った。
「交渉成立ですね。」
あの衝撃の邂逅から一夜明け、カイル、アンジェリカ、フレデリクはシュヴァイツェル王国王都、ウォルゲインより遠く離れた北西に位置する離宮に来ていた。ラインハルトに押し付けられ(騙され?)リンゼフェルトの教育係を任されたカイルは、人目の多すぎる王宮は外聞も含め危険、との彼の判断にて昨夜の内に慌しくこちらに移って来たのだ。
北の大地、ダルスク帝国との国境に近いこの場所は緑豊かで高原にあり夏も比較的涼しく過ごしやすい。鉱山も多数存在していて、近くの町では武器防具の鍛冶師や、彫金師が軒を連ねている、活気のある所だ。そして代々王族の方々が避暑地として利用している場所でもあった。
馬車にて四半日(6時間)以上。途中休憩を挟んでもこの強行軍は8歳の子どもにはかなり辛かった。長時間の馬車移動も初めてなら舗装されていない道を通るのも初めて。前世の(ゆり子)は車酔いとかしたことなかったのに流石にこれはキタ。
カイルは道中ゲロゲロ吐きまくりで、ゲロ袋を抱えながらの移動だった。
(アンジェごめんなさい…。)
ちなみに野獣のリンゼ君は別の馬車でフレデリクと同乗。車内で暴れられると困るのでプスッと1本(眠り薬。どうやって暴れる彼を押えたのかは謎)打っときました。そして目的の館に着いた時には、カイルの気力も体力も消耗し尽して、館の使用人の挨拶もそこそこに着の身着のまま案内された部屋にバタンキューなのだった。
そして目覚めた次の日の昼。さすがに十分な休息をとり、腹の虫に急かされて起きてみればちゃんと寝間着を着ていた。おお?と思いアンジェに聞いてみたが、カイル自身で着替えていたそうだ。
(ウーム、習慣ってスゴイ。ちなみにアンジェの教育方針で、王族だけどほぼ自分でなんでもやれるよう躾けられたんだよねー。他の貴族はどうか知らないケド。)
イエ…。王侯貴族、絶対そんな事しませんカラ…。
そんな訳で腹ごなしも済み、これからの計画を練ろうと思ったカイル。彼女は食後に館の庭園に設置されている、東屋へやってきていた。今日は昨日と打って変わり晴れ上がった綺麗な青空で、季節は前世でいう初夏。庭には夏らしい花々が今が盛りと咲き乱れている。英国庭園風の東屋は、ココの白亜の離宮と合わせたような白い建物だ。年期は入っているが、丁寧に修復されているので年月を経た独特の風合いをかもしだしていた。綺麗に刈りそろえられた植木も美しい。そこへアンジェがティーセットと共に1枚の封筒をカイルに差し出した。
「コレは?」
「本日、早朝にラインハルト様の使者がこちらの封筒をカイル様に、と置いていかれました。」
「ふーん?」
言いながら渡されたペーパーナイフで縁をカットし中身を取り出す。前世でいうA4サイズの封筒の中身は10数枚に渡るリンゼフェルトとその母リーゼロッテの報告書だった。さすがラインハルト仕事が早い!。これからの教育方針を計画する上でリンゼフェルトの詳しい情報が欲しいと思っていたところだった。そして案の定、超――っ長かったので要約すると、
元男爵令嬢、リーゼロッテは親の借金により娼館に売られたが、自分の身の上を前向きに考え客を取りながらも自分が身に着けた礼儀作法や言葉使い、読み書きなどを仲間の娼婦や売られてきた幼い女の子達に教えていたそうだ。なので当時の娼館は彼女を慕う娼婦が多数いたらしい。そんな中、街中で男に絡まれていたのを助けたのが、身分を隠したジークフリート王だったのだ。
(…なんかB級ロマンス小説っぽくなってきたな…もしくはハーレ〇イン…)
そして恋に落ちた2人。だが彼女はジークの子供
(リンゼフェルトだね)
を身ごもると彼には知らせず1人娼館を去った。リーゼロッテが負っていた借金はジークフリートが肩代わりしていて、彼女は自由の身になっていたのだ。
そして彼女は身重ながらも一人子供を産み大陸各地を転々とし、最終的に海を渡り
(あー、海渡ったらわかんないよねー。見つけづらい。)
シュヴァイツェル国の南に位置するハーバベルデ連邦の農村に身を寄せたそうだ。母子2人慎ましく暮らしていたらしい。
リンゼフェルト4歳になったある日、事件が起きる。何者かに誘拐…いや神隠しにあったのだ。実はその農村のみならず近隣の村でも数年ほど前から10歳未満の子供が神隠しにあっていた。突然いなくなったかと思うと最短で2日、長くて1週間くらいで見つかった。しかも神隠しにあっていた期間の子供たちの記憶は抜け落ちていたという。神隠しにあっても子供は必ず戻ってきたのと、南の風土がさせるのか人々は皆大らかであまり子供がいなくなっても騒ぎ立てる村民はいなかったようだ。しかし、リーゼロッテは尋常で無い様子でリンゼを探し回っていたらしい。
ここからはラインハルトの推測。もしかして彼女はジークフリートの素性を知っていたのではないか。ジークフリートが街中にお忍びで出る時はまず一目見ただけでは王族と解らないどころか不審者扱いされる…とラインハルト。
(どんだけ怪しいんだ父上…てか、お忍びしてんだ…)
しかしリーゼロッテは没落したとはいえ元貴族。かつての社交界でジークフリートの顔を偶然見た事があるのでは。
(あり得ないんだけど、父上は社交界嫌いで有名なんだよな…)
そして王の子供であるリンゼフェルトの失踪に政治的な理由を危惧したのでは…と言う事らしい。リンゼフェルトは失踪して5日後には戻ってきたようだが、リーゼロッテは元々産後の肥立ちが良くなかったのと度重なる心労で倒れ、そのまま目覚めることなく数日後帰らぬ人となった。それにショックを受けたかは解らないが、リンゼフェルトもその後高熱で倒れ生死を彷徨うほどだった。
その間、町の医者に診せたようだが熱が下がって峠は越えるけれども残念ながら目、耳、口が利けなくなってしまったそうだ。
…ここまでの報告を見てカイルは考えた。そうか、先天性の疾患じゃないんだ。しかも4歳までは普通だったと。そういえば母親が娼館に居た頃、仲間に読み書きを教えていたという。リンゼフェルトにも何か教えている可能性は高い。となれば基本の読み書きができるかも!おお!これは希望の光が見えたか?
そんなことを報告書を見ながら考えていると、そういえばと思ってアンジェに振り返る。
「リンゼフェルトは今、何をしてる?」
アンジェはカイルのティーカップに無くなったお茶を注ぎながら、質問を受ける。
「昨夜は眠り薬のおかげか静かなようでしたわ。とりあえず今現在、1Fにある客室にいれてフレデリク様に様子を見ていただいておりますわ。」
「昨日より落ち着いている感じか…?」
「何ともいえませんわね…。私が2刻ほど前にお食事をお部屋に持って入った時には、まだお目覚めになられていないご様子でしたが…」
彼女は注ぎ終わったポットを持ったままカイルに答えた。カイルはアンジェが注いでくれたお茶をコクリと飲む。
(そうか…2刻ということは約2時間前。そろそろ起きてもおかしくはないか…)
しかし、彼は3重苦だったヘレン・ケラーというより今は人間に虐待された動物に近い。少なくとも4歳から6歳までの間、娼館の主人に虐待を強いられたわけだ。警戒心の極度に強い事がソレを如実に表している。まずは自分に害の無い人間もいるのだと言う事を知ってもらう事が先決だ。さて、どうやって接近遭遇するかだが…。カイルは椅子の背もたれに身体を預けると、目を瞑り思考する。しかし、良い案がサッパリ浮かばない。その様子を見ていたアンジェは決心したように提案した。
「もう、直にぶつかった方がよろしいのでは?」
カイルは目を開くと、胡乱げにアンジュを見たが
(…ですよねー。グルグル考えるよりは一度当たって砕けた方がいいのかも…。)
と考え直し、1度深呼吸すると力なく言った。
「…わかった直接会ってみる…」
アンジェはティーポッドを静かに置き、カイルの両手をガッシリ掴む。
「かしこまりました。では、ご案内いたします。」
え、もう!?ちょっと怯んだカイルに手を引いて連行するアンジェ。さすがは長く一緒にいるだけあって、たまに優柔不断になるカイルの性格を良くわかっている。
「ちょ、まっ!ア、アンジェ〜!?」
抗議もむなしくズルズルとアンジェに引っ張られるカイル。そしてリンゼフェルトのいる、1F客室に有無を言わさず連れていったのだった。
1F客室…10畳のその部屋はアンジェの指示の元、ベッド以外の家具を置いていなかった。リンゼフェルトが物を壊す事を恐れたのと、後怪我の心配も。客室の隣は内扉で行き来できる、バスとトイレが設置されている。一応食事以外はここのみで生活することは可能だ。窓の外にはテラス。その向こう側には一面に芝生が敷き詰められ、また小さいが川も流れていて遠くには木々も見える。自然を利用した広大な庭だった。
一方リンゼフェルトは…リンゼは今から4刻(4時間)ほど前にすでに起きていた。誰かが一度部屋に入ってきたのを気づいていたが、そのままベッドで身を硬くしていたのだ。どうやら食事らしい物を置いたらしい。人の気配が無くなるのを確認すると、食べ物の匂いを便りに手探りで見つけとりあえず腹に収めた。腹が満たされるとまたベッドの上に戻り、シーツを引っ張ると包まったのだった。
東屋を出てすぐ、カイルとアンジェリカはリンゼのいる客室前までやって来た。見張りをしていたフレデリクに中の様子を聞いてみると、どうやら食事を取った事意外静かだったようだ。
アンジェに促され、覚悟を決めるとカイルは恐る恐るドアの取っ手に手をかけた。
ガチャ…ギィ…
扉を開ける音がやけに大きく響き渡る。カイルはそろりと中へ入った。見ればベッド以外の家具は勿論、カーテンすら取り外した気持ちの良いほど何も無い部屋だった。…が何か臭う。クンクンと鼻をひくつかせると、独特なツンとした異臭がした。…そう非常にアンモニーアな…。
「あーっ!!」
と指を指して思わず叫んだカイル。何事かと背後にいたアンジェリカが駆けつけた。が入った途端状況を理解して少々お待ちくださいませ、と言うとその場をすぐ離れた。フレデリクも顔を覗かせると、
「あー粗相しちゃってますねーコレ。」
と顔を顰める。見ればベッドの上のシーツに包まっているナニかの下に、水溜りのような跡ができていた。恐らく、ずっと我慢していた小用ができなくて粗相してしまった…と言う所か。リンゼは人の気配を感じると、ベッドの上でシーツを被ったまま唸り声をあげている。
「ウー、ガルルるるるっーー!」
(うーん、困った。近づいていいのかコレ?)
とカイルがフレデリクに目で合図を送ると、
(さあ?俺には何とも)
と肩を竦ませる。そうこうしている内にアンジェが戻ってきた。彼女は大きな盥とタオル2〜3枚、布を持って入る。
「フレデリク!手伝いなさい!」
と有無を言わさずカイルの侍従を扱き使った。
(すげー、アンジェすげー!しかも呼び捨てー!)
と小さく拍手しながらカイルは感心していたが、
「カイル様!」
「はいィィィ!」
キッと睨みつけるアンジェ。…こちらにも、とばっちりが来た。
「フレデリクにリンゼフェルト様の身体を押さえさせますので、粗相された部分を脱がし、布で清めてこちらのタオルにて拭いてください」
「りょ、了解です!」
良い返事だ、とアンジェは頷く。いや、普通は王子にそんなことさせる自体おかしいのだが…ここにはソレを突っ込む人が皆無だった…。
すでにフレデリクは諦め顔でリンゼの所に移動していて、ベッドの上の被疑者を確保していた。流石はエリート、行動が素早く無駄がない。リンゼの口元もシーツを上手く利用して塞いでいる。グルグル巻きにしているので、リンゼフェルトの顔はよくわからなかった。
カイルは腕を捲くると彼らの元に近づく。アグアグ言いながらリンゼは威嚇しているが、危険はなさそうだ。早速、身に着けていた彼のズボンを脱がす。
「うあううー!!!ううーーあーー!!」
突如嫌がって盛大に暴れるも、そこは騎士で大人なフレディに敵う筈も無く、ガッチリと押さえ込まれている。下半身が露わになると、棒の様に全く肉も筋肉も付いていない足。彼の今までの環境を思わせるようでカイルは痛ましげに見やる。さらに下着も脱がすと、今度は年相応なかわいいモノがプルルンと出てきた。
(…うん、男の子だね…。)
ちょっと遠い目をしたカイルはそれでもお湯を入れた盥に布を湿らせて、リンゼの下半身を清め今度はタオルで水滴を拭った。そして後からやって来た、あまり事情を知らされていない離宮の侍女さんが持ってきたリンゼの着替えを受け取る。ココの侍女は、王子であるカイルがリンゼの世話をしているのを見て驚愕の表情をした。
「あ、あの!!カイル様!?わたくしがー!!え!?あーーー!!」
バタン!!無常にも扉が閉まった。…アンジェが侍女さんを強制連行して連れ出したらしい…。
「ん?彼女はどうかしたのか?」
「…いえ、サクサクやりましょう。」
「…だな。」
カイルはアンジェと共に連れ出された侍女を不審に思ったが、フレデリクの答えに頷くと作業を再開する。フレデリクはこの状況がおかしいのは解っていたが、アンジェリカに逆らう気概は無かったようだ…。ここまでやると拘束はされていたが暴れていたリンゼも疲れたらしく、大人しくなっていた。その間にアンジェはベッドのシーツを綺麗な物に替え、リンゼの汚れ物とその他の道具を片付けていた。その後フレディの拘束を外されたリンゼは、シーツを被ったまますばやくベッドの上に乗るとジーーッとしている。
「じゃあ、俺は見張りに戻るので何かあったら言ってください。」
自分のココでの仕事は終わったとばかり、そそくさ部屋の外に出たフレデリク。入れ替わるようにアンジェが部屋に戻って来た。
(フレディの裏切者―!)
とカイルは恨めしそうに出ていくフレディを見やる。仕方なく向き直り、アンジェを見る。彼女は視線で
(行け!)
と言っていた…。ため息を吐いたカイルは今度こそご対面の続きか!…と思い彼がいる方向を見たが…。
ん?ちょっと、ちょっとリンゼさん?なんかベッドの上でグラグラし始めたんですが…。恐らく、盛大に暴れ、緊張が途切れて疲れたらしい。包まったシーツの中の彼がカックンカックン動いている。明らかに眠そうだ。
(え、コレどうすんの?)
と目でアンジェに問うカイル。
『絶好の機会ですわ、カイル様!』
素早くカイルに近づいた彼女は耳元に小声で答える。カイルは、リンゼは耳聞こえないのに声小さくする意味がわからん、と思わないでもなかったが彼女に倣う。
『どういうことだ?』
『今、リンゼフェルト様は無防備になっていらっしゃいます。ですので無意識下にカイル様が危険では無い、と刷り込ませるのですわ!』
…なるほど。チラリとリンゼを見やる。まぁ今の状態なら眠気が勝って、暴れたり引っかいたりしなそうだな。大丈夫だと確信した彼女はコクリ、とうなづきリンゼのいるベッドの上に乗ると、そろーりと近づいた。彼が被っていたシーツも随分と頭からズリ落ちていた。そして初めて気づく。
(えーーーっ!!うっっっそーー!?何この子、超ーーっ美少女じゃんーー!!)
ベッドの上で両手を付き、驚愕するカイル。そうなのだ。初対面が衝撃過ぎてすっかり頭から抜け落ちていたが、彼は後の攻略対象サマだ。イケメンであることはもはやデフォルトなのに。実際に近くで見るまで、ズリ落ちたシーツから見えたリンゼの容貌は、今まで全くわからなかったのだ。恐らく父親譲りであろう、プラチナシルバーの髪に純度の高いエメラルドグリーンの瞳。手足はガリガリでもお目目パッチリ睫はバサバサ。肌は雪花石膏のごとく白く滑らかで、淡いピンクの唇。髪も切っていなかったのか背中までありとても長い。まるで地上に舞い降りた雪の妖精のようだ。恰好は男の子仕様だが。そんな目にも眩しい儚げ美少女がコクリ、コクリと眠気と戦ってるとか!
(も、超ーっカワイイ!!さっき男の子の大事なモノ見ちゃったけど、昔見た2次元3次元アイドルとか足元にも及ばないくらい、超ーーっカワイイー!!)
カイルもとい、(ゆり子)は特に男女の区別無くカワイイもの、綺麗なものに目が無いらしい…。
いきなり萌え萌えしたカイルはザザーッとベッドの上でスライドしリンゼに最接近すると、怖々光をはじくプラチナシルバーの髪に触れようとした。が、気配に気づいたリンゼはビクッとしてまたシーツを被る。しかし最初の時と違い特に唸り声を上げる事無く、被り直したシーツから目を覗かせてカイルをジーーっっと(?)見つめた。
(いやーー!!めっちゃカワイイーー!!!)
リンゼの容貌を知ってしまった今、彼が何をしても萌えポイントらしいカイルは本来の目的を忘れ、目がハートになっている。だがリンゼは最初の警戒心はどこに行ったのか、シーツを被ったままのっそり近づき彼女の体をガシッと掴むと、おもむろに匂いを嗅ぎだした。
(うえっ?何々?何事!?)
と、リンゼの突然の行動に身体が固まるカイル。特に頭部と首元をフンフンと動物のように嗅ぎまわり、眉間に皺を寄せる。その後安心したのかふうっと息を吐くとカイルの膝の上にコテンと頭を乗せ リンゼはそのまま目を閉じてスースーと寝息を立て始めたのだ。カイルは一連の動作を呆然と見ていたが、
(えー!!うそっ?!このままあなた、寝る系ですか…?)
どうすればいいのか解らず リンゼを膝に乗っけたままクルーりと助けを求めてアンジェを振り返るが、我関せずと明後日の方を見ている彼女。ダァーっと滝涙になるカイル。
(アンジェの、裏切りモノーー!!)
こうして後日、初めて動けないほどの足の痺れと共にカイルは リンゼとの2度目の邂逅に幕を閉じたのだった。
その後のリンゼといえば人間不信の部分に関して、カイルだけは何故か除外された。なので全面的