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序章

俺の名前は中田勇気。今年でもう32歳になる。今は大学を出て一般企業に就職して嫁さんもいる、来年の4月には子供も生まれる。そんな俺だが小学校の頃は成績優秀、スポーツをやらせれば剣道は全国大会出場、陸上では全国大会で8位にもなったほどの身体能力も持ち合わせていた。そして中学では成績優秀ではあったが、小学校のときにやっていたソフトボールから野球に専念することに決めたが目立った成績はなし。高校は私立を受けようとしたが直前に話がなくなり、地元の進学校に入ってからは部活のせいと言っては言い訳になるが成績は下がった。しかし、受験勉強が上手くいってなんとか某有名私立に進学して就職、そして結婚とそれなりに上手くは行っていると思う。



が、「スポーツ」特に野球においては中学以降目立った成績は残せなかった。



それはなぜか、俺はノーコンだった。どうしようなくコントロールが悪かったのだ。野手としての能力は悪くなかったが、投手がやりたかった。グラウンドの一番高いところからゲームが始まる一球を投じる姿をプロ野球中継で毎日のように見ていた。画面には常に投手が映る。かっこいいと思った。自分もこんな風になりたいと思っていた。小学生時代のソフトボールチームでは、親が監督と仲が悪いとかいうクソみたいな理由で外野しかやらせてもらえなかった。



中学生では地元のシニアリーグのチームに入った。そこでは俺の投手をやりたいという意思を尊重して投手をやらせてくれた。しかし初登板で悲劇が起きた。



「ストライクが入らない」



18.44m。キャッチャーまでの距離を考慮すればもう少しあるかもしれないが、その距離が遠い。 ストライクが入らない上にソフトボール出身の俺はセットポジションやもろもろのルールを知らなかったし、クイックなんてもってのほかだった。はじめての登板と練習試合ということもあって1イニングを投げ切らせてくれた。その後はルールやクイックを覚えたりして、変化球も覚えた。球速もそこそこ速く120km/h以上中学生で投げられたが、やっぱりコントロールが悪かった。たまに調子が良くて安定した時期もあってエースを任されたこともあったが、肝心の試合でノーコン発動して1イニングでKOというか1イニング投げられなかった。その後はソフトボールで培った外野手の力を遺憾なく発揮して中学時代は終わった。



高校時代は1年秋までは野手としてベンチ入りを果たしたが、それ以降は投手に専念。身長の低さと関節の柔らかさもあってサイドスローに転向。しかし、それ以降もノーコンは治らなかった。最後の夏はベンチでチームが負けるところを見守った。

俺の野球人生はここで終了した。


――――――――――――――――――――――――



大学はスポーツ系の学部に進みいろいろと学んだ。結局は一般企業に就職はしたが、俺が投手として上手くいかなかった理由は大学で学んだことやいろいろ考えてわかった。原因は挙げるとするなら3つある。



1つ目は身長だった。俺の身長は165cmしかなかった。この時点でかなり絶望的ではあったが、167cmのプロ選手もいるので、一概には言えないが不利であることは確かだ



2つ目は性格だ、俺はめちゃくちゃ緊張する性格だった。剣道で結果は残せたが、1回戦はめちゃくちゃ緊張して、なかなか試合を決められなかった。2回戦以降は無双できるのに1回戦だけは時間がかかっていた。そんなこともあってマウンド上でのメンタルが弱かった。弱すぎた。投げるたびにフォームは違うし、インコースに向かって投げられなかった。ビビりだった。メンタルトレーニングとかをやればよかったのかもしれない。



3つ目、これが大学まで気づかなかった欠点だ。



俺の体は柔らかい方で、柔軟なども周りよりかなりできていた、軟体動物とかまで言われてたっけ。しかし、そこが問題だった。柔らかすぎる。というか関節が緩いということが大学時代に分かった。それが原因で動作が安定しないということが分かった。それを安定させるためには通常以上に筋肉で安定させる必要があったんだ。しかし、高校時代にはウエイトなんてしていなかったし、そこまでする必要はないと思っていた。だからどんなに頑張ってもコントロールが安定しなかったのだ。



なんてことを俺が考えているのは、帰り道で暴走したトラックにはねられる瞬間にいろんな考えが頭の中を巡った。走馬灯というやつなのだろうか、それとも野球への執念がそうさせたのかは分からないが、嫁や生まれてくる子供、両親のことではなく思い返されるのは野球のことだった。



強い衝撃が俺の体を包む。俺は意識を失った。


――――――――――――――――――――――――



気がつくと、そこは懐かしい場所だった。幼い頃に過ごした村だ。地方のなかでも過疎の進んだ村、今では合併で町になった村の実家に俺はいた。昔のままの風景だ。



そうか、ここは夢の中なんだ、なら楽しむだけ楽しもう、目が醒める頃には全てなくなるし、―やりたいだけやってやろう。



カレンダーを見ると19△○年だった。となると俺が6歳の年だ、つまり今は保育園の年長で次の年に小学校に入学するわけか?このころは軟球で、お父さんやお母さんとキャッチボールしてもらってたっけ、懐かしいなあ。



1週間が経った。夢でこんな長いこと醒めないことあるのか?と思いつつも野球をやりたかったので、俺の最後の記憶よりも随分若いお父さんにキャッチボールしてもらっていた。今までの記憶がある分、体の使い方がなんとなくだが分かったので、それなりの球が投げられた。


「えっ!なんや今の球!?」


あ、昨日までろくにキャッチボールもできなかった息子が急にそれっぽい投げ方で見違えるような球を放ったことにお父さんは驚いているようだ、そりゃそうだ。


「テレビで見たのを真似してみたー」


とごまかしてみたが、大丈夫かな?まあ、悪いことではないしいいよね。


それから、さらに時は流れ小学1年生になった。

この時には俺はもうこれは夢ではないと思い始めていた。寝て起きてを何度も繰り返しているのだ、これは現実だ。そう確信した俺は1つ目標を作った。


プロ野球選手になる。


前世?1周目の人生では成し得なかった夢を叶えようと思ったのだ。


プロ野球選手への道は辛く険しいものだということは1周目の人生で分かっている。能力も1周目のままでは到底無理だ。身長だって伸ばす努力をした方がいい。


そう決めた日から俺はランニングなど比較的負担の軽いトレーニングを始めた。

筋トレが身長に影響するかは科学的には証明されていないらしいが経験から伸びにくいように感じたため筋トレはやらないことにした。

苦手だった牛乳もお茶の代わりに飲むようにした。正直これはしんどかったが、1周目の子供のときほど苦手意識は薄れていたので1週間続けばもう慣れてしまっていた。


小1現在の身長は120センチくらいだ。この時点では1周目とは大して変わらないが、これから伸びていくことに期待して、食事もお母さんが出してくれるものは栄養バランスも良かったので全部いただいた。1周目のときは好きなものしか食べてなかったけど、よくよく見ると素晴らしい食事だった。主菜に副菜、乳製品に果物。メニューを変えてもらう必要がなかった。感謝である。


そして小1になったことで地域のスポーツチームに入ることが出来るようになった。1周目ではソフトボールチームに入ったがあまりいい思い出はないので、そのチームには入らず、少し遠いが軟式の少年野球チームに入ることにした。


両親に野球をしたいことと、少年野球チームに入りたいことを伝えると両親はあっさり承諾してくれた。

送り迎えやら、応援やらで迷惑をかけるだろうが両親が応援してくれているのであれば俺は、全力でやるだけだ。


ここから俺の2周目の野球人生が始まる。


――――――――――――――――――――――――

必ずプロ野球選手になるんだ。

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