2. ようこそ、D棟へ
現在の時刻は、午前5時30分。
消火活動ですっかり興奮してしまった私は、すぐに睡眠をとる気にならず、中央の食堂の椅子に座り、窓からメインデッキの様子を眺めていた。ちらほらと自室から出てきて、D棟のメインデッキを歩く人の姿が見えてきた。
やはり、D棟はE棟とは違うなと思った。E棟に住む人間は皆、就業が始まる9時のチャイムが鳴って、実質強制的に労働を開始させられるまでは起き上がろうとはしない。自主的に寝床から起きあがるほど活気のある人間はいなかった。強いて言うなら、それは一昨日までの私くらいだった。
今、私の手元には、「D棟の生活マニュアル」というタイトルの冊子がある。昨日、私がE棟からD棟に越してきたときに渡されたものだ。越した後、すぐにエンジン整備の夜勤を命じられたため、今まで読む時間がなかったものだ。冊子を開いてみる。最初のページにはこう書かれていた。
- ようこそ、D棟へ! ルールを守り、規則正しい生活を送ることをこころがけましょう -
私は、苦笑いをした。冒頭から「ルールを守れ」ときたからだ。きっとE棟よりはマシだろうが、この棟の生活も大して期待できないだろうという予感がした。
パラパラとページをめくると、E棟のマニュアルにはなかった絵があったので、ページをめくる手がとまった。絵のタイトルは「宇宙船ナイトウォーカー」とある。これは、どうやらこの船を描いた絵らしい。
この船の形や構造については、かねてから噂には聞いていたし、E棟に住んでいるだけでも、なんとなくどういう形をしているかは想像がついた。この船の心臓部ともいえる一本の支柱があり、その支柱を中心に輪っか状の建築物が連なる構造だ。その輪っか状の建築物は全部で5つ描かれており、上から順に、AからEまでのアルファベットがふられている。
・・噂のとおりだ。この船にはA棟からE棟までの5つの棟がある。次のページを観ると、A棟からE棟の収容人数と、住民の役割について説明が記載されていた。
A棟(収容可能人数200名前後)- 食料の生産、および衛生管理。各種医療。各種化学薬品の取り扱い。各種マテリアルの錬金。各種証明書の発行。
B棟 (収容可能人数300名前後) - 芸術活動。演劇、コンサートなどの娯楽。宇宙船や装飾品、衣服のデザイン。
C棟 (収容可能人数500名前後) - 機械整備士や配管工のマネジメント。教師(A棟からB棟を担当)。心理カウンセリング。B棟からE棟までの警備。バーテンダー。
D棟 (収容可能人数1000名前後) - 船の整備・修理。および各種機械の整備・修理。洋裁。教師(D棟からE棟を担当)
E棟 (収容可能人数2000名前後) - 排水の管理。清掃。各種部品の加工・製造。その他雑務。
私の目にとまったのは”バーテンダー”だった。
バーテンダーがC棟だと?注文された酒をグラスに注いで、客の愚痴に適当に付き合ってればいいような仕事が、船の整備より重要だっていうのか?・・ふざけるな!
次に目が留まったのは、「現在生活されているD棟から、一時的に別の棟へ移動する場合」という欄だ。そこにはこう書かれていた。
D棟から、一時的にC棟へ移動する場合、移動許可証の申請が必要となります。
移動許可証の申請方法に関しては、担当者へお尋ねください。
なお、D棟からB棟、A棟への移動は、原則としていかなる場合も許可されません。
D棟から一時的にE棟へ移動する場合は、許可証は不要です。
・・移動許可証というものがあるのか。それがあれば、どうやらD棟の人間でも一時的にC棟へ行くことが可能らしい。だが、どうせそう簡単に許可はもらえないのだろうと思った。
私は、この船に生まれたとき、E棟の人間だった。それから24年間、ずっとE棟で暮らしてきた。その間、他の棟に行ったことなど一度もない。E棟に住む私の友人たちも、上の棟の暮らしぶりを眺めた人など誰もいなかった。等級の管理がとても厳格なのだ。E棟に住んでる24年の間に、上の棟へ忍び込もうと試みた人が2、3人はいたが、成功した人間は誰もいない。そもそも成功するはずがない。その理由は、我々一人一人がもつ遺伝子情報と、この船の生体認証システムだ。各住民は、自分がどの棟に住むべき人間か、遺伝子情報に紐づけられて厳密に管理されている。E棟の住民がD棟に足を踏み入れた途端、警報が鳴り響いて、あっという間に警備員につかまり、警棒で袋叩きにされるのがおちだ。どうしても忍び込みたいなら、生体認証システムを破壊するしかない。だが、そんな大掛かりなことはできっこない。そもそもそのシステムがどこで管理されているかもわからない。・・きっとA棟か、B棟なのだろうが。
「・・ねえ、そこのあんた!」
後ろから声がした。振り返ると、20代中盤から後半の、作業服を着た女性がスープ皿とスプーンを持って立っていた。
「・・ふう、やっと振り返ったわね。さっきから何度呼んでもびくともしないから、死んでるのかと思ったよ」
私は、眉間にしわをよせて、黙って彼女のほうを観ていた。なんて返答すればよいかわからなかった。
「・・なによ。なんでそんなににらむのよ。話しかけちゃ悪かった?」
そういって、彼女は私から少し離れた席に座り、スプーンでスープをすすりはじめた。どちらかといえば、男っぽい食べ方で、あまり行儀が良いとは言えない食べ方だった。
しばらくして、また彼女が話し始めた。
「・・いっちゃ悪いけど、あんた結構感じ悪いよ。今まで私が出会った男の中でも、トップ10に入るくらいね。話しかけちゃまずいんだったら、背中にそう注意書きでもしといたらどう?」
「・・すまない」私は、彼女に視線を向けずに言った。
「はい?」
「すまないといったんだ。一昨日までE棟にいてね。感じが悪いのは生まれつきだ。」
「・・へえ。じゃあ、あんた、D棟に昇格したばかりなんだね」
「・・ああ。」
「仕事は?」
「エンジンの整備だ。」
「夜勤?」
「そうだ。」
彼女は、何回かうなずくように首を縦に振った。
「やっぱりね。この時間に疲れた顔してぼけっとしてるから、夜勤明けの人だと思った。」
カランッという音が響く。彼女は、どうやらスプーンを皿の中へ放り投げたようだ。スプーン皿をもって席を立ちあがり、速足で私のほうへ近づいて聞いた。
「ローズよ。仕事は、エンジン整備。夜勤じゃないほうのね。つまり、あんたの同僚よ。よろしくね。」
そういって、彼女は右手を私のほうへ差し出してきた。
「デニスだ。」私は少し間をおいて、彼女の右手を握り、言った。
「ねえ、あんた、もう寝たほうがいいんじゃない? 今日も夜勤でしょ?」
「そうだな。そのとおり。」そういって、私は立ち上がった。「寝ることにするよ」私は食堂の出口へと向かって歩き始めた。
「ねえ、最後に聞いていい?、あんた、ここでなにぼけっとしてたの?」
「昨晩、エンジンが火を噴いてね。興奮して寝れなかったんだ。今はだいぶ落ち着いたから、いい夢をみれそうだ」
「・・はあ?!」
私は彼女のほうへ視線を向けた。こんどは彼女は眉間にしわを寄せている。私は声を出さずに笑いながら、その場を後にした。
お読みいただき、ありがとうございました。